保守が現状維持派だとすると、過去の時点では、革新だったものが知らぬ間に現状に入り込んでいることがある。かつての革新が保守になるということだ。そんな一例が、
Townhall(January 2, 2006)でのウォルマートとジェネラル・モータース比較に顕れていた。
論は、保守派のTownhallらしく、アメリカ経済の不安を取り除く以下のような数字を示すことから始まっている。
《示された数字》
・Katrinaにもかかわらず第3四半期の経済成長率は4.1%(10期連続で3%を超え)。
・また失業率5%は、1970、80、90年代の平均より低い。
・2003年4月以来新しいネット上の仕事が510万できた。
・Core inflation(変動のある製品などを除外した物価上昇率)が2.1%だけ。
・ガスは、Katrinaで1ギャロン3ドルになったものの、現在は2ドル。
・生産成長率(2000ー05)が3.4%でここ50年で最高)
そのうえで、アメリカ経済の「マイナス」というか「下降」というイメージの源が、現在の民間部門1位のウォルマートと、1970年代に1位だったジェネラル・モータースにまつわる話のなかにみられるという。工場を閉鎖し、リストラし、破産におびえているGMと、お客さんに安く商品を提供することしか考えていないため、低賃金で保険がほとんどきかない労働者を持つウォルマート。確かにマイナスのイメージである。
しかし保守派Townhallのコメンテーターは、こうした現状を肯定しなければならない。なぜならそれがみんながいろいろな選択をした結果選ばれたはずの現状だからだ。彼はいう、もともと両者は並べるものではなく、「種類が異なる」企業で、両社の違いをみることによって、アメリカ経済が上昇傾向にあることをも示すことになるといいきる。
論を要約すると、GMからWalmartへという移行は、時代の変遷に合わせた「進歩」であるということ。それが「種類が異なる」ことにつながるというわけ。GMは、それまで職人がやっていた車造りをサラリーマンに任せるシステムを構築した。しかも上記記事にある通り、そのサラリーマンを守ることに重点を置いた。これが革新的なことだったわけだから、守らなければ、ひとは集まってこなかったろう。社会保険や給与などが充実し、一方消費者がないがしろにされていく。しかし外国メーカーと競争するようになると(70年代)、そうもいってられない。仕方なく社会保障は国に担当させることでしのいだが、古くなったシステムを温存したままただ表面的な処方箋をしていけば今のGMのように大幅な規模縮小が必然になる。
一方ウォルマートは、企業が生き延びるため、市場を重視した。つまり時代の流れに敏感に対応できることを念頭に置いて小売業を優先し、スーパーマーケットという形態を選んだ。消費者のニーズに応えるための流通システムを安価に保ち、かつそうした低価格を実現するために労働力も安くした。そして何よりウォルマートの問題とされる特徴となっているのが、そうした低価格を実現した被雇用者の安い賃金に加えて手薄な社会保障。
あまりに低いというので、左の
ニューヨーク・タイムズにもあるように、給料の8%の健康保険料を雇用者に裁定要求する法案がMarylandで通った。
こうした現状も肯定しなければならない(?)のが保守TownhallのコメンテーターMichael Barone。しかしその根拠がかつての革新(?)マルクス主義・フェミニズムがいっていたことに似ている。労働者が「正社員」ではないから社会保障が低くてもいいといっている。
マルクス主義フェミニズムが期待していたのは、人間には「必要労働」なる人間社会が存続していく基本的な労働(肉体労働や食糧確保など)があってそれが完全に充足された状態をめざした(この状態では人間が労働自体に束縛されなくなる)。そうした状態がすぐに来るとは思っていなかったが、テクノロジーの進歩によって「必要労働」が軽減されてそこに性差がなくなるほどになれば、女性が新しい安価な労働力として、主たる労働力:男性を脅かす(EU憲法批准に反対するフランスの労働者たちも安い労働力を嫌がっていましたね)。
それによって男性も「パートタイム=非正社員」になり、男女を問わず競争が起こって、その勝者が正社員として管理職になって高賃金をえる。マルクス主義フェミニストだけでなく、女性の社会進出を促進する前提条件として、こうしたテクノロジーの発展による労働状況の変革を期待した社会主義フェミニストは多かった。
もちろんこの現象はアメリカだけでなく日本にもあり、「勝ち組」と「負け組」という大きな隔たりをつくった。しかし今まで何例も紹介してきたように競争を認めるアメリカ保守であるTownhallは、こうした社会情勢を肯定する。Michael Baroneは、「正社員」ではないのだから、その目的は、単なる extra money を得るためだけだから社会保障は必要ない、という「勝者の見方」をする。高賃金を得たければ、競争に勝て、もしくは勝てるところへ行け、というわけだ。
アメリカ留学中消費者でしかなかった僕は、ウォルマートにはずいぶん世話になった。クーラーは、1万円だったし、ベッドも1万円しなかった。ただカーペットと同じならびにあったガラスのショーケースに拳銃の類があるのは驚いた。ショーケースにはカギがかかっていたが、銃を買ったお客さんがそれを持ちかえるときはその銃があらわなまま持ち帰られる。もちろんその頃は南部で狩猟が楽しまれる秋だったが。
銃に目を向けると、近年アメリカでは(特に北東部で)大型の銃が禁止され、護身用の小型銃が重宝されるようになり、売り上げも大幅アップしたと1年前くらいにいわれていたが、当然軽犯罪が増える。年末だったかワシントンで、国会議員がまた強盗に殺された。ワシントンでは、あまりに犯罪が多いため、銃の保持を規制した。銃があるから犯罪があるというわけで一般家庭から銃がなくなったのだが、なくならなかったのが、警察は除く一般家庭ではない家庭。彼らが一般家庭に犯罪に入りやすくなったと揶揄していた(ワシントンポスト)。
話がそれたが、保守Townhallとして面白いのは、一方でフェミニストを斬る記事も多いところ。次回の「アメリカ保守」は、その記事「フェミニズムは死んだが…」を題材にするつもり。