米南部と日本は、戦争に負けたことによって、戦争を始めた本来の正当性がなかったことにされてしまった、Lost Causeを経験したという点で似ている。1949年ノーベル賞受賞作家ウイリアム・フォークナーが戦後長野にやってきたときも、私たち(南部人)も日本人と同じように合衆国に敗れた、とその経験の相似をほのめかした。日本は戦後60年だが、「南北戦争」は140年前の出来事である。
しかしこの80年の時の隔たりは、大きな世論の差を作り出している。日本は相変わらずその正当性を無視されているが、南北戦争の南部軍は、それなりに哀れみをもたれている。したがって呼称、Civil Warも Civil Rights Movementsがあってからはそれなりに控えめに使われた。まるでCivil War が人種差別問題を発端にしたかのような印象を与えるからだ。
あるケンタッキー出身のひとによると、北部人は、Civil Warを使い(あまり南北戦争について考えていない北部人は南北戦争は悪い南部人をやっつけるためのものだったということ)、南部人は、War of Nothern Aggression(「北部の侵略戦争」)、そのほかの境界州のひとは、War Between the States(諸州間の戦争)を用いる、と教わったそうな。
ほかに南部人が作り出した(?)表現に、War of Rebellionなんかが典型的だが、南部出身者のこうした名前の議論をしてる掲示板があって、そこでも「勝者がいつも名前を決められる」といっていた。そして今日以下に紹介したい文章もまたそこにあった:
expressing pride in the acts of Sherman is akin to boasting about how we really kicked the Japanese butts at Hiroshima. (シャーマンの行為を誇りに思ってるなんていうのは、広島で日本の奴らをどうやってやっつけたかを自慢するのに似ている;注:シャーマンは北部軍の将軍)
南北戦争が歴史的事実として冷静に分析され、南部が一方的に悪いわけではないという見解が一般的になったのは、1920-50年代のアカデミックな研究のため。このときの南部は、ひどい貧乏で、あのニューディール政策をやったルーズベルトが南部を本当に復興させようといろいろと公共事業を打ち出した頃のこと。時間的にいうと、戦後55年から85年。
しかしこの80年の時の隔たりは、大きな世論の差を作り出している。日本は相変わらずその正当性を無視されているが、南北戦争の南部軍は、それなりに哀れみをもたれている。したがって呼称、Civil Warも Civil Rights Movementsがあってからはそれなりに控えめに使われた。まるでCivil War が人種差別問題を発端にしたかのような印象を与えるからだ。
あるケンタッキー出身のひとによると、北部人は、Civil Warを使い(あまり南北戦争について考えていない北部人は南北戦争は悪い南部人をやっつけるためのものだったということ)、南部人は、War of Nothern Aggression(「北部の侵略戦争」)、そのほかの境界州のひとは、War Between the States(諸州間の戦争)を用いる、と教わったそうな。
ほかに南部人が作り出した(?)表現に、War of Rebellionなんかが典型的だが、南部出身者のこうした名前の議論をしてる掲示板があって、そこでも「勝者がいつも名前を決められる」といっていた。そして今日以下に紹介したい文章もまたそこにあった:
expressing pride in the acts of Sherman is akin to boasting about how we really kicked the Japanese butts at Hiroshima. (シャーマンの行為を誇りに思ってるなんていうのは、広島で日本の奴らをどうやってやっつけたかを自慢するのに似ている;注:シャーマンは北部軍の将軍)
南北戦争が歴史的事実として冷静に分析され、南部が一方的に悪いわけではないという見解が一般的になったのは、1920-50年代のアカデミックな研究のため。このときの南部は、ひどい貧乏で、あのニューディール政策をやったルーズベルトが南部を本当に復興させようといろいろと公共事業を打ち出した頃のこと。時間的にいうと、戦後55年から85年。