安倍首相の「美しい国」、野党のやり玉に 参院代表質問(朝日新聞) - goo ニュース
全く「美」という字を使っていながらその実がわかってない。
「美」は「羊」が「大」きいと書く。
「羊」にはもともと意味がない。
むしろいろいろな言葉のなかにはいっていかれる柔軟性が買われている字だ。
それが「大きい」ということは、柔軟性に満ちている、ということだ。
その点、英語やフランス語のBeautiful も重なっている。ただし「物事のいいところ」、「上澄み」だけを意味すると読んでしまっては片手落ち。同根といわれるPrettyには、「狡猾な」とか「巧み」という意味がある。
パラフレーズすれば、少なくとも「羊」+「大」は方法論の卓越さのことである。
なら、方法論の良し悪しはどうやって決まる?
目的だ!
これが決まらなければ良し悪しは定まらない。
あんたたち(野党も入ってる)が掲げている目的はなんだ?
ただのキレイゴトだ。
「正義」や「憐れみ」、「愛」、「勇気」という言葉は確かにキレイだ。
しかし現在地に落ちている。
なぜだ?
目的と結びついていないからだ。
Faulkner がアメリカの大学で講義したときにもいっていたが、こういった言葉は本当に現実を直視すれば自ずと必要なことがわかってくる実質的なものだ。
ひとはいつも健康ではないし、いつも若くもいられない。
時には苦難と戦わなければいけない(人生いつも順風じゃない!)
あんたたちがやってるのは、現状維持のためのゴマカシでしかない。そのために煌びやかな言葉をちりばめている(ということは、「美」の解釈によっては正しいことになるが)。
我々が必要とする教育は、そうした言葉が絵空事じゃないことを教えるためのものでなければならない。
前々回アメリカの60年代が室町に似ていると書いたが、その時代が経験していた悲劇をFaulknerがうまく言葉にしている。
His tragedy was that when he attempted to enter the human race, there was no human race there. 彼(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)の悲劇は、彼が人類の中にはいろうとしたとき、そこに人類がいなかったことだ。
だから退却するか刹那に生きるしかなくなったんだ(こういう洞察が社会に共有されなければ公民権運動はなかったのではないか)。
柳沢大臣の言葉は確かに一部の女性を傷つけたろう。
いつも考えていたことだから言葉に出たんだろう。
しかし政策担当者なら当然考えることだと僕は思う。
社会全体が健全であるためには、モンテビデオ会議での国家の一番の定義は人口が確保されることだ。
その場合特定の年齢層が多いと、人口が一定にならない。そして問題なのは、年齢層によって不公平が生じる。
個々の生活はそれぞれ考えてもらうが、この日本という社会集団をひとつとしてみる役割にいるひとからみたら、女性は子供を産む機械であり、男性がそれに油を指したり動力を注ぐチューブであるかもしれない。
少子化担当大臣(厚労)なら当然考えていいことだと思う。
なぜならこういう視点は、社会全体をみなければ出てこない。
そして全体をみなければ、「愛」や「勇気」も絵空事に終ってしまう。
もちろん失言は失言だが、政治家としては素人くささが垣間見えた柳沢が取り敢えず少子化問題に頭を悩ませていることの証左と解釈もできる。
今の社会に必要なのは全体をみようとする視点じゃないだろうか。
全体をみて目的を見据えなければ、美自体云々すること自体おかしい。
全く「美」という字を使っていながらその実がわかってない。
「美」は「羊」が「大」きいと書く。
「羊」にはもともと意味がない。
むしろいろいろな言葉のなかにはいっていかれる柔軟性が買われている字だ。
それが「大きい」ということは、柔軟性に満ちている、ということだ。
その点、英語やフランス語のBeautiful も重なっている。ただし「物事のいいところ」、「上澄み」だけを意味すると読んでしまっては片手落ち。同根といわれるPrettyには、「狡猾な」とか「巧み」という意味がある。
パラフレーズすれば、少なくとも「羊」+「大」は方法論の卓越さのことである。
なら、方法論の良し悪しはどうやって決まる?
目的だ!
これが決まらなければ良し悪しは定まらない。
あんたたち(野党も入ってる)が掲げている目的はなんだ?
ただのキレイゴトだ。
「正義」や「憐れみ」、「愛」、「勇気」という言葉は確かにキレイだ。
しかし現在地に落ちている。
なぜだ?
目的と結びついていないからだ。
Faulkner がアメリカの大学で講義したときにもいっていたが、こういった言葉は本当に現実を直視すれば自ずと必要なことがわかってくる実質的なものだ。
ひとはいつも健康ではないし、いつも若くもいられない。
時には苦難と戦わなければいけない(人生いつも順風じゃない!)
あんたたちがやってるのは、現状維持のためのゴマカシでしかない。そのために煌びやかな言葉をちりばめている(ということは、「美」の解釈によっては正しいことになるが)。
我々が必要とする教育は、そうした言葉が絵空事じゃないことを教えるためのものでなければならない。
前々回アメリカの60年代が室町に似ていると書いたが、その時代が経験していた悲劇をFaulknerがうまく言葉にしている。
His tragedy was that when he attempted to enter the human race, there was no human race there. 彼(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)の悲劇は、彼が人類の中にはいろうとしたとき、そこに人類がいなかったことだ。
だから退却するか刹那に生きるしかなくなったんだ(こういう洞察が社会に共有されなければ公民権運動はなかったのではないか)。
柳沢大臣の言葉は確かに一部の女性を傷つけたろう。
いつも考えていたことだから言葉に出たんだろう。
しかし政策担当者なら当然考えることだと僕は思う。
社会全体が健全であるためには、モンテビデオ会議での国家の一番の定義は人口が確保されることだ。
その場合特定の年齢層が多いと、人口が一定にならない。そして問題なのは、年齢層によって不公平が生じる。
個々の生活はそれぞれ考えてもらうが、この日本という社会集団をひとつとしてみる役割にいるひとからみたら、女性は子供を産む機械であり、男性がそれに油を指したり動力を注ぐチューブであるかもしれない。
少子化担当大臣(厚労)なら当然考えていいことだと思う。
なぜならこういう視点は、社会全体をみなければ出てこない。
そして全体をみなければ、「愛」や「勇気」も絵空事に終ってしまう。
もちろん失言は失言だが、政治家としては素人くささが垣間見えた柳沢が取り敢えず少子化問題に頭を悩ませていることの証左と解釈もできる。
今の社会に必要なのは全体をみようとする視点じゃないだろうか。
全体をみて目的を見据えなければ、美自体云々すること自体おかしい。