脱原発案、すべて否決 東北電株主総会、宮城県も反対(朝日新聞) - goo ニュース
自身脱原発運動に積極的になれない理由はもうひとつあった。
リアリティが感じられなかった。
単なる脱原発運動ならイタリアでもできる。
当事者としてそれだけでは足りない気がしていた。
そこで被爆した現実にいる日本人に備えようとした。
自分にしかできないことだとも思ったからだった。
しかしここに来て疲れが出てきた。
自分のなかの疲れか、他人から吸い込んだか、はたまた誰かの怨念か、養生功でもとりきれない邪気が体内に蓄積した。
十日ほども抜けないというのはこれまでに経験がなかった。
そこでYにみせると、鉄パイプが僕の後頭部に刺さっているとのことだった。
長さはみえているだけで約50㎝。
そこで抜きにかかった。
すると2mほどにもなったろうか、Yいわく『千と千尋の神隠し』に出てくる、「お腐れ様」と間違えられた神につきささった自転車のサドルのようだったという。
その日苦心して20㎝に縮小させ、今日5ミリほどになり、色も黒から白に変わってきたが、まだとれた感がない(奥にあるのだろう)。
こうなってみると原発あるいは東電にうらみごとのひとつもいいたくなる。
せめて賠償金ぐらい請求したくなる。
そんな折以下の記事をみた。
1号機設置許可の無効求めた訴訟、国が争う姿勢(読売新聞) - goo ニュース
原発事故が起きた時真っ先に考えたのは、東京電力は有罪になるかどうかだった。
第一感では、難しいと思った。
「当時の見識では」とかなんとか、だだをこねることがいくらでも可能だし、そもそもこれまでにない規模の地震に備えることは可能ではないと思ったのである。
しかも内部被曝の実情もあまりよくわかっていない。200キロ離れたところにいるひとの被害は認定されないだろう。少なくとも国側がその気になれば、無罪に近い判決は勝ち得るかもしれないと思った。
その場合賠償など雀の涙ほどにしかなるまい、と思ったわけだ。
もちろん僕の見解などあてにならない。
大江さんの沖縄問題のとき、大江さんは負けると予測したのに負けなかったからだ。
それならチャンスはあるかもと思案しようとしたが、よく考えてみると、僕にとって今大事なのは体調をもとに戻すことであった。
actualityをいつも相手にしていくのは大変だ。
自身脱原発運動に積極的になれない理由はもうひとつあった。
リアリティが感じられなかった。
単なる脱原発運動ならイタリアでもできる。
当事者としてそれだけでは足りない気がしていた。
そこで被爆した現実にいる日本人に備えようとした。
自分にしかできないことだとも思ったからだった。
しかしここに来て疲れが出てきた。
自分のなかの疲れか、他人から吸い込んだか、はたまた誰かの怨念か、養生功でもとりきれない邪気が体内に蓄積した。
十日ほども抜けないというのはこれまでに経験がなかった。
そこでYにみせると、鉄パイプが僕の後頭部に刺さっているとのことだった。
長さはみえているだけで約50㎝。
そこで抜きにかかった。
すると2mほどにもなったろうか、Yいわく『千と千尋の神隠し』に出てくる、「お腐れ様」と間違えられた神につきささった自転車のサドルのようだったという。
その日苦心して20㎝に縮小させ、今日5ミリほどになり、色も黒から白に変わってきたが、まだとれた感がない(奥にあるのだろう)。
こうなってみると原発あるいは東電にうらみごとのひとつもいいたくなる。
せめて賠償金ぐらい請求したくなる。
そんな折以下の記事をみた。
1号機設置許可の無効求めた訴訟、国が争う姿勢(読売新聞) - goo ニュース
原発事故が起きた時真っ先に考えたのは、東京電力は有罪になるかどうかだった。
第一感では、難しいと思った。
「当時の見識では」とかなんとか、だだをこねることがいくらでも可能だし、そもそもこれまでにない規模の地震に備えることは可能ではないと思ったのである。
しかも内部被曝の実情もあまりよくわかっていない。200キロ離れたところにいるひとの被害は認定されないだろう。少なくとも国側がその気になれば、無罪に近い判決は勝ち得るかもしれないと思った。
その場合賠償など雀の涙ほどにしかなるまい、と思ったわけだ。
もちろん僕の見解などあてにならない。
大江さんの沖縄問題のとき、大江さんは負けると予測したのに負けなかったからだ。
それならチャンスはあるかもと思案しようとしたが、よく考えてみると、僕にとって今大事なのは体調をもとに戻すことであった。
actualityをいつも相手にしていくのは大変だ。