雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Father's Day

2015-06-22 22:20:24 | 雑談(ジョーク)
昨日は、父の日でしたが、世間のお父さんのみなさんは、何かプレゼントもらったりしましたか。

僕は、子供たちから、手紙やカードをもらいました。

これはこれで嬉しいですが、それで満足はできません。

母の日には、妻にプレゼントを用意して、子供と僕からという形でお祝いしたので、父の日も、妻が主催で、何かしてもらえると思っていました。

しかし夕食は普段の夕飯でした。

妻には別段いつもと違うところは全くありませんでした。

夕食のとき何気なく今日は何の日か尋ねようとしたら先に妻に、

「私の誕生日二週間後覚えてる?」

といわれました。

もちろん覚えていました。二日前にそのためのデコレーション・ケーキをすでに予約していました。

といって自分から「今日は父の日だぞ」という気にはなれませんでした。

『サザエさん』が始まりました。

案の定家族で父の日のお祝いをすることになりました。

それをみた妻はやっと思い出したようで、「あっ」という顔をしました。

すかさず僕は訊きました。「忘れてたね」

すると妻ははじめ「ヤバ」という顔をしたものの元に戻すと、「ううん」と首を横に振りました。

「じゃ、プレゼントある?」と訊くと、「ない」という返事。

なんで?と聞くと、しばらく考えた妻が次のように答えました。

「あなたは私の父じゃない」

こんなんありでしょうか。

先程も書きましたが、僕は、夫として母の日を主催したのに。。。

アーメン

イチョウの新芽

2015-04-15 07:00:34 | 雑談(ジョーク)
すがすがしい朝だった。

ここのところずっと雨だったから久しぶりの朝日で、その感激を写しとりたいと、いろいろなことを自発的に思い出した。

「朝日新聞」、「朝日のようにさわやかに」、しかしどれもこれもしっくりこず、駅に続く街路の脇にあるイチョウの新芽をみて、これだ、と思った。

イチョウというと、秋になってからの方が知名度は高いが、春の新芽の小ささと色は格別だ。その何気なさにここのところ何度目を奪われたことだろう。

そう言えば、息子も今春幼稚園に入った。

息子も何気なく新芽を出していたのだ。

2人目なので、こちらに気負いも気合いもなく、淡々と入学式を迎え、僕は休みもとらなかったが、2日通って熱を出したところをみると、彼にとって激動の変化だったのだろう。期待と不安を支えてやれなかったと悔やんだ。

そこで彼の門出を絵にしようと、
2人で画材を広げた。期待と不安を描きたかった。



そのあと思いっきりじゃれあって遊ぶと気のせいか険がとれてきたような気がした。

娘は無事進級した。

イジメと勉学への対処の仕方から、私立を選んだが、どちらも予想通りの対応を頂けた。

イジメはつくづくストレスから生まれることは痛感した。正確に言えば、ストレスへのケアがないためで、本当のケアによる保護感の不足だと思う。

勉強の方は、テストでいつも八割以上とっていても退学勧告がくることには驚いたが、この方がメリハリがあっていい。

ただ実際に退学させられた子がいて、たぶん息子だったらもたなかったと思った。娘でなければメリハリをつくる余裕は作れなかったろう。

足し算、ひき算、かけ算、漢字の応用問題は僕が想定していた以上にアクロバティックだった。

娘はいつからか画家になりたいと言い出した。

レイチェル・カーソンの伝記とダーウィンのミミズの研究、ピカソの描き方入門、ぼくがガーデニングにはまり出した結果かもしれない。

休みのたびに植物園に行こうと誘い、しまいには「この庭十分に植物園だよ」と断られるようになったが、植物園の帰り道、助手席で、手に入れた花々をみて、「かわいい、これかきたい」というようになった。

レイチェル・カーソンには僕も感銘を受けた。晩年の農薬汚染反対を企業相手にやり通したことは知っていたが、あの時既に癌で余命いくばくもないことを知っていたことは知らなかったし、子供時代から大学院とその後の文学活動にはうならされた。

息子には改めて空間芸術をやることにした。太郎さんが奨めていた教育方法だ。

空間芸術は、物理との相克で、可能性の少ないものを追求するから、教育的意義が出てくるのだろう。



ただ妻にはよく言われる。僕は子供たちの新芽を大事にしたいと思ってるだけなのだが、どうみても僕の方が楽しんでいる、と。

しかし僕はこういう世の中だから、ユキザサのように凛とした立ち姿をたもってほしいと思っただけなのだ。

ささやかで別段耳目を集めるわけではなくても。



酒と言葉と音楽の渾然13

2014-10-25 05:38:48 | 雑談(ジョーク)
ここのところ、週に二回小学校に通う娘の迎えに行っている。

当初はほかの子供たちの扱いがどうなるか心配だったが、現在は、はっきりいって楽しい。

とにかく屈託がない。

この素直さ、純粋さは、清水のように心地よく、また、鮮烈でもある。

そしてほとばしる流れにとまどいがない。

行く手に現れるものに真っ正面からぶつかってあっけらかんとしている。

おかげで、すぐに仲良くなった。

「赤シャツ君」というあだ名をつけられ、当然のように一緒に駅まで帰る。

よく一緒になるのが、まゆとさくら、それからレインボーで、さくらなんかは本当に自然に手をつないでくる。きっと自分のパパともよく手をつなぐのだろう、その姿が見えてくるほどに自然に。

毛虫を持って追いかけられたり、傘でお尻をつつかれたり、面白くないジョークに笑ってあげたりコメントしなければならない面倒(全部まゆだが)はあっても、こちらのジョークに爆笑してくれると嬉しい。

娘が「面白いパパだね」といわれて「それだけがとりえ」と答えたときは眉を段違い平行棒にしてにらんだが、その顔が面白かったらしく、今でもアンコールされる。

まばゆいばかりの輝きと透明度は、極上の真珠か、ダイヤモンドのようだ。

教育者として心配なのは、このまっすぐな流れにくつわをはめるいかがわしさだが、正直あまりに純粋すぎて心配である。

こんなに単純(バカ?)では簡単に連れ去られてしまうだろう(昨今メディアを賑わせる事件はいとも簡単に実行できる事実であることに愕然とさせられた)。

興味深いのは、彼らが集まると、その光彩が増すことだ。

娘がひとりでいるときよりはるかに美しい音楽が奏でられる。

そこにたゆたう音楽というか雰囲気の芳醇さ、豊潤さは、是非ほかの父兄にもみせてやりたいと思った。

なぜなら多くの父兄は、忙しくて、そんな暇はないからだ(子供たちのために忙しいとしてももったいない限りだ、これをみずして何を楽しみにするというのだろう)。

もちろん僕も本来はこんなことをしている暇はなかった。

娘からSOSが発せられて、はからずもダイヤの原石たちに触れる時間ができたのだ。

夏休み半ば、娘が学校をやめたいと言い出した。

理由は、一緒に帰っていた子が強引で、悪気はないかもしれないが、結果的にいじめになっていた。

みんなで帰るとその子が発端になってケンカになって、娘が仲裁すると、どっちの味方なんだとすごまれ、結果娘とその子が一緒に帰ることになって逃げられなくなったらしい(ほかの子は離れていったが、娘は逃げられなくなった)。

今でもまれに一緒になるのだが、その子が強力であることは、僕に対して最も傍若無人なまゆが、その子がいるときは横目でみながらそっと通り過ぎて行くことからも推察されよう。まゆに聞いてみると、「あいつだけはイヤなんだ」といっていた。

娘が好きなレインボーも泣かされ、娘は家で憤っていた。あいつはズルい、と。

はっきりいってやればいいじゃないかといったが、無理だという。じゃあ、先生にいってみよう、パパも言ってやる、というと、あの子はパパや先生の前では違うんだよ、と答えた。

実際7月に妻が先生に留意をお願いしたときは、その子には悪気がなく、娘が考え過ぎなのでは、という返答だった(いじめ同様こうした事実を認識するのは容易ではない。感じているに過ぎないといわれればそれまでだからだ)。

しかし娘の話からは考え過ぎとも思えなかったため、僕と妻で交互に迎えに行くことにした。その子と一緒にならないようにガードをしたのだ。

その上で先生に再度レポートを僕が書き再考をお願いした。僕の迎えにも限度があるし、根本的な解決にも至らないからだ。

すると先生から謝罪の言葉と方策が実行された。

先生に信じさせたのは、娘の変化だった。

その子と帰る心配がなくなったために娘がはつらつとするようになった。

一緒に帰らなくていいという安心感が、学校生活での懸案を拭い去り、積極性を増大させた。

もともと内弁慶だったが、今ではうちの中にいるときとほとんど変わらないひょうきんさを学校でも発揮していた。

昨日も「わたし、~でちゅー」といってほかの男の子たちに突っ込まれて楽しそうだった。

「こんなにいろいろしゃべってくれる楽しい子だったんですね、すみませんでした。娘さんに安心感を与えることが出来ずに申し訳ありませんでした」と先生。

しかしこの先生には感謝している。

いざ事実を認識してもどのように対処すればいいのか僕はわからなかったが、先生が娘とその子を呼んで話をしたら、あとくされなく、解決したようだった(しかも一緒に帰らなくなった)。

だからもう迎えに行かなくてもいいのではと思っていたが、先生いわく、「お父様がお迎えに来る日が数日でもあれば安心感が持続します。まだ始まったばかりですからご協力をお願いします」とのことだったので、続けることにした。

実際愉しくてやめられないというのもある。

今日も学校につくとレインボーが手を振っていた。僕のシャツが何色であるかを確認して、「今日は赤シャツくん」とか「青シャツくん」とか告げるのだ。

そのあとまゆが出てきたが驚いた。制服もシャツも前がはだけていて、女の子としてはひどすぎる。「何やってんだ」というと、「じゃあパパ締めて」と甘えてきた。かわいくて仕方がない。

まゆは一番傍若無人だが、一緒に帰るようになって一週間ほどのころ、まゆが、涙ぐみながら、明日も一緒に帰ろうといってくれたときの顔は忘れられない。

この子らをみてると日本の将来に向けて頑張ろうという気がしてくる。美味い酒を飲んだあとみたいに、うきうきしてくる。

Stand By Me

2014-09-02 00:18:40 | 雑談(ジョーク)
子どもたちと『ドラえもん:Stand By Me』を見に行った。

ドラえもんとは何年ものつきあいだし、
あらすじもどうやって泣かせようとしているのかもわかっていて、
しかもその予想通りだったにも関わらず、

泣かされた。

一年分(最近涙腺がもろいから数か月分かもしれないが)の涙が流れた。

娘がこの夏休みで最高の思い出だといっていたが、同館だった。

卒園

2014-03-19 23:33:10 | 雑談(ジョーク)
おかげさまで娘が卒園した。

今日から春休みで、娘と交換日記を始めた♡。

たのしい♡

今春より小学校に入るが、僕に似て引っ込み思案で身体も心も繊細なところがあるため、私学にした。

私学は、良くも悪くも利害関係が丸出しのサービスがある。

幼稚園でもそれに辟易しつつ享受してきて(つまりいいことばかりではなく考えどころだが結果は出すという感じ)、

先日近所の公立の学校で、説明会があり、娘のお友達の親に聞いたところでは、

「いじめはよっぽどのことがないかぎりとめません、社会勉強だから」とアナウンスがあったらしい。

よっぽどのことまで許すからいじめがなくならないのではないのか。

私学にしてよかったとは思った。

親離れ2

2014-02-26 16:43:18 | 雑談(ジョーク)
また娘が親離れしたなと思う出来事があった。

娘がWiiで遊んでいたら息子がそのコンセントを外し、もう一度やりなおしになってしまった。

一瞬以上緊張が走った。

娘が怒ると思ったからだ。

とっても楽しいゲームを中断されたわけだし、実際その顔には憤怒の形相があった。

息子も覚悟したらしい。謝らず下を向いて、目を合わせず、雷が落ちるのを待った。

娘の怒ったときの怖さは、妻に似て、現在の我が家は後世になってから、「女王二人時代」と称されることだろう。

僕にとっても「前門の虎、後門の狼」といった具合だった。

しかし娘は怒らなかった。

表情は固かったが、自分でコンセントを入れなおしてゲームを始めた。

僕らはホッとした。

うちのコンセントは最近外れやすく、娘も息子や僕がゲームをしているときに外してしまうこともあり、お互い様とでも思ったのだろう。

いずれにせよ、ゲームを続ける娘をみて、成長してるなぁと思わずにはいられなかった(よくあの怒りをおさめたものだ、と)。

で、その夜、湯船の中で「大したものだ」といった。

やっぱりひとは誰でも間違ったりするし、自分もするわけだから、悪気があってやったわけじゃないことも明白だし、だから怒りを収めたのかい?と。

すると娘はなぜ褒められるのかわからない風で、ちょっと考えてから答えた。

「だって私が怒ったら、今度は私がパパたちに怒られて、ゲームが出来なくなっちゃうじゃない。私はあのとき一番ゲームがしたかったんだから、怒ったりしたら、それこそ最悪になっちゃうよ」

この答えを妻に話すと、一通り笑った後、「それじゃ単なる利己心ってことじゃない」といった。

その通りだが、僕は更なる成長を感じた。

追伸:今朝から喉が痛かった。ある意味放射線よりPM2.5の方が自覚症状は大きく厄介だ。

70年代

2013-11-22 17:30:23 | 雑談(ジョーク)
電子辞書が動かなくなって、妻が使っていたのを借りた。

久しぶりに日本人学習者用のLongmanをみたわけだが、すごくわかりやすい。

そこで「いいね、Longman!わかりやすいじゃん」というと、妻はニンマリして、「じゃ、西城秀樹にお礼言わなきゃね」といい、「♪Youngman♪」と歌いながらボクシングみたいな振付を始めた。

僕は不覚にも笑ってしまったが、その笑いをしまいこんで、「70年代のジョークじゃないかっ!」と声を大にしていった。

その後僕の頭の中で、「YMCA」(正式な歌のタイトルは知りません)がリフレインし、風呂場ででかい声で歌ってしまった。

Picky 7

2013-03-02 10:24:49 | 雑談(ジョーク)
ここのところ家を新築するためいろいろ勉強していた。

家は結局ログハウスに落ち着いたが、picky な僕のこと、なかなか世間の指標では間に合わないのだ。

例えば声高に化学物質を排除しているから安全というハウスメーカーに一度は依頼することに決め、最終的にできた家を見学に行ったらとんでもない。国の基準を守るだけの家より少ないとはいえ、それほどの違いはなかった。

それなのに5倍も6倍も余分に払う気には到底なれなかった。

問題は人工物を避ければいいというものではない。なぜなら化学物質は自然の生き物から採取されるのであり、木にしても種類によってはかなり強い毒性のある気体を放出する(木はそうして自分の身を守るわけだ)。

というわけでかなり樹木のことを勉強しなければならなくなった。

僕と同じように世間で敏感とされる方は、ぜひ注意してほしい。

国の基準はまだ本質にたどり着いているとはいえないと思うからだ。

例えば壁などに使われているホルム・アルデヒドが、シックホームなどの根源として認定されているが、実際は違うらしい。

娘と木工用ボンドでいろいろ模型を作って遊んでいると、確かにすぐくらくらしてくるが、本質的なことをいえばさまざまな化学物質の取り合わせによるものだと思う。

スギ花粉への感受性がひとによって異なるように、有害なものも厳密にはひとによって異なる。

これから家を建てる方は、そのハウスメーカーなり工務店が作った家に実際に何度も入って確かめるしかない。

余談だが、もちろん僕は自分が敏感とは思っていない。

実際花粉症に悩まされることはないし、放射性物質を感知することも正常なひとの働きだと思っている。

以前も書いたが、僕が危険視する線量は毎時0.04μSV、つまり年間になおすと、0.35mSVだ。

世界の基準と比較してみよう。

国際放射線防護委員会  1mSV
欧州放射線リスク委員会 0.5mSV
欧州の規定       0.1mSV

このなかでみてみれば僕の基準は特に厳しいものではない。

ICRPだけがむしろ高すぎる格好で、これは欧州放射線リスク委員会や矢ケ克馬氏ほかが指摘しているように内部被曝を考慮していないからだ。

放射線感知が非科学的だという輩がいたら、その人の方がおかしいということだ。

人体に有害なものと科学が認定しているのだから、炎を熱いと感じるように放射線を感知するのは当然だ。