雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

パラダイム・シフト

2006-12-31 22:34:41 | 文学
つい関心を持ってしまうのは、既存のカテゴリーや枠組みに収まらないもの。

そのホコロビが新しいものにつながる足がかりになるかも、と期待しているからだと思う。

その下敷きには、ハラウェイに博士論文を書かせた、トマス・クーンのメタファーとパラダイムを使った説明がある。

彼の説明によれば、我々の知覚は、あるイメージをもとにしている。

1969 年に James Livelock が地球を「有機生命体=Gaia」にみたてたことで、地下水を動脈、河川を静脈になぞらえたりするようになった。そうしていくことで、単なる名前である「地球」に連想が付着し、「地球」の理解が始まった。

この場合、「有機生命体=Gaia」が「メタファー」であり、連想の全体が「パラダイム」である。

そして「発見」は、連想の全体であるパラダイムが、実際の地球に関する事実に違うときから始まる。

したがって「メタファー」の進化が、我々の知覚の進化ということになる。

例えば、光とは何か。

18世紀のニュートンは、粒子の集合ととらえたが、「粒子」では説明がつかない事象に出くわし、19世紀初頭には、「横波」、更に20世紀初頭には、波と粒子両方の性格を示す「光子」というイメージに置き換わった。

この粒子から横波、横波から光子へというとらえ方の変化が、科学の進歩だということである。

そしてハラウェイが使った「社会主義者」は、上記考えを社会そのものの理解と改善に援用することだった。

だからHaraway びいきとしては、既存の Stereotype やLabel からこぼれ落ちる事実に興味が湧くわけである。

その点、Minorities にそうした例がみつかりやすいのは、「中心」に属する人間には、はじめから人生の選択肢があって多様で Stereotype がつけにくいが、Minorities はそうではないという事実に帰着しよう。Feminism でいえば、woman が women になる、ということだ(もちろん中心に属するひとの力が落ちるとステレオタイプがつく、アメリカ白人や東大生のように)。

さて先日、African Americans のそんな例が、NY Times に載っていた。

African Americans といえば、奴隷制度や人種差別によって恵まれないというイメージがある。実際にそうしたことを裏付ける教育上の統計もあるし、年収でも違いがあるらしい。といって以前と全く同じではないのは、「混交」に例示した通りである。

が、上記NY Times の記事によると、African Americans も自分以外の African Americans の劣等感を拭えないでいる。例えば Baby sitter を頼むにしても、金のある African Americans は、African Americans に Sitter を頼もうとしない。なぜなら彼らにきちんとした教育ができる英語力(第二外国語としてでなく母国語としてである)がないというイメージがあるからだという。

こうした発見は、別に目新しいものではなく、何度も指摘されてきたことである。白人のなかには、African Americans さえいなくなればアメリカの犯罪はなくなると述べるひともいるそうだし、African Americans も成功すれば、ビバリーヒルズに暮らしたりするなんて一昔前いわれていた。

クーンによる、革命なり進歩は、そうした事実が何かをするうえでどうしても支障になる場合に起きる。もちろん既知のものを超える新たな知覚イメージを伴ってである。

このブログは、そんな発見を求めたいと思って始めたわけだが、僕の場合は、たとえ理論上であれ、まず言葉上での統合を求めたい(ジジェクは理論こそ大事といってたね!)。

例えば人種差別をアメリカで決定的にした奴隷制度について再び考えてみたい。

アリストテレスの『政治学』に、奴隷の存在は致し方ない、と出てくる。国家を形成するのは、異なる人々だから、その間にはなんらかの指標なりによって支配関係が出来上がるから、というわけである。

ただしその支配者は、奴隷がいることによって、自らの幸福を追求するわけだから、その体制の維持を図るためのルール(=徳)が必要になる、という。

そして支配者には、支配者としての徳が、奴隷を含めたあらゆる階層にいるひとよりも多く必要とされることで、その体制維持への貢献がなされなければならない、と。

これが社会構成員全員に分け持たれている状態は、大同に近い。

しかし分け持たれない場合には、仕方ない二次策として「礼儀」を重んじることにするというのが『礼記』。「礼」は、僕流にいわせてもらうと、「貸し借り」をならすことであり、儒教にも繋がっていく。

それでうまく行かない場合は、次点の策として法治主義になる。そしてアメリカの奴隷制度は法制化かから始まっている。所詮三番煎じによる秩序だということである。

問題は、奴隷制度の是非ではなく、他者との関係のあり方であり、僕は言葉(メタファー)による統合を探したい。木田さんによるハイデガー理解では、これを一元論への回帰としているが、僕も同意見。

人種差別が「区別」ではなく「差別」であるのは、人種という区分けがすでに存在することだということ。

それではみなさんよいお年を。

追伸:今日のお供は、久保田千寿。先日亡くなった師が好きだったやつで、僕も実は学生の頃から久保田会入ってます。

無差別級

2006-12-30 10:25:12 | 音楽
独断と偏見で、2006年に発売されたなかから選んだBEST CD です。今年の制約があるとClassic とBlues が入りませんね。今年は個人的には、ワグナーとドヴォルザークの年でした。

2006 Best CD (Open Weight Category: 無差別級)
①You Stepped Out of a Dream: Tonu Naissoo Trio
②Brahms Sym. No.1. 第4楽章(1945.1.23):BPO:フルトヴェングラー指揮
③Paz: Nino Josele
④Raw Materials: Vijay Iyer & Rudresh Mahanthappa
⑤Swing Swing: Nicolas Repac
⑥Lach Doch Mal:山中千尋
⑦European Jazz Sound: Michael Naura Quintet
⑧Thelonious Monk with John Coltrane
⑨Sonny, Please: Sonny Rollins
⑩さくらさくら:白木秀雄
⑪Bei Xu
⑫Oneself-Likeness: Quasimode
⑬夢で逢いましょう:村上ゆき
⑭バルトークピアノ協奏曲2番:リヒテル
⑮Cure Jazz: 菊池成孔
⑮12人のベルリンフィル・ソリストたち

追伸1:Bostonglobe に NY の Jazz Club 案内があった。最寄の地下鉄の駅と大体のチャージ料金がわかる。

追伸2:同じくBostonglobe に、Chicago の Blues を聴ける店案内がある。Eric Clapton が「世界最高のギタリスト」と呼んだ Buddy のインタビューとの案内もある。

拉致2

2006-12-29 13:55:53 | 時事
NYタイムズ拉致「扇動」記事 政府が反論文投稿(産経新聞) - goo ニュース

中山恭子首相補佐官同様、オレもそう思った。この記事はまるで日本の右翼が先導しているかのような勢いだった。ホントにこのノリミツ・オオニシというひとはいつも政治色が濃いというか、どこかイビツな記事を書く。いい加減にしてほしい、月夜の晩ばかりねえぞ!

以下が中山補佐官の Herald Tribune に載った文章。小さい。

Abductions in Japan
日本における拉致

Regarding the article "Abductions energize Japan right" (Dec. 18): Abduction of Japanese citizens by North Korea is not a pretext for political manipulation. This is about rescuing our citizens.
拉致が日本の右翼を活性化」(12月18日付)という記事について。北朝鮮による日本人拉致は、政治的な操作をねらった詭弁ではない。これは、同国人を救うことについてのものだ。

Many Japanese abductees have been incarcerated in North Korea for nearly 30 years and deprived of all freedom. They deserve all possible support to regain their freedom and dignity. It is our duty to retrieve them.
多くの日本人拉致被害者が、北朝鮮に閉じ込められてから30年が経とうとしている。あらゆる自由を奪われてきたのだ。彼らが自由と威厳を回復させるためであれば、あらゆる可能な支援を受けられるはずである。

And abduction is very much an ongoing problem. Only 5 abductees were repatriated in 2002, and North Korea has failed to provide any convincing evidence to support its claim that the remaining Japanese abductees have died or never entered their country.
そして拉致は、継続中の問題である。2002年に、5人の拉致被害者だけが日本に送還されたが、北朝鮮は、残る日本人拉致被害者が亡くなった、もしくは拉致などされていない、という主張を裏付ける納得のいく証拠をいまだ提出していない。

The recent UN General Assembly resolution on the human-rights situation in North Korea is testimony to increasing international awareness of the need to resolve this issue.
北朝鮮における人権についての、最近の国連決議は、この問題を解決する必要性が国際的に認知されたことを裏付けるものである。

Kyoko Nakayama, Tokyo Special adviser to the Japanese prime minister on abduction
中山恭子 首相補佐官(拉致問題担当)

先日も「死刑制度」で触れたが、最近はステレオタイプというか思い込みが物事をリアルにみるのを妨げるケースが目に付く(Norimituの場合どうも日本を右翼国にしたてあげたいらしい)。

Katrina の後始末での、人種差別やるに決まってる、っていう決め付けなんかもその典型だったが(友人の彼氏のカナダ人が自信を持ってあれは人種差別だといってたのを思い出す)、既存の分類項ですぐ今目の前にある問題を処理しようとするな。

拉致というのは、とりあえずきちんと社会生活をしている人間が、誰かの意志のままに自らの意思決定する権限を奪われることをいうんだ。こいつは、権利とか義務とかいう言葉が出来る以前に、あらゆる生きものが嫌う束縛だ。ノリミツ、お前に想像できるか。できるわけないよな。世の中右と左だけじゃないんだ。

ともあれ、少なくとも新聞たるものもう少しバランスのとれたひとに東京支局長を務めて欲しい。一応名称は政治団体じゃないんだから。そしてこういうのを騒ぎにしないと、こういう輩がずっと編集主幹なんかをやったりする。気をつけましょう、日本人のみなさん。

拉致1」はこちら。

ちょっとですが英文はこちら

硫黄島からの手紙(加筆)

2006-12-28 21:21:46 | 歴史
楽しみにしていた『硫黄島からの手紙』を観に行った。とにかくクリント・イーストウッド監督ということで絶対観ると決めていた。

彼の作品は、最近は音楽のものしかみてない(「Monk」参照)が、本質を抽出してる、と感じてたからだ(南京大虐殺を彼が撮るという噂が流れたときも、中国よりのものは少なくともできないだろう、とむしろ楽しみしていた。Piano Blues もよかった。そこに使われた音楽はCDになってるが、たまりませんよっ!)

タイトルの「硫黄島からの手紙」は、硫黄島で散っていった日本兵が最後に家族にあてた手紙が洞窟中から掘り起こされ・・・という意味だが、ストーリーは全篇守る兵力も手立ても、また守る意義さえ見出せない硫黄島を大本営の命で死守することを決めた日本兵が全滅するまでのものである。

ストーリーだけでなく、自分の評価基準はいかに本当(リアル)のことをいっているかになるわけだが(師の評価もそうでしたね)、この作品も本当のこといっていると感じさせてくれた。

その本当のこととは、戦争反対とか、軍部の横暴だとか、アメリカの戦略だとか、その出来事を判断しようという意志を超えて、「『功名が辻』最終回」にも書いたけど、ただその瞬間というか出来事に居合わせた人間が、自分が正しいと思う範囲内で行動をやり遂げるその行為そのものが描けるかどうかにある、と思う。

そしてそれが描けたとき、Real なものを前にした聴衆なり読者は何も出来なくなる。ただ受けとめる以外ない。なぜならそれは「生きている」からだ。「生」は解釈できないからだ。

更にいえば(今シャブリを呑みながらなのでよく喋るのだが)、「生」とは自分と相手と彼らを取り巻く情勢の混合である。そうなると境界がなくなって輪郭がなくなって判断ができない。一が多であり、同時に多が一である、という華厳経の世界になる。本来歴史の生き証人とは、そのような事象を感じさせる存在であるべきだと思う(「真珠湾に思う」)。

追伸1:手紙といえば、NY Times (27日)によると、フセイン元イラク大統領がイラク国民に手紙を送った。「イラク国民にアメリカ主導の軍を憎まないように、憎しみは公正さを欠く」と書いたらしい。また、自分は殉教者として死ぬ覚悟が出来ている、とも語られている(らしい)。それからNY Times (28日)によると、フセインの死刑執行が波紋を考えると・・・といった心配が載せられている。

更にBostonglobe には、フセインの30日以内に行われる絞首刑に反対する「多様な理由」が挙げられている。今回の死刑理由は、1982年の処刑だけで、クルド人に対するそれは含まれず更なる虐殺についてはこれからも審議することになっているからとか、裁判官の安全が確保されていないとか、読んでいると、どうして30日以内に処刑することになったのか首を傾げたくなってくる。

追伸2:来年1月発売予定の Sonny Rollins の SONNY, PLEASE が出たっ!なかなかいい。はじめの2曲はやや堅い感じで、Rollinsらしくない音だといぶかしんだが(何か処理がしてるのでは?と)、だんだんRollins のTenorに聞こえてきた。2曲目は、僕が昨年11月に大阪で聴いたものでもあった。それから大ニュースなのは、てっきりRollins は引退かと思ってたが、日本にはもう来ないだけで、ホソボソと続けるらしい。日本に来ない理由は、成田空港の歩く距離が長すぎるからだそうだ。とってつけたような理由で寂しい。

追伸3:「破壊者」を無視する余裕など日本にはない―フィナンシャル・タイムズ (1)(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース 同記事内の「エリート」は単なる既得権益者(=政治的な意味での実力者=本当に実力があるという意味ではない)だ。「エリート」ではない。ホエリエモンについては、以前触れたように、彼に必要だったのは家康の政治性。

訃報

2006-12-27 19:15:07 | アメリカ
最近訃報が多いが、今日は全部NY Times (12/27)から「死」にまつわる記事。

1)まずなんといっても、第38代大統領Gerald Ford(NY Times)。

今年1月に肺炎に罹って以来入退院を繰り返していたらしいが、93歳という年齢は、2004年に亡くなったRaegan を超え、今までの最長命だった。

スポーツマンで知られるクリーンなイメージから、ケネディ大統領暗殺調査の責任者になったりしてたのに、結局ニクソン訴求には甘い顔をしてしまったのがよくなかった(裏取引疑惑あり)。

ただGallup の世論調査をみると、20世紀後半の大統領のなかでは、Kennedy、Reagan、Carter、 Clington に次いで、是認度が高い(60)。

Washingtonpost はこちら。そしてBostonglobeがこっち

2)それから音楽では、数日前に亡くなった James Brown。NY Timesのこの記事 では彼がどんなに多才だったかが綴られている。Musician だけでなく、Producer でもあれば、Sex Machine でもあり、Bussinessman でもあった、というわけ。彼の店にいったときは、僕は単なるビジネスマンだと思った。。。

3)更にフセイン元イラク大統領が死刑を30日以内に、という命令を裁判所から受けた(NY Times)。不謹慎だが、こういう場合、助動詞Must が使われるんだな、と思った。裁判所での被告への尋問は、拘束力があるから、Will で始まる疑問文が多いが、さすがに、ひとの生死にはそれなりの配慮があるんだな、と思った。Washingtonpost はこちら。そしてBostonglobeはこっち

4)最後は、Cuba 大統領のCastro (80歳)。最近アメリカで特に、癌で余命数ヶ月などと考えられていたが、スペイン人医師が、死ぬどころか、癌でさえないといったらしい(NY Times)。

追伸1:遅ればせながら、1945年1月23日のフルヴェンが振ったブラ1第4楽章を聴いた。凄まじいですね、これ。なんというか心眼が開かされる思い。

追伸2:ドヴォルザーク交響曲8番対決:①ノイマン(チェコ)、②セル(シカゴ)、③小澤 ④ジュリーニ

追伸3:最近再放送の『結婚できない男』を観てるのだが(明日も録画しなきゃ)、ホントに顔以外は阿部寛のいってることは僕と同じだ。牛乳にこだわりがあったり。。。ヘンクツな男なんだなきっと。

聖夜

2006-12-25 12:00:34 | 雑談(ジョーク)
先日忘年会でおじさんたち(名前は挙げない)がおしぼりをもらうや、メガネをとって顔をごしごし拭き始めた。ごく当たり前な感じで・・・。なんか、こう・・・。オレはおじさんになっても絶対アレはやらんっ、と誓った。。。

さて昨日はX'mas Eve だった。オレときたら、連休でやっと時間がまとまってとれたからってんで、神田の古書店街や新宿・紀伊国屋や下井草書房まで足を運び、Disc Union で地道に物色してるというのに、世間は恋人がどうとか、あの定番のクリスマス・ツリーを後ろから照射して、飾りの星々が輝いてマブシイっなんて光景がその辺にウジャウジャあったわけだが、そんなのウラヤマシイじゃないかっ!

そういえばオレと似たりよったりなのがいたな、とサザンテラスのあたりを歩きながら思い出した。数日前、最近いい奴だなと思い始めた体育会系の乙女のひとりがオレんとこに来て、

「ねえねえ、X'mas Eve 何するんですか?」と訊くので、

「そりゃ俺ぐらいになると、手持ちが多いから、誰と過ごすかは天のみぞ知るだな」と応えると、

「それを未定っていうんですよ」と核心をつきつつ、「あと3日で誰かみつかるかなぁ、あたしと過ごすひと。。。」とぼやきつつ去っていった。

僕は、「おいおいそのまま立ち去っちゃったらアトクサレ悪いじゃないか、このままじゃずっとため息つきっぱなしだぞ」と思いながら後姿を目で追った。今思うと3日前のその瞬間からずっと木枯らしが吹いている気がする。

そんな光景を思い出すと夜風の冷たさが更に増して、僕のマシュマロのような頬に当たる風は、豆腐が鉄製のやすりでこすられるように痛かったが、そこは楽観的な僕のこと。もうひとり男でそんなことをいってたやつのことを思い出した。

彼は、「オレは、クリスマス・イブは外に出ないっす、絶対」とキッパリといいきったが、それをいう彼の目の真剣さが逆に悲痛で、つい哀れみの表情を浮かべてしまった。

そんな勘ぐりを静止しようとしたのか、「Stone さんはどうなさるんで?」と訊くので、

「そりゃオレぐらいになると、ジーザスにばっかり気を使ってらんないから今年は弥勒菩薩だよ」と自分でもわけのわからないことを答えると、

「オレと一緒ですね」という返事。

「一緒にすなっ!」とは心のなかで叫びつつ顔は微笑を保っていると、彼は口元だけで笑って去っていった。

寒空のなか、この2人を紹介したらどうなったか想像すると楽しかった。しかもそのままうまくいっちゃって結婚なんてことになったらオレはナコード頼まれるかもしれん、と思った。

おっと12:00で昼休みだ。ブログの更新は仕事中に限る。休み時間はしっかりやすまねば。

身の程を知れ(加筆)

2006-12-24 10:54:07 | 文学
定年を迎えた同僚が今まで世話になったと家康の遺訓を拡大コピーしてくれた。家康は達筆だなぁと思った。慶長8(1603)年1月15日に書いたものである。

人はただ身のほどを知れ草の葉の
露も重きは落ちるものかな

自身の評価をきちんとしないと、朝露が葉から落ちるように、社会に居場所を失う、ということだろうが、関ヶ原で西軍(12万)を8万で破った彼としたら、ある種の自信もあったことだろう(書いたのは征夷大将軍になる年)。石田三成にも秀頼にも淀殿にも上杉景勝や伊達政宗にも、それからの世の中を率いていく力はない、自分にはある、と思ったのかもしれない。

といって単なる自信家ではなさそうなのは、上の句の前にある遺訓を読むと推察できないだろうか。

人の一生は重荷を負て遠き
道をゆくがごとし、いそぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる
時を思い出すべし。堪忍は無事
長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事
ばかり知て、まくる事をしらざれば
害其身にいたる。おのれを責て人
を責めるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり

これを単なる少欲知足と解釈したのでは面白くない。このなかの「困窮したるとき」とはいつかを考えることで解釈に深みが増すと思う。

徳富蘇峰さんに伺えば、今川の人質時代をあげるだろう。三河の家来たちは人質にとられた若君竹千代にわずかでも意地悪やらなにやらされたくないから、今川勢には本当にヒクツなほどに平身低頭を強いられた。それをみていた幼い家康は、他人に自分の足元を委ねながらの危うさだけでなく申し訳なさまで学んだ。そしてこれは織田と組んだあともそうだが、弱小三河は必ず同盟関係を印象づけるために先陣を勤めるが、そのたびに家康の家来は、家康に恥をかかせまいと頑張る、これが三河武士を最強と呼ばれるまでにしていく。いわば主従関係の礎がこの苦労にあるとするわけだ。自然同盟相手というより主である信長にもそのまことを通した。それが信長と家康の最強タッグを作ったというのが蘇峰さんのお考え。

それを土台に、司馬さんに訊いてみよう。司馬さんだったら、その困窮したときに一向一揆をあげるだろう。このとき人間を本当に動かすのは何かを学んだのではないか。この一揆は宗教戦争で、家康とは所詮今生の付き合いだからそれを超える死後の世界での幸せと天秤にかけた一向宗信徒が反旗を翻した。この一揆を収めるのに苦労したのは、本多正信という野戦指揮官および謀略者がいたからだが(のち家康はその知略故に彼を帰参させ、徳川の謀略は彼が一手に引き受けることになる)、何より人間の安寧を確保せねば「露は葉から落ちる」と学んだのだろう。その意味で豊臣は、司馬さんの見解では秀吉の朝鮮出兵があまりに人民にとっては無思慮・無目的であったために、人心に安寧を揺るがすものという印象を与え、それが家康への期待となった、ということになろう。

「家康は国家の安寧を重視した」というのはよくいわれるところ。みなが安心できる方向に向かって、そのうえで自分にできることをしようとした。そのため時期を待つところに定評があるわけだが、彼も生身だから永遠に生きられるわけじゃない。最後の大坂・夏の陣、冬の陣はいささか強硬に過ぎ、「狸親父」というレッテルが、それまでの実直さを吹き飛ばした。また西国への脅威が、信長・秀吉が日本社会に取り入れかけていた貨幣経済を留保させて、源氏や足利同様、「礼」を導入させ、江戸前半に停滞を引き起こした。「礼」は、すでに無理をしている社会が導入するものだと僕も思う。司馬さんもあせっていたと述べていたと記憶。

とはいえ、なるほどなぁと感心してしまうのは、社会の中での自己評価の必要性。僕なんかすぐBig-headedになるから。。。そしてもうひとつ勉強になったのがみなが安心する方向に向かおうとするところ。これはある意味でイデオロギーだが、先日も書いたように現在支配的なイデオロギーは、資本主義(=自分の生が大事)。しかしこれによってみなが安心かというとそうでもない。しかしこれにかわる大きな柱がない以上、左翼傾向のあるリベラル派運動や主張はかき消されてしまう。どんなに森林伐採禁止を叫んでも伐採で生きているひとがいることを知ると黙らざるを得なかったり、どんなに添加物が悪いといっても、それで生計を立てるひとや食べるひとがいれば黙認する。家康は、みなが安心する妥協点を模索して、それに向かっていたとすれば、強硬な「狸親父」という振る舞いも、その妥協点だという気がしてくる(決して満足してなかったろうな)。

死刑制度

2006-12-23 22:54:36 | 時事
死刑制度の是非という問題の立て方は正しくはないと思う。

数日前、この事件について触れた記事がTownhallにあった。

結局法治主義を超えている。もともと罰と罪の間にも、有罪を確定するのも限界がある。

だから死刑を廃して生涯服役というのが妥当な線だという見解が Bostonglobe にある。これなら罪と罰の因果関係も、有罪確定の精度の問題を保留することができる。

最近、この意見を後押しする事件が去る12月14日に起きた。死刑執行は、死刑囚に苦痛を与えないことになっているが、一本目の注射が効かず34分間の苦痛を与えたためである(Bostonglobe)。

このハプニング(?)は、死刑反対者に追い風にはなったが、世論調査で依然として死刑執行賛成者が多いのは、取り敢えずそのまま死刑制度の是非を問うまでにしてはいけない、出来る範囲内で有罪が確定したものについては死刑は執行されるべきであると考えるひとが多いからだろう。同感である。

ただ罪と罰の曖昧な関係と、有罪確定精度の問題は依然として残る。

ブタ箱に入ることが本当に罰になっているのかわからないし、死にたいやつに死刑を食らわしても罰じゃない。極端な話、自爆テロには全く罰則がない。また、マイケル・ジャクソンO.J.シンプソンの事件のときのように、容疑者が認めなければどうにも有罪が確定しないものもある。

ひとつひとつ考えていくしかない。死刑制度の是非という枠組みはでかすぎる。


追伸1:司馬さんによると、毛沢東による共産主義は、それ以前の儒教と道教を基盤にした停滞イデオロギーにかわるためのものだったが、Bostonglobe によると、昨今の中国は、毛沢東を忘れさせようとしているらしい。

同記事によると、来年8月に中国ではじめてNFLの試合がある。プレシーズン・マッチではあるが、the New England Patriots 対 the Seattle Seahawksの試合で、この試合は、同記事によると、中国人に「競争する社会」をイメージづけるためだという。

さらにこちら(Bostonglobe) には、中国の「奇妙な」資本主義に注目した記事があった。

追伸2:6ヵ国協議終了。日本の佐々江代表が「これ以上やっても・・・」といったらしい(Washingtonpost)。日米側は、更なる国連での制裁決議のためにむしろこれを期待していたろう。当然こうなった場合を想定している中国もしくは北朝鮮はどうするつもりか。

追伸3:Toyota来年は、世界一に?(NY Times)。

差別か区別か

2006-12-20 22:25:36 | アメリカ
Star Parker の人種差別に関する記事を読んだ。

現在における真の差別の問題は、アフリカ系アメリカ人が、差別の所為にして社会福祉をあてにしたり、白人の裕福な女性が「かわいそうに」と思うような、ステレオ・タイプこそで、白人・黒人共に責任がある、と一刀両断してる。

個人的にParker のこうした論旨が好きなのは、結局Haraway 同様「歴史化する視点によって与えられた今を精一杯生きる」という結論になるからだと思う。

同じくTownhall のNathan Tabor もほぼ同じ論旨。

例のCalifornia のコメディアンのN-word は、白人の彼が使えば大騒ぎだが、アフリカ系アメリカ人が自らのアイデンティティに使ったり、ちょっと悪ぶるとか仲間への親しみを表すのに使うことこそおかしい。アフリカ系アメリカ人も使うべきではない、という。

話をParker に戻す。

彼女の論旨の裏には、個人から社会のレッテルをはぎとって、資本主義による競争社会に投げ込むことで問題を解決しようという意図があることはほかの記事を読んでも明白である。

こういう考え方があるから、白人と黒人の子供が学校に行く場合、学校を人種によって割り振るのはよくない、という考え方が出てくる(Washingtonpost)。

これがアメリカの資本主義がグローバリゼーションと呼ばれる所以であり、資本主義はいろいろな主義や宗教と共存することができる、とする。

問題はここから。

個として存在しつづける(勝てる)人間はそれでいいが、そうじゃない人間が人種や民族を問わず現われる。

だから区別と差別がつくられる(Walter E. Williams)。

結局区別がある以上、マイノリティは生まれるから、「依然として人種は問題(Bostonglobe)」ということになる。同記事によると、マサチューセッツでは、42パーセントの黒人、49パーセントのLatinos が過去に差別をされた、と感じている。

といってこの「感じている」がリアルとはいえない。

「感じる」とはこの上なく過去に形成されるステレオタイプに依拠する場合が多いからである。

南部のとある街に暮らす白人のおばあさんは、リンチの現場をみたこともないのに、夜寝る前にどこからかリンチの音が聞こえてくるなんて話もある(Robert Penn Warren)。

だからって、Michigan Civil Right Initiative としていかなる差別も禁じる法律がどこでも採用された場合(Bostonglobe)、既存の有力者の優位が確保され、マイノリティが被害を被る。

関連記事
Lincoln南北戦争前夜Feminism とPostmodern 3アメリカ保守12(左の右)健全な差別

追伸:ああいう勝ち方(=負ける要素をきちんとつぶして勝利への道をきちんと仕立て上げる)が亀田はできるようになったんだね。KOより価値あると思う。

Best 5s in 2006

2006-12-18 00:08:55 | 雑談(ジョーク)
2006年も残すところ2週間あまり。ちょっと早いけど今年のBest 5s第一弾。

<CD(jazz)部門>
1. 山中千尋:Lach Doch Mal

澤野工房から移籍1作目(だったけ?)。ピアノの実力は超A級とはいえないが、アルバム全体のバランスがいい。曲が進むにつれて、ピアノの重たさが気にならなくなる。好きなのは、3曲目のSerenade to a Cuckoo。

2.Thelonisous Monk with John Coltrane

Coltrane 生誕80周年版。昨年出た1957年11月以外のSessionsを収めたもの。Blue Monk ほか完成度が高い。

3.Bei Xu

New York で最初にライブを行った中国人ジャズシンガー。このひとも実力的には超A級とはいえないが(僕にとっての超A級はキャロル・スローン)、アメリカに留学中に歌い始めていつのまにかJazzシンガーになってたひとなんだから大目にみよう。というか、顔が僕好みだから仕方ない(笑)。

4. 村上ゆき『夢で逢いましょう』

実力派。これまでは英語でJazzを歌ってきたが、このアルバムは、坂本九の♪上を向いて歩こう♪ほか日本のスタンダードを唄っている。こっちの方が断然好き。疲れたときにいい。

5. 該当なし

<著作部門>
1. 『憂鬱と官能を教えた学校』ほか 菊池成孔

『ユリイカ』の特集号や、東大での講義録ほか、とっても愉しかった。音楽を筋道を立てて教えてもらった気がする。

2.『人権と国家』スラヴォイ・ジジェク

このひとからは体系化されたものを引き出すことはできないと思うが、ポストモダン的な本だった。ただ個人的には、60年、70年代の文芸批評を思い出した。つまり多文化主義やらポストコロニアルやら、アメリカはずっと以前からそうした問題を文学で表現していた。

3.『司馬遼太郎対談選集1-10』

4.『統帥権と帝国陸海軍の時代』秦郁彦

いつもながら歴史というのは飽くまでも過去であってその時間における距離もきちんと伝えてくれる著作。

5. 『ドイツ現代史の正しい見方』

以前も書いたが今までで一番面白かったドイツ史。


<惚れた女性部門>
1.北郷三穂子(NHK女子アナ)

朝仕事に行く前にみる彼女から元気をもらってた。惚れた。

2.相武紗季(女優)

1週間ほど前までなんとも思わなかったが、何かでみてすごくキレイだった。惚れた。

3.Bei Xu(Jazz Vocal)

今年のはじめに惚れた。こんなひとが家に待っていて毎晩、I cannot give you anything but love なんて歌ってもらえたらなんて、真剣に国際結婚考えた。