雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

気のもちよう

2006-03-31 23:59:57 | 雑談(ジョーク)
Washingtonpostによると、南アフリカについでHIV感染者の多いインドの、そのなかでも最も感染率が高かった地域Bangaloreで、35%もの感染率減少があった。調査は、トロント大学がスポンサーになって行われたもので、15歳から24歳の妊娠した女性と、20歳から29歳の性病に感染した男性を対象にしたもの。2000年から2004年までに、前者が35%、後者が36%の減少したという。

インドといえば、現在500万といわれるHIV保持者がいて、CIA's National Intelligence Council の2002年の発表では、その数は、2010年には、2500万にまで膨れ上がるとされていたから、楽観的になってはいけないという但し書きはあるが、この減少は、奇跡としかいいようがない。そしてこの奇跡を引き起こした主要因は、避妊具などの普及ほか、HIV感染を阻止しようといういろいろな努力が結実した、とみる向きが強いようである。やはり要は気持ちとかやる気の問題ということらしい。

さて、「要は気持ちとかやる気」という結論になる事件を取り上げたのは、今日僕が遭遇した奇跡に繋げるためである。今日僕は、「気」を体験した。やってくれたのは、同僚の同僚の同僚のひとりで、これまでこんなことができるひとがこんな近くにいるとは知らなかった(本人もうさんくさがられるからやらなかったらしいが)。

僕も最初は眉唾だと思っていた。「気」がテレビなどで取り上げられ、芸能人が自らの意志に反して歩き回ったり引っ張られたりしている様は面白くて仕方なかったが、僕にはとてもあんなの信じられなかった。テレビカメラというひとつの視点しか許さない媒体などもともと信じられるはずがない。

ちょっと「ホントかな」と思い始めたのは、父親が亡くなる瞬間。死に際に間に合わなかった僕のところに父の魂がやってきて、人間が肉体を超える精神力を持っているのを目撃したのと、あの有名な外交官、岡崎久彦さんの「気」に関する著作を読んでからだった。

岡崎さんは、天安門前後の中国に行ったとき、必ず気功の先生に会って教えを乞うていた。税金の無駄遣いと心配する必要はない。現在なら何十万払ってもあってくれそうにない達人がその頃は、ただ同然で会って惜しげもなくいろいろなことを教えてくれたらしい。

とにかくあの岡崎さんがいうのならということで、岡崎さんが著作に書いている練習法を実践しはじめた。3年で、自分の体内なら何とかすることができるようになり、5年で他人を快癒させることも可能とあったと記憶する。

まずその同僚は、スプーンをまげてみせた。いわゆるグニャとしたやつだ。彼女の年齢は、聞くのもはばかられる感じだったから、腕力でやったとは考えがたい。

もう夜も遅いので話を急ぐと、一番驚いたのは、青年である僕と、50代男性との腕相撲を介しての実験である。この男性と腕相撲をしても、僕は自分の力を出す必要もなく勝った(ちなみに大学のとき腕相撲の強さを測定したが、成年男子の平均が20キロのところ僕は46キロあって、まず腕相撲で負けた記憶がない、ただし棒高跳びのインカレチャンプは68キロであっさり負けたが)。しかし彼女が僕に手をかざすと、反時計周りの気流が僕にビリビリと伝わってきて、なんだこれは?と思いつつ、もう一度その男性と腕相撲をやってみた。そうしたら相手にならない(僕がかなわない)!僕は全力を出してその男性の力を受けとめるのが精一杯だった。

しかしもっと驚くべきことが今みつかった。一同その奇跡のような力に驚愕し、我も我もと自分の不具合のあるところに手をかざしていただいたが(Jesusにみえていたかも)、彼女は嫌な顔ひとつせずその力を使ってくれた。

ちなみに僕なんぞが岡崎さんのいう練習をやりはじめたのは、電車で座る席を確保するためにほかの乗客の動きをとめるとか、回転寿司で僕が狙っていた平目の縁側を横取りしようとする僕の左隣にる中年男の手をその隣にいる女性のお尻に持っていくとか、可愛い女の子をはがいじめにするためとか、こんなところで明らかに出来ないようなことまでが念頭にあった。

しかし彼女は違うのである。ここ10年来難聴で苦しむご主人に手をかざし、腰痛ほかいろいろな病に苦しむ方が喜ぶ顔を見るのが嬉しくて仕方ないとおっしゃり、また、本来こういう力は誰にでも備わっているのだから、みながそういう力が出せるようにといろいろ教えてくださる。

気の持ちようというのは、本当に大事だと思った。

2006-03-30 22:57:11 | 時事
最近の世論調査によると、米国民二番目の心配事が石油。少しずつ修正され、本当に正しいのかわからないが、Peak Oil Theory はやはり心配である。思えば1970年代のオイルショックもアメリカの油田が枯渇した恐怖がその淵源にあった。もちろん海外依存が99.7%の日本にとっては他人事どころではないが、アメリカも現在海外依存65%で、今後も増えるのは必至である(Foreign Policy (3/28))。

心配は価格に直結する。今年に入って、1バレル60~70ドルで推移しているが、2007年は最低でも105ドルになると予想するオイル・アナリストがいる。また、ブッシュ大統領が、「アメリカが石油中毒」で、ほかのエネルギー選択肢が全くないとスピーチしたのは今年1月だった。そして2月中旬、元プリンストン大学の教授のKenneth Deffeyesは、昨年12月にからガクンと落ち込むという自説を述べた。世界で二番目の油田Burgan oil fieldが「枯渇してしまった」ニュースと合わせ、これから来るはずだったピークは、もうとっくに過ぎていたと断じた。

こういう話を僕みたいな素人が聞いていると、「とっくに過ぎたっていったって、まだガソリンスタンドでまだ売ってるじゃん」といいたくなる。しかしそのピークとは、そういうものをいうのではないらしい(不勉強でした)。Boston Globeによると、取り敢えず地球に残された石油は、7~9兆バレルで、これまでのところ1兆バレルを使ってしまった。

「なぁんだまだまだたくさんあるじゃん」ということにはもちろんならない(それじゃそんなに騒がない)。上記数字は、潜在的なもので、このうち使える量にまた議論の余地がある。悲観的なアナリストだと8500億バレル、楽観的で7兆バレルである。だからといってこの数字もPeak Oil (Theory) とは関係がない。

焦点は、どのくらいの割合で石油を使っていけるかである。つまりきちんとした割合以内で使う分には結構使え、その時間を使って科学技術の発達などが見込めるのだが、昨今の中国・インドの需要が予想以上なため、供給と需要の差ができ、その結果値段があがるということである。2%足りないだけで、価格は2割増になるだろうという試算がされている。そしてその価格上昇のために買えない人間は、衣食住にさえ困るレベルの問題を抱えるということである。

いずれにせよキーワードは効率になる。そのため地政学、倹約、そしてテクノロジーがものをいう。それぞれ詳細な説明があるが省かせてもらって、このなかで僕にも実施できるのは、倹約である。「フランスからあれを輸入、オーストラリアから」なんていっていられない。自給自足に近い生活が理想とされる、という。

これまで知らなかったが、石油というのは、持ってくるにしても、FPのこの記事でのMattew Simmonsという石油系の投資家によると、大きな量を1回に運べば経済的だからというような考えで運んでしまってはいけない物質らしい。海の中を運ぶのがいいらしい。

ワルターのブル8

2006-03-29 23:59:55 | 音楽
いつもと順番が逆ですが、今日の音楽対決結果:第78009回ブル8決勝結果

1) ワルター(NYP in 41)
2) フルトヴェングラー(BPO)
3) シューリヒト(NDR)
4) クナ(ミュンヘン)
5) ヨッフム(バンベルク)

録音が古くて(41)、ノイズもひどいんだけど、ワルターの歌いっぷりは、仕事の手をとめさせる!やっぱりワルター!

しかしっ、これからブル8を聴こうという方には、シューリヒト(VPO)がオススメです

追伸1:NY Times によると、1973年の今日(3月29日)は、ベトナムから最後のアメリカ兵が引き上げた日。死者4万6千、負傷者30万人は、南北戦争、ふたつの世界大戦に次いで4番目だった(最終的な数字は、死者5万8千226名)。いろいろいいたいこと(はっきりいえばイイワケ)はあるようだが、最後に載っている兵士へのインタビューで、「幸せかそれとも悲しいですか?」の問いに「ノーコメント!」がすべてを表しているように感じる。

追伸2:ワシントンポストによると、先日(ずいぶん前だが)の中国の日本領海内潜水艦侵入は、中国が、日本がどこまで戦争の意志があるかをみるためだったとあった(先日のイオキベさんが出ていたNHKの現代ジャーナルでいっていたこととは違う)。「中韓と異なり台湾では日本の植民地化はそれほど」とか、「日本が台湾有事への積極的に関わることは、台湾の現在の与党だけでなく、アメリカにとっても好都合」といった記事は、日本にとっても好都合だと思う。それからこの記事のモト記事は、サカモトなんとかさんという反日で有名なひとのものらしいが、そんな感じはしなかった。

追伸3:Boston Globe (123)でここのところ盛んに論議された車の運転免許が与えられる年齢引き上げ。ティーンエイジャーは確かに向こう見ずなところはあるが、16歳から17半歳に引き上げて、どれほどの差が?一応統計では17歳の方が事故を起こす確率は少ないようだが、完全な指標のない問題に、書き込み欄では喧々囂々だった。 

コルトレーンのマントラ

2006-03-27 22:21:38 | 音楽

今日のワシントンポストに St. John Coltrane African Orthodox Church の記事があった。この教会は、その辺の旅行パンフレットをみると、観光名所みたいだが、とても宗教的かつ開かれた教会である。

この教会をつくったのは、Franzo Wayne King という男(写真)で、1965年にコルトレーンのコンサートで「洗礼」を受け、1971年にこの教会をつくった(自身1982年にBishopとして認められ、そのときコルトレーンもSaintになった)。

教会と名前はついているが、キリスト教とかユダヤ教というわけではない。マルコムXのように、God遍在を感じ、密教のようにすべてがひとつと感じたコルトレーンは、はじめはクリスチャンだったが、イスラム、ヒンドゥー教、仏教とすすんでいき、真言(マントラ)に行き着き、最終的には、それ以前に勉強していたギリシア時代の音楽、つまりひとを癒す力のある音楽を求めるようになった。マントラとしての音楽ということである。

今更ながらすごい想像力だったと感心するが、コルトレーンにマントラまで感じたことはなかった(イイとはすごく思うけど。聴いてみたい方はコルトレーンをクリックしてください)。

この記事を紹介したくなったのは、ここ一週間ほど、ブレイクの詩を介して宗教の統一について、ある熱心なキリスト教信者であるアメリカ人と議論していたが、最終的に彼からメールがこなくなって3日たったから。コルトレーンの音楽が本当のマントラになってくれたら、と願っているからかも。

追伸:今日の音楽対決結果(第58908回ベートーベン交響曲3番:予選B組)

① シューリヒト(VPO in 61)   ② ワルター(SOA in 57)   ③ フルヴェン(52)


小早川伸木の恋

2006-03-25 17:06:54 | 文学
『小早川伸木の恋』というドラマが去る木曜日に終わった。結婚後10年たらずの夫婦(5歳くらいの娘あり)が主人公で、テーマは、夫も妻もそれぞれの10年で変化しているはずなのに、お互いパートナーだけは結婚した当初のままだと信じ込んでいたことによるスレチガイだった(最終回をみてわかった)。

妻は、夫から結婚当時の頃の愛情を求めるが、娘の父と仕事でも中堅どころをこなす夫にはそれに応えられる余裕がない。一方夫は、そういういくつもの草鞋を抱えているときこそ結婚当初のような永遠の味方としての妻を望む。物語は、このスレチガイに疲れた夫の前に、「たおやか」な女性が現われるところから始まる。

ところで「女」偏に「弱」と書く「たおやか」とは、「女が弱い」という意味ではない。「弱」という字はもともと「弓」から来ていて、「しなり」というか「しなやかさ」のあるというすごくいい意味。そしてまさにこのたおやかな女性を演じていたのが、数年前NHKのドラマで魅かれた女優だったので、夫がその女性に魅かれていくさまは殊の外自然にみえた。更にこういう不倫ものによくあるように、超えそうで超えない一線が、鼻の先にぶら下げられた人参のように作用し、ついに越えたときには、あの水しぶきの図がみえた。岩に打ち付ける波の図である。

ここでやや自己省察傾向の強い僕は、波が引いたあとの砂浜に立ち尽くして夢想にふける。その水しぶきは、僕のなかにある種の快楽を与えた。しかしその背後に何かにごったものがあった。「やましさ」のようなものだ。なぜ快楽たる水しぶきの向こうにそんなものがあったのだろう。

ライオネル・トリリングによると、19世紀中頃から1980年代までの文学は、モラルを軸とする社会生活のなかのリアリティだった。文学は、もともと文章の学問であり、書く内容は決まっていない。その時々のひとが、最もリアルに感じるものが意識されているかどうか知れぬまま主題として選ばれていく。

そしてトリリングは、リアリティとは、ニーチェのいう人間の悲劇にあると「感じた」(文学は書く対象が確定していないのだからペダンチックであってはならないので「感じる」になる)。つまり、欲望や残虐性を我を忘れて発揮したときの方がリアルだということが人間の悲劇だということだと思う。

だからといって人間は、そのデュオニソス的なものに身を任せきっているわけではない。マンの『ヴェニスに死す』でいえば、主人公が自らの同性愛傾向を苦に死ぬのではない。そういうデュオニソス的なものを超えるアポロ(理性)があるから死を選んで再生を望んだということになる。

そこで社会は、この死(残虐性)を裁可する法を有すことになる。この記憶がなければ、誰が社会生活を営むだろうか、ということだ。そしてここで重要なのは、トリリングが、こういうニーチェのシニシズム的考え方は信念でもなければ態度でもなく、方法と言い切っているところ。このシニシズムがなければ、死刑を有す我々に「やましさ」は生まれないはずということになる(こう考えるといかに人間にすべてを見通すことができずまた自らも罪人であったとしても死刑はなくすべきではないことになろう)。

この死刑裁可の延長上にがんじがらめのモラルがあって、そのなかに不倫という項目がある。少なくともこう考えるから、ある種のやましさとともに水しぶきがみえたのではなかったか。そしてそうでなければ、ドラマの中の夫と妻も、再び社会生活に向けて再生するはずがない。

というわけでこのドラマ感心した。それから、社会を構成するのは倫理ではなく芸術だといったニーチェの言葉の正しさも実感した次第。

ICHIRO!

2006-03-21 23:48:23 | 将棋・スポーツ

"ヤキュウが最高だった 日本勢いが勝因と米国報道 (共同通信) - goo ニュース"

やったね日本、野球で世界一!

つくづく野球は、確率のスポーツだと思った。どんなにすごい選手でもいつもホームランが打てるわけじゃないし、三振が取れるわけじゃない。プレイヤーがそれぞれ好不調の波の中にいて、しかもいろいろな相性が交錯するなか、9回ずつ分配された攻守のチャンスを1ゲームとして、勝ちを拾わなければならない。

だから潜在的な本当の力がそのまま結果に結びつくとはいえない。あのアレックス・ロドリゲス(ヤンキース)と里崎(ロッテ)のどちらを自分のチームの助っ人に欲しいかといわれたら、ロドリゲスだと思うが、今回のシリーズでは、打率3割3分3厘、本塁打ゼロ、打点3のロドリゲスに対し、里崎(ロッテ)は、打率4割9厘、本塁打1、打点5である。王さんが今シリーズのラッキーボーイと呼ぶのも無理はない。

そこで重要視したくなるのが、できるだけ確率が安定した分野。基本的に打撃は水物なので、投手や守備力を含めた防御力(打撃よりはるかに安定感がある)、確実な攻撃力(バント、エンドランが出来るミート力と走塁)、指揮官の見識および勝負勘、そして選手の気力・胆力・平常心、といったところだ。

だとして、日本の勝因は何だったのだろうか?一応主要な数字は以下のように出ている。

 チーム(勝敗)   打率  本塁打   打点  防御率
 日本(5-3)    .311       10          57       2.49
 キューバ(5-3)    .281        8          41       4.13
   韓国(6-1)       .243        6          26       2.00
プエルトリコ(4-2) .286       8           31       2.08
   米国(3-3)       .289       9           32       3.75
 メキシコ(3-3)     .233       5           21   2.77
   (詳しい防御力攻撃力の成績)

これをみると、日本は、本来水物の打撃力で勝ったといいたくなる。日本は、防御力も素晴らしいのだが、韓国と比べると、見劣りする。しかしこれら打撃陣の数字は、先ほどもいったように、結果論みたいなものなので、僕が見た限りでも、この打撃力を第一の勝因として挙げている記事はない。上記のGooによると、あるアメリカの記事にメキシコがアメリカに勝った「勢いにのって勝った」とあるらしいが、打撃力は、その「勢い」みたいなものだ。

それもあるだろうが、それだけにされてたまるもんか

まず采配力。MLBのこの記事では、キューバ戦に限ってだが、松坂の好投、キューバのベストピッチャー2人がプエルトリコ戦に投入されてしまったことを挙げている。確かにキューバ先発のロメロはよくなかったから、キューバ側の采配に落ち度があったということだろうが、松井(ヤンキース)もいっていたように、福留や宮本の代打は起用はドンピシャだった(ここも参照)。王さんの読みもよかった。

もちろんこれだけではない。が、ここがよかったと指摘するのは難しい。上記打撃以外は、数字に全く出てこないからだ

強いてあげれば、総合力とでもいおうか。MLBのここにもそんな記事がある。日本は、アメリカと比較して、本田やトヨタのようにすべての面において抜け目なくすばらしいと書いてある。

CubaのCapeba(今大会2HR、8打点、打率3割8分5厘)も同じようにいっている、キューバはしっかりとやったが、日本は、それよりもうまかった、と(ここ参照)

朝鮮日報でも、日本に劣っている点として韓国チーム攻撃陣の偏り、逆に言えば、日本は、9人が9人とも何でもできる選手が揃っていることを挙げている。

結局確率のスポーツである野球での勝因は、「総合力で上だった」か、「勢いがあった」くらいしかいいようがないのかもしれない。そして実際に野球で勝つには、人事と天命、両方とも必要なんだろう。要は、必要なときに必要な行動がとれるかどうかなんだから。

そうなると僕は、Japan世界一の原動力に、イチローを挙げたくなる。日本チームに天命を授けたのは、神か仏だろうが、人事の方の縁の下のなんとかだったからである。バッティングも素晴らしかったが(ほしいときにうった)、シリーズ全体を通じ日本チームのリーダーだった。

司馬さんがよく書いていたが、日本人には、成功した英雄というかリーダーがいない。信長はいろいろ革新的だったが、結局まわりの人間につぶされる。司馬さんは、日本は人間関係が英雄を潰したとまでいっていたと記憶する。結局出る杭はうたれる、というのが、この国の習性らしい。

しかし集団としての仕事はできる。倭寇のときのようにいいリーダーができたときなどはとてもよかったと陳瞬臣さんが書いていたような気がする。ただリーダーを頂くのが難しい。同じ釜の飯をともに食ってきた仲間からリーダーがでることを厭うらしい。

そういうリーダーというか英雄になる条件として、エリアーデだったか誰だったかによると、外の世界で活躍して帰ってくる、というのがある(オデュッセウスも海外で功をたてて戻ってきて更に国内でも活躍する)。

イチローはぴったりだった。安打製造では、世界一の男であり、自らものべていたようにこの自信によって、日本人に不慣れな国際的な状況で普段の行動をとることができる。

とにかく日本は島国であるためか、国際的な状況に不慣れで、よっぽど優劣がはっきりしてる場合を除いて、そこで受けるストレスを取り除いたり紛争を解決せず、国内に帰ってくればそのストレスや紛争はなくなると考えて我慢することが多い。だから先が見えない外交上の交渉事にも、上手・下手をいう以前に執拗さがない。

しかしイチローは、見知らぬ他人が大勢いるなかで、先が見えなくても、そこに立って、自分のしなければならないことをやりとげられる。しかも日本のリーダーがリーダーになれない理由として司馬さんが挙げていたことだが、日本のリーダーは結局ひとではなく、天命(虚)であるから、イチローは、そうした空白状態を王さんを媒介にするような形でつくった(意識したかは別にして)。

というわけで、とっても嬉しかったので、当分残しておこうと思っていた黒龍の火いら寿、空けてしまった。

栓のところには、「黒龍 直詰厳封之証」とある。

NY Times の記事はこちら。


叡山

2006-03-19 18:42:02 | 雑談(ジョーク)
比叡山延暦寺に行った。といっても根本中堂のある東塔エリアだけだった。美味い酒ほか、即効性のあるご利益をもたらす薬師如来がいるからではない。おつむの弱い僕に必要な、知恵を司る文殊菩薩像があるからでもない。正月から3月19日までは閑散期で、交通手段が限定されるからだ。無論そんなことは承知の上である。

叡山に来たのは2回目。交通事故で1年半寝たきりになって、社会復帰をしようとしたとき、自身に自信をつけたくて長い距離を歩くことにした。松葉杖をつきながら静岡から滋賀まで歩くつもりだったが、すぐ不可能とみて電車に乗った。気分は、ブラックジャックだった(ブラックジャックも大事故から復帰するとき日本を一周した)。

そのときは、東塔、西塔、横川すべてをまわり、特に横川が一番印象に残っている。叡山内の宿泊所に泊まって迎えた早朝、杉の木立に立ち込める朝もやに、比叡に「日吉」という字を当てていた太古から息づく神々を感じ、そのなかを最澄、円珍、円仁や、名もなき修行者がみえたような錯覚を覚えた。

ただそのときは、宮沢賢治が憧れた最澄くらいしか名前を知らなかったからわからなかったが、今思うと、回峰行中の相応だったかと観ずる。あれから十余年、彼らが走り回った深山の冬を間近にみたいと思って来た(3月では厳冬とはいえないが)。なぜなら彼らは一年中こんなところにいたのだから(観光地じゃない)!

3月15日ではあったが、寒かった。身を切る冷たさというより、氷の刃でゆっくりと僕を斬りはじめたお侍さんが、その途中でなぜかその手をとめ、「用事を思い出した」とかなんとかいってそのまま放っておかれたような寒さだった。当然動けない。にもかかわらず、一体どういう寸法の人間が暮らすことを前提に作ったのか、階段の一段一段が高すぎるし狭すぎる(写真にみえる階段は、一段が普通の階段の3段以上に感じた)。

当然かじかんで動かないはずの手足を緊張させずにはいられない!

特に文殊楼(写真の上部にみえる)の、2階に文殊菩薩像がいるので、少しでもあやかりたいと、手すりにつかまって登り(「昇り」ではない)出したが、三段ほど進んで、登ったことを後悔した。手すりの鉄は、氷のようだが(いや、氷はもっと温かい)、ここから手を放せば、僕は落下し、鮮血が飛び散って骨折するだろう。しかも登ったら降りなければならない!

この緊急事態に、ここ数十年使っていない、いや死ぬまで使わずにすませられたかもしれない細胞までが目覚めた。「最近デスクワークしかしていないから」とか「この腑抜けたこの身体を身心ともに醒ますにはちょうどよい」といった強がりをいう余裕は毛頭ない。喝をいれられているというより、死をつきつけられたような凄みがあった。

しかしこれが味わいたくてここに来たのだということを今書きながら思い出した。この苛烈さ、禅問答なのに、いきなり全盛期のフォアマンかタイソン(亀田兄弟じゃない)になぐられたような激しさを感じたくてここに来たのだった、来てよかったし、生きて帰ってこられてよかった。。。

京都再発見

2006-03-18 15:36:53 | 雑談(ジョーク)
ここ数日また京都へ行っていた。昨年7月、11月、今年2月と、ここのところ旅行といえば京都だったが、こうなってみると、自分でもなぜ魅かれるのか不思議になってくる。「また」と書いたのは、我ながら「多い」と自覚しているのはもとより、悪く言えば、今回は京都に飽きたと感じたところもあったからである。

「飽き」がきたとは、京都とこれからも付き合うかどうか悩む時期に来たということだ。これまではただ魅かれてきたが、京都のスキナところと付き合うのが億劫なところとがはっきりしてきた。スキナところは、厭世観付き仏教文化で、悩ましいのが、厭世観のない商業文化である。

司馬さんによると、仏教は、日本を統べる文明として取り入れられたあと、平安後半からは、天皇他貴族たちが逃げ込む場所になった。そこから生まれたのが、俗世間や生死を超絶した視点から発展した仏教文化だ(日本庭園や懐石料理などの)。

そんな意味で泉涌寺の本坊も曼殊院や青蓮院同様素晴らしかった。日本で最大の釈迦涅槃像が年1回公開される日だったので訪れたのだが、それより天皇家の別荘としての屋敷や庭園、そして楊貴妃がモデルの仏像の方が、品格があって魂を充足させてくれた。日本人の美意識は、現世を三界のうちのひとつとして超越し、そして再び現世に臨むところから生まれたのだと再認識した次第。

一方厭世観のない商人文化。商魂に始まって、上記泉涌寺の釈迦涅槃像が1年に一回だけ公開なんてのもキライ。三月のこの時期は、青蓮院から清水寺くらいまで夜景をライトアップする花灯炉があるがこれもキレイだがキライ。なんだかオブラートに包まれた体のいい「呼び込み」がイヤなのだ。

もちろん僕の日常にもそうした商魂があるわけだから、京都のそれをイヤというのは自分勝手である。しかし京都の場合、伝統があるためか麻薬みたいにまとわりついてくる。酒はうまいし、風格ある工芸品は、手に入れたくなってくる。こういう京都特有の「こねくりまわし」とこれからも付き合っていくかと思うと、ちょっとたじろいでしまった、というか、逆に、「厭世観」に飲みこまれてしまったというわけである。

もちろんこの2要素は表裏一体であり、日本の中世から近世の精神史のサイクルの一部である。「生きていく」には丹念に現実に対応し、本来ガメツクやっていかなければならない。ガメツくやっても「その先にあるのは死ぢゃないか」などと考え込んでいてはやられる。

そこで武器を手にとり、みながそれぞれの生を確保しようとする。が、武力は一過性だから、その土台になる商いで勝負する。商いは、一部の人間だけでなく、いわゆる大衆がその競争に参加することを意味し、結局個人の資質が問われることになる。

ヘーゲル風に大局観に立つと、これが、鎌倉、室町、安土、江戸という流れになる。そのひとつの完成形である江戸の近世を、司馬さんは、「ものの質量を大衆レベルで比較すること」と定義しておられたが、とにかく今回の京都旅行では、中世から近世までの司馬史観をみたような気がした。

さて、また働くとしよう。

Katrina 21

2006-03-14 18:36:03 | アメリカ
戦略とは、自分にとって生産的な二択問題を用意していくこと、というのが持論だが、その問題を提出するには、指標が適切でかつ公正でなければならない。あまりに自分本位だと足元をすくわれたりする。人間はすべてを見通せるわけではないが、事象の本質をとらえる指標が選べなければ結局判断力(intelligence)が欠如しているとみなされる。特にリーダーの任にあるのなら尚更のことだ。

Nagin現New Orleans市長が今そんな立場にいる。本来なら2月4日だったNew Orleans市長選が、Katrinaのために4月22日に延期になり、Washingtonpost (3/6)によると、3月第1週から選挙戦がスタートしたわけだが、Naginは、Katrina被災地の市長として、自分の不手際を隠すために、なおかつBlanco州知事ら民主党系の反政府キャンペーンと共同したため、アフリカ系アメリカ人よりになりすぎてしまって、当選時の「肌の黒い白人」というイメージと矛盾し、白人からも黒人からも疑がわれている(少なくともメディア上では)。だからこそKatrina 18で紹介したように、1978年以来なかった白人市長の誕生が予想されているのだろう(立候補者は24名)。

そういえば先月、アラバマで教会が1ダースほど放火にあい、NY Timesによると、犯人が一週間ほど前に逮捕された。犯人は3人の大学生で、動機は、ただの酔っ払った挙句のJokeだったらしいが、捜査を撹乱するためBaptist系をその後もねらい、メディアではまた人種問題かとささやかれた(Townhallなど)。が、結果はご覧の通り全く関係なかった。人種問題は酔っ払いの大学生が使う程度のデマゴギーに過ぎないというわけだ(アメリカ保守4)。

それから19世紀New Orleansの名誉のためにもいいたいのだが、もともとこの街は人種や出身国籍での区画が法律で禁じられていた(だからこそジャズが生まれた、Katrina 20参照)。Star Parker がここで総括したように、人種と、政府ほかの不手際とは全く関係がなかったわけだ(数字での比較はKatrina 16)。

そしてParker は人種をこの論争のネックにしたためにふたつの間違いが起こった、と主張する。ひとつは、New Orleansの本当の貧困層が、自らの復興に本当に必要なガッツを政府への憎悪にしてしまったこと。これまでの不幸な歴史もあったから、政府の対応すべてを「Hate Crime (憎悪犯罪)」に仕立て上げさせた。これによって被害者意識が前面に出て、依存、依存という醜態をみせた。

ふたつめは、この依存が「大きな政府」を渇望させ、政府の対処もそのようになり、Katrina 復興の具体的な方策がうまくいかなかった。「小さな政府」はParkerの持論だが、確かに9・11のテロ以来アメリカは、Homeland Securityという巨大な省(労働者18万4千人、予算400億ドル)をつくり、このなかにFEMAなど、以前は20に分かれていた部署が収められている。これによって援助金の支払いなどに1億6千6百万ドルのoverpayment(払い過ぎ)が起こったとしている。

このふたつめの正否を判断する力は僕にはないが、そんなに間違っているとも思えない。最大の問題は、Katrina被害対策に完全(終わり)がないということだ。Boston Globeのこの記事は、フィリピンでの災害を問題にしているが、ちょっとだけKatrinaに触れて、自然災害の対処もまた将来を見越した目が必要だと述べている。被害は2次、3次と広がる一方で、とても補填できそうにないというわけだ。

Katrinaにも同じことが言える。Washingtonpostによると、2月の終わりの時点で、Katrina被害への寄付金30億ドルの約3分の2が使われたが、大きな進展がない。一方で2次、3次被害報告はあとを絶たない。Katrina後の停電で、320万パウンドの鶏肉が腐って、1マイル先まで悪臭が届いている(NY Times)とか、New Orleansで発生している汚水が人体に影響がありそう(Washingtonpost)だとか、農作物への影響(Washingtonpost)、といった具合である。

にもかかわらずここ(Townhall)にもあるように、共和党が選挙で勝つためだけにいろいろ方策をうっていっても、結局なしのつぶてになりそうである(これまで国が費やした27億ドルのうち、1円たりとも住宅の建て直しには使われていないというのだから全く先がみえない!) いい加減、政争ではなく、現実をみてほしいものだが、それには、Parkerがいう「小さな政府」政策は有効にみえる、といいたい。Katrina対策に「大きな政府」と「小さな政府」という二択は有効かもといいたい。

玩物喪志

2006-03-12 23:48:51 | 雑談(ジョーク)
いい天気だった。といっても僕の気持ちに余裕があったからだろう。ここのところはかどらない仕事にヤキモキして、年中睡眠不足のような気分だった。この開放感がなかったら、Digital Audio Player にキャンディーズ・ベストをいれたりしなかった(間違いない)。数日前「春一番」がやってきたこともあって、エルヴィスを引っ張り出したときにキャンディーズのCDも掘り出しておいたのだ!

しばらくうららかだなぁと思いつつ、これも僕の精神状態の良好さがなせるわざだな、と確認しながら歩いていた。そして一応理性とおぼしきものがある人間なのだから、あまり遭遇しないこの幸せな気分と光景を言葉で写し取ろうと思った。まず目に留まったのは、干してある布団だった。青空と陽と布団の白のコントラストが、片岡義男ばりの清潔さと清々しさを思い起こさせていた。

更に、もっと楽観的なCMも思い出した。洗濯洗剤のCMかなんかでごつい男が洗濯物に、気持ち良さそうに顔をうずめるやつだ。これも僕の気持ちが・・・と再度自分を振り返り始めた頃、雲行きが怪しくなってきた。ヘッドホーンから「引越し」という文句が聞こえ(キャンディーズの歌から)、更に誰かがどこかで布団を叩いている。

ここまで揃うと、どうしても「♪引越し、引越し、さっさと引越し(しばくぞ)♪」が思い出されてくる。そういえば奈良だったかで、迷惑防止条例が採択されたのされないのというニュースまでが思い出されて、あのおばさんの吠える顔が思い出された。このあたりが、もともと悲観的な僕という人間の悲しいところだろう。

そこへ頭上を戦闘機が轟音とともに飛び去った。そういえばどこかで米軍受け容れの住民投票がどうとかといっていたっけ、と連想がめぐる。イランがロシアの提案を退けたことを思い出し、日本人は相変わらず平和ボケしていて、やっぱり焦点は教育になるだろうか、などと考え始める。

そしてふと手に持っていたバッグの中身を思い出す。カルロス・クライバーのベト7(1982)だ。二週間程前だったか、いつも立ち寄るCDショップでこれをみつけて試聴し、クライバーの77年のやつよりいいと感じた僕は、ずっと買うか迷っていた。

いつもだったら買いだが、司馬さんの「玩物喪志」(無用のものを愛玩して大切な志を失うこと)と題したエッセイを読んで、趣味はホドホドにしないととこれまで2回見送った。しかもベト7ならフルヴェン(1943と1953)がいいし、十二分に満足している。クライバーは、これらを越えていないと直感してもいた。

しかし3回目にいったとき品切れになっていて、やっぱり買わなかったことを後悔した。こういうのは売れきれちまうんだっと自分の勝負勘のなさをなじって、その反省にたって今日は新宿のDisk Unionで買ってきたわけだったが、あの「引越しの」おばさんの顔を思い出してからこのCDのことを考えると、なぜか自分が玩物喪志している真っ最中にいるような気がしてきた。

今これを書いているのは若干気分がよくなったからで、その契機はふたつ。まずクライバーのベト7(82)がよかった、やっぱり丁寧さと筋目の付け具合がいい、これは買って正解。ふたつめは、黒龍の「火いら寿(ひいらず)生」(予約限定品)を飲んでるから。やっと手に入れることが出来た。凄すぎる酒だ。

しかしこれって、完全に玩物喪志ですからぁ~っ!(残念っ)