雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

教育とは?

2007-12-30 21:10:01 | 宗教
米中の教育に関する記事があった(米:NY Times、中:Washingtonpost)。

健全なコミュニティをつくるための教育目標は、「和して同ぜず」を実現する個人をつくることだと思うが、まずは「和」が重要。これがなければ社会自体が成り立たないし、「同ぜず」も「和」がなければただの雑居にしかならない。

両記事は、米中両国の「文化」と呼べる「和」についての特徴をそれなりに浮かび上がらせていたように思う。

まず中国に関する記事。昨今Practicality が偏重され、マナーほか、伝統的な美徳がないがしろにされていることを問題視している。

中国の「和」は、歴史的にみると、儒教と官僚+王朝制度によって保たれてきた。儒教は、以前も書いたが、礼という対人関係重視から孝を重視したもので、官僚+王朝制度とともに既存のシステム温存には強力な基盤だから、「夷」民族が皇帝位につくことさえ可能だった。

それに対抗する手段として、「尊王攘夷」という風潮があり、日本の後醍醐天皇や江戸時代の水戸に飛び火したが、当の中国では、例えば明の遺臣が日本に逃げてきたり、禅僧が死士となるかの雑居状態にしかならなかったのは、儒教+官僚+王朝制度という磐石の基盤があったからではなかろうか。

19世紀に西洋が入ってきて、「夷」というより「異」民族が入ってきたとき、やっとそうしたシステム・エラーに気づいて、改変の必要性を痛感したわけだが、結局まとまれず、やっとひとつにまとまれたと思ったら、対華21か条要求反対に始まる反日だった(日清戦争は、日本と中国の問題ではない)。

大戦後は、儒教と似て非なる「共産主義」を導入したが、このほど経済重視傾向が強まり、中国政府はただの雑居にならないよう注視し、これまでの中国が歴代で使ってきた、法治(秦)、孔子の教えを基盤とする儒教(いくつかの王朝)、反日を織り交ぜながら使っているというところだろう。

ただ同記事に載っているPracticality(=金)に対するバランスのとりかたは、まだ相対的な問題、すなわち二元思想のレベルでしかなく、更に記事の著者自体問題をきちんと把捉せずただレポートだけに終わっているのが残念なところ。

中国の本質は、民主主義などの「和」を成立させる国民一人一人の責任を問うような本質論ではうまくいかないとみなしているところで(孫文の三民主義はどうなった?)、本質と距離のあるイデオロギーを使うわけだが、そろそろそうしたイデオロギー偏重こそ問われるべきことだ。

一方アメリカは本質論にできるだけ近づきつつ展開する。

アメリカは以前も書いたが建国の途上からWASPという括り方はしたが、実際は、北欧、ドイツ系移民が多く、移民ならぬ「異民」集団が対英(No taxation without Representation)という真っ当な主張からスタートした。

その後アメリカは、異民族集団がひとつになる場として、旧約聖書と野外礼拝を介して「公」を形成していく。表側では、南部中心の階級制度と北部中心の資本主義社会に分裂していき、さも相反するベクトルが構築されたようにみえたが、どちらも「金ぴか時代」という言葉でくくられるように「金」重視の「適者生存」だった。

そして20世紀にもその流れは引き継がれ、正確に言うと19世紀後半から、異民による移民流入が安価な労働力を提供し続けることで大量生産方式を稼動させてきた。

が、60年代に公民権運動を経て、King 牧師が様々な階級、文化背景を持つ人間たちが交わることによって互恵関係を保てるはずという理想とも本質ともつかぬ理念を確固として持つようになり、その理念を実現させる「和」が、上記記事に紹介されている。

昨今のアメリカは、中東を中心とした戦争難民が押し寄せているが、Decatur の学校では、そうした難民を分離するのではなく、アメリカの多様性として混在させて化学変化を起こさせ、King 牧師の理念を実行に移している。

出身国は40カ国、飛び交う言語は50、宗教はキリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズーで、貧富の差も激しく、更には英語がわからないどころか、黒板に書いた図なり文字なりが何かを意味することさえわからない子供たちを一緒にするという試みである。

アメリカの場合親が学校教育に協力するのは当たり前なので、親の教育というか共同作業もしくはその前段階である作業部会みたいなもので、親の意識も徹底させる。つまり「和」をつくるために、異民族集団がコミュニケーションをする「公」という土台作りをする、という意識である。この「公」作りがアメリカ「和」教育の土台といえる。

追伸:沖縄集団自決

距離感のあるJazz pianist

2007-12-25 21:46:07 | 音楽
オスカー・ピーターソン氏死去 ジャズピアノの巨匠(共同通信) - goo ニュース

またひとりジャズの巨匠が逝ってしまった。

Peterson といえば、なんといっても超技巧派。Art Tatum や Nat King Kole と比肩される技術の持ち主である。

その卓越ぶりは、超のつく有名ミュージシャンたちの形容が伝えている。

Ray Charles がArt Tatum に次ぐ、といったり、Duke Ellington は、「Keyboardのマハラジャ」といった。

しかも鬼気迫るというようなものではなく、いつも軽やかで、なんというのだろう、誰も拒まず、だからといって彼のなかには入れない、不思議な距離感が Peterson の魅力だったような気がする。

その距離感を生んだのは、なんといってもアメリカ人ではなかったことだろう。もっと劇的にいえば黒人扱いされたことがなかった。

彼が生まれたのは、MontrealのLittle Burgundy で、アメリカの黒人同様貧しかったが、差別がなかった(当時Little Burgundyは黒人の貧民街ではあったが差別がなかったために、「黒人の天国」といわれていた)。父が音楽への愛を伝え、かつ生活の糧とする願いを持ち、早々に天才の称号を手に入れた。

そして世に出るキッカケも出てからも汗臭さ、必死さがない。

Norman Granz がラジオで聴いて彼をスカウトし、そのままVerve で一生喰った。

Granz は、Los Angeles に生まれたウクライナ系ユダヤ人だが、彼が Anti-racist だったことがデカい。

コンサートにしてもGranz の意向か、黒人特有の土臭さがなく、むしろ黒人であることが軽やかな彼の装飾品にみえるほど優雅だった。

Peterson のグループには50年代でさえ白人がいたし、とにかく1925年生まれのアメリカの黒人なら、絶対持たないものを彼は持ちえ、それが彼に特別なオーラと位置を与えた。

もちろん彼に技術がなければこれらのものは意味がなかったろうが。。。

彼が渋谷のBlue Note に来ると知ったとき、チケットは学生の僕には手が出せない金額ではあったが、絶対行こうと心に誓ったのは覚えている(買いに電話したときはすでに売り切れていた)。

参照:Washingtonpost 12

聖夜2

2007-12-24 19:32:16 | 雑談(ジョーク)
また聖夜がやってきたので、箱根神社に行った。

みんなが初詣に行く一週間前にお参りすれば、宝くじが当たる確率が3%ほど増すのでは、と考えたからではない。また、クリスチャンでもないのにX'masを楽しむ軽薄な日本人に嫌気がさしてのことでもない。

単に空いていると思ったからだ。X'mas にまさか神道の神社に行く人なんていないと思っていた。神社の古木が屹立する中で、1年を振り返りつつ、新年を恭しくかつ神妙に迎える準備をしようと思ったのだ。

と思ったら、ひとがたっくさんいた。

特に箱根駅伝の山登りといわれる辺り(=旅館街)には、アベック(「アベック」という言葉を選んだあとあまりに古臭すぎることに気づいた、しかもそれが自然に出てきたことに今愕然としている)が30円のアイスに群がる蟻の群れのようにたくさんいた。

なんだかすごく「(い)やらしい」感じがした。そう考えるあなたが一番やらしいといわれそうだが、なぜか女の子が頭に大きなリボンをつけて、「今年のクリスマス・プレゼントはあたしよっ」といっているようにみえた。

そんな邪心を追い払おうと、関所に行こうかと思った。

箱根の関所は江戸時代厳重になり、それ以前からもそうだが、上方からの人間にとって関東は異国の地だった。

関所の東が「関東」であり、それ以前は「箱根の坂の東」で「坂東」といった。

その厳しさにあやかりたいと思ったわけだ。

が、時刻はお昼を廻りお腹が減っていたので、ナビの目的地設定に、「しずく亭」を入力した。

ここのご主人の麦とろを食べさせる工夫というのは、そのトッピングを全部使わないと分からないと思うが、そのトータルでの旨味とこだわりが僕に何かを与えてくれた。

しかし本当の厳しさは、帰路に待っていた。箱根山の路はせまく、観光バスとのすれちがいにはかなりヒヤヒヤさせられた(無事帰着したあと普段走っている路地が広く感じられた)。

ホッとして、ポタジェララで天然酵母パンを食べた。

過剰

2007-12-23 22:18:52 | アメリカ
NY Times によると、11月14日に Texas で起こった事件が話題になっているらしい。

ふたりのコロンビア人が、あるお宅に侵入し、金と宝石を盗み、隣の家の敷地に入ったら、その隣の家の住人男性(61)に撃たれた。その住人は撃つ前に警察に通報し、「家の中にいるように」いわれたが、「奴らを殺す、ためらっているひまはない」といって発砲した。

話題になっているのは、その犯罪行為が死に値したかということであるが、同記事の底流には「殺すことはないのでは・・・」というニュアンスがある。

そのふたりのうちのひとりの恋人のコメント、もし彼らが白人だったら、彼らには止まれ、といわれる機会が与えられただろう、というのが載っているからだ(住人は通報したとき彼らを「黒人」と描写したらしいが、実際は浅黒いコロンビア人であった)。

しかもそのふたりはアメリカには不法滞在でもあって、あまり事件の詳細が明らかになっておらず、そのほかの事件と比較してもこの事件の詳細が故意に隠されている印象を与える(事件があったのもTexasだし)。

恋人がいう、彼が2日前(11月12日)にプロポーズしてくれたんです、彼は死ではなく監獄に値していた、と。

僕は、こうした問題のすり替え、過剰防衛かどうかを人種問題に摩り替えるのはどうかと思う。

公民権運動の歴史的な意義をはきちがえている。

公民権法は、黒人とか白人という分別の仕方が間違っている、みなアメリカ市民であることを宣したものであり、暴力については異なる見解を持っていたMalcolm X もKing 牧師もその点では一致している。

白人がすべて差別するのではなく、黒人がすべてかわいそうな被害者ではない(ちなみに僕はアメリカで何度か肌の黒いひとに差別的言動を受けた)。

犯罪を犯すことはどういうことか、過剰な反応(防衛)をどのように処するべきか、といった線の引けない問題に真摯な意見の提出がない。

キング牧師もマルコムも、さぞ悲しんでいることだろう。

関連:「健全な差別」、「自動車泥棒」、「退行」、「にっちもさっちも2」、「文明としての暴力

J'y suis et j'y reste

2007-12-19 20:37:33 | 宗教
以前も書いたが、今年の読書のテーマのひとつがドストエフスキー。現在19巻目で、日記を読んでいる(あと7巻残ってる)。

まだドストエフスキー全体について感想を述べるのは早い(わからないことがたくさんある)が、ひとつ面白い指摘があった。

上位概念によって下位区分の枠を取り払う魔術の怖さである。

19世紀後半、フランスで、宗教を媒介にした連合があった。

普仏戦争後のフランスは、圧倒的多数を占める共和派に対抗する政党がいくつかあった。

共和派は、いわゆる第3身分を基盤に置くが、はっきりいってこの階級はいつもそうであるように実際にはどんなに鋭敏な意見を持つものがそのなかからあらわれても凡庸で保守的な集団としてしか機能しない。

こうした不動だが実はただの小市民集団に対して、その残りの野党たちは一本化するために教皇派を軸にした。

野党それぞれの目的や理念は全く異なるのにである。

もちろんこういう政治上の処置はよくある。

日本の最初もそうだった。7世紀、隋、唐の成立によって倭が日本になったあと、高句麗、新羅、百済それぞれからの移民が群雄割拠していた。そこでそれらを日本という本当にひとつの国にするために上位概念「中国」が使われた(だから秦氏も始皇帝の子孫などといった)。

当時の中国は、東アジアだけでなく、世界最大都市の魅惑的な力すべてで、日本にとって上位概念として君臨し、日本に闇雲に文物を輸入させ、その量の多さは、中国人にさえ把捉できない密教の継承者空海を出したことからもわかる。

話を元に戻そう。

ドストエフスキーによると、ヨーロッパには伝統的にそうした上位概念の最高峰として、ローマ帝国があり、その力の方向性にはふたつのベクトルがあった。

軍事と宗教がそれで、どちらでも構わないから、世界をひとつにしようとした。なんで宗教と軍事力が?と問いたくなるかもしれないが、「カトリック」は「普遍」の意で、「普遍」である環境こそが重要ということらしい。

そして政治的な理由でしかない上位概念の魔力の怖さを、ユリウス暦だと僕と誕生日が同じのドストエフスキーが指摘する。

「突然誰かの上からやってくる決定的な影響をこうむると、とてもつもない、非常に不幸な決断力を発揮することがある。それも決断力があるというよりは、まさにその正反対によるものである。主要なものは、比較考量ではなく、衝動である」

ドストエフスキーがこれをフランスにあてはめるところにまず違和感を感じると思う。なぜならフランス革命で意味されたLiberty は宗教からの自由であるはずだし、また、ロシアが正教を国教としていた事実も思い出されるかもしれない。

しかしそれらの疑問は置いておいて彼の言を追いたい。

重要なことは、上位概念が下位区分の矛盾を解消すべくひねりだされた理を持っていないということである。そして上位概念は、衝動を生むというより強制する力しかもたない。

J'y suis et J'y reste 式な図式である。

それをフランスが採用したとなると、フランスの軍事力がカトリックに与えられることになり、ドイツは歴史上みられる性質からも自明なように(とドストエフスキーはいう)、ローマカトリックの2ベクトルのうち、軍事力を押さえ込む必要に直面する。

そうなればドイツはロシアとの連合を模索しなければならなくなると時事時評を展開し、更にロシアこそがヨーロッパをひとつにする許容力があるという。

問題はその根拠である。

察するに同じく19巻にあるプーシキン論にその回答があるように思われる。よくいわれるように、ドストエフスキーは、プーシキンの後継者を自認している(その中継点にゴーゴリがいる)。そして彼らをつなぐ筋目が「近代」である。

ここでの「近代」とは、庶民が自らの生活を基盤に銭勘定することだが、それを最初に表わしたのがプーシキンだというのだ。

例にオネーギンが挙がっているが、核心となるのは、オネーギンの求婚を断られる理由で、自分の幸福のために他人の幸福をないがしろにしない、女性像である。

つまり上位概念ではなく、下位区分に広がっていくことで、事態の解決を目指す、ils y sont et ils y resteというわけである。

じゃじゃ馬ならし

2007-12-14 09:06:44 | 雑談(ジョーク)
最近妻の家族から、よく妻を押さえ込めてる、と感心される。

結婚前彼女はその家族で最強だったらしい。

確かに今なら地球上の生き物なら大体調教できる自信も多少ある。

だからつい「今ならライオンでも調教できそうです」と返答しそうになったが呑みこんだ。

女はジャジャ馬に限る。

追伸:今日のランチは、ホタテのバター炒めだった。すでにお腹が減ってきた。

アメリカ音楽

2007-12-12 00:03:35 | 音楽
アメリカには、Big Five なるものがある。

ベルリンフィル、ウィーンフィル、アムステルダムと肩を並べるオーケストラ、New York Philharmonic (1842創設)、Boston Symphony Orchestra (1881)、Chicago Symphony Orchestra (1891)、Philadelphia Orchestra (1900)、Cleveland Orchestra (1918)のことである(1958年まではBig Threeといわれていて、1965年からBig Five といわれるようになった)。

NY Times によると、その最古参、NY Philが、来年の2月26日に北朝鮮の平壌でコンサートをすることになった。

北朝鮮の招請によるもので、正式なオファーは8月からあり、NY Phil 側の条件がのまれた結果になったらしい。

これまでBig Five は、このような外交上のパフォーマンスに使われてきた。古くは、1956年のBoston のソ連、Nixon 大統領の初訪中後の1973年にPhiladelphiaで、NY Phil も1959年にソ連に行っている(そのときの指揮者はバーンスタイン)。

Christopher Hill も、密かに、NY Phil には口ぞえしていたらしいが、2月は、北朝鮮のメインの原子炉がShut down されるわけだからそれに合わせていることは丸見えである。

問題は、250名を超えるスタッフおよび楽器などの輸送だが、韓国のMBCがSeoul での演奏の放映権などの交換条件を出して補う模様。

当然のことながら、200万人の北朝鮮国民を貧窮させ、数千万を強制収容所に置いている北朝鮮にこのようなBig Five のひとつを送ることは、北朝鮮をきちんとした国家として是認することになると非難が出ているが、Hill は何かアクションを起こさなければ進展もないと、述べているようだ。

全くParanoid Policy で功をあせっているだけだと思うが、まずRoots Music から、Rockほかのアメリカが世界に発信した「アメリカ音楽」 ができあがったことを思い出してほしい。

Roots Music とは、アメリカに1950年代以降に顕れた、世界に誇る「アメリカ音楽」の素材のことだが、それぞれが社会の底辺にいる人間の哀しみから出来上がった。

James M. Vadaman の言葉を引こう。

「南部のルーツ・ミュージックは、ブルースにしてもカウントリーにしても、悲惨な生活から生まれ、哀しみを歌うものが少なくない。そういう気の滅入るような内容なの歌が、なぜか多くの人の心を捉える。それは、歌を通して体験を共有するということが人間に計り知れない力を与えるからだ。人間はただひとりで自分の存在の無意味さに耐えることができるほど強くはない。しかし、たとえ故郷に帰れなくても、土から切り離されても、そしてまた、愛する者を失っても、その喪失の切実さを分かち合う人々がいる限り、私たちは生きることが出来る。音楽が愛という言葉と結びつくとすれば、そういう意味でだろう。悲しい音楽がなぜ楽しいか。美しいからだ。そして心のありようを偽らずに伝えようと模索するからだ。ルーツ・ミュージックはそうした単純さを失わない音楽だ。」

これがアメリカの音楽の伝統だとするなら、奴らにその悲しみに耳を傾ける力はあるのか。もちろんBig Five はそれ以前に出来上がったヨーロッパの伝統を引き継いだもので、冷戦以降こうしたパフォーマンスに使われてきたお飾りだというならそれでもいいが、アメリカの借り物ではない音楽が庶民のための、庶民によるものだということを思い出してほしい。

庶民を虐げる全体主義の国に、庶民の音楽が主流の国の随一といわれるオーケストラを送るのか。同じ政治目的でも、バレンボイムたちのとは全然違うぞ。Dylan の言葉を思い出せ。

関連:<拉致4>

追伸:「北朝鮮、ヒズボラなど支援の可能性」 米議会調査局(朝日新聞) - goo ニュース 

海老フライ

2007-12-11 09:16:02 | 雑談(ジョーク)
現在仕事前のひとときだが、僕は今猛烈にランチタイムを楽しみにしている。

なぜなら今日の弁当のおかずが海老フライだからだ(お弁当のおかずをさっき盗み見た)。

今日の午前中は燃えそうである。

さて、「海老」フライといえば、最近ロシアが盛況らしい。

アメリカのメディアでもプーチンプーチンと騒がしく叩き、NHKでもプーチンの人気ぶりを放映していた。

しかしなんかへんだ。

それまでの問題を全部そんな簡単にOILだけで克服できようか。

というわけで昨日、ロシア人と呑んだ。

彼ひとりの意見といえばそれまでだが、ロシアの活況はMoscow と石油関係とKGBがらみだけで、他の街はかつての共産主義時代よりひどいらしい。

麻薬の注射などがそこここに落ちていて、生まれる子供は正常でないため、どんどん捨てられている。

じゃあなぜプーチン人気が?といえば、みなあきらめているからだという(エリツィンは彼らにとってはひどすぎたし)。

やっぱり同じ穴のムジナだった。

Vienna Concert

2007-12-10 09:04:24 | 音楽
人生とは何だろう。

僕がおぼろに描いたイメージは、海面上を飛んでいる一羽の渡り鳥。

羽を動かすことをやめれば、海に落ちる。

時間帯は早朝か宵の口で見晴らしがよくなく、四方を見渡せるわけではない。

その視界の狭隘は、人知の限界に似せてのものである。

そんなイメージを生んだキッカケはふたつある。

ひとつは、父の日記に次のような箇所があったこと。

父が九州旅行中、船旅をして、ひとり海を眺めているときのことだが、

「このまま親父が眠っている海に身を投じてしまいたい気持ちにかられた」

と書いていた。父の父つまり僕の祖父は戦死である。

黒い海面を眺めつつ、その底に吸い込まれるような感覚があったに違いない。

もうひとつは、Kieth Jarrett のVinenna Concertの1曲目(42分)。

Kieth は、ひとつの人生を描こうとしているように聴こえた。

かすかな、そしてつぶやきのような和音とともに曲(人生)が始まる。

夢を抱き、大空をただ見据えて全力で飛ぶ。

しかし飛んでいる自分を省みて、自分の羽がなぜそのように動いているのかを確かめるかのようにじっとみつめて、つい海に落ちそうになる。

そのあとは、海に落ちる恐怖と、あまりに高い天蓋に高度を上げることもできず、陸地のみえない、ただ飛びつづけることを余儀なくされた生をのろいつつ、羽ばたくことをやめることができない。

やがて飛び続けるための競争に参加し、石炭をくべすぎた機関車のように自動的に自らの身体を酷使して突っ走る。

ふと気づくと、薄暗闇の、海面を飛んでいた。

最低限の力で、ただ飛ぶことをやめないためにのみ飛んでいた。。。

Kieth のこの曲は、最後がいただけない。

ワグナーのように愛でしか救われる術がないようなあまったるさで、やたらに美しい響きのなかで終演する。

Kieth もそのキレイさが嫌だったのだろう。

2曲目で、終わりを手探りに奏でてみせる。

今度は海面しかみえない、中途半端な、しかしそれが可視範囲でしかない、という描写である。

Kieth も経験していないからまだその辺りはわからないらしい。

追伸:「流行語大賞」なるものをみた。「流行語」なのに知らない僕って一体?あの赤いパンツはいて、ほとんど裸でコブシを効かせて騒いでるのはダレ?