雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

ウエウエテナンゴ

2006-01-30 23:59:58 | 料理
The Exceptional Cup 2004で第五位に入った、グァテマラ・ホヤブランカを飲みに行った。酸味と苦味にズレがあるのにうまくまとめた作品。とにかく上品さがさすがといえる。

しかしマーガレッツホープのWhite Delight(紅茶だが)などにはとても及ばない(趣味の問題だが)。今手元にある、Tumsong農園のダージリン(セカンドフラッシュ2005年6月摘み;FTGFOP1)とも張り合うのは難しいところ(趣味の問題だが)。これらの紅茶が恐ろしいのは、なんといっても口の中をかけめぐるところで(決して比喩ではない)、この液体は生きているとしか思えない。一体何が起きているのか知っている方は教えていただきたい。

こんな風に紅茶や珈琲に手を出す季節はこの時期しかない。ほかの時期は、湯斗で中国茶を頂くのであまり手を出す気にならない。湯斗不在に備えて、年末に湯斗経由で購入させていただいた「佛(ほとけ)」(写真)がみてのとおり残り少なくなるため、ほかのものに目がいくようになる。以前にもかいたが、「佛」は、飲むと仏の境地になるという逸品で、味はかなり上質の珈琲のような感じ(趣味の問題だが)。

それにしてもジャズもそうだが、日本人の外国文化の吸収はすさまじい。この表をみてほしい。Exceptional Cupの上位はほとんど日本の会社によって買われてる(13位まで日本)。またThe Exceptional Cup 2005の1位、2位の珈琲も日本のサザコーヒーが落札した。おそるべしである(嬉しくて楽しいけど)。

そしてこういうすさまじい嗜好品に相応しい相手ももう決めてある。Walter Strerath TrioのFly to Brazilである。


Skibby

2006-01-29 21:20:01 | 雑談(ジョーク)
マーサさんの記事にコーンブレッドの紹介がされたが、僕の方の話は、ちょっと下世話なもの。

あるコーンブレッドの掲示板Phorum5を眺めていたら、The Enigma of the Modern Cornbread Usageなるスレッドがあった。Enigmaといえば穏やかでない。意味は、「謎」だが、戦時中のドイツ暗号チームの名前だったはずだからだ。

フムフムとみてみたら、コーンブレッドの意外な使い方が載っていた。なんでもコーンブレッドは、アフリカにもあるが、コーンを粉にするときにどうしてもあまりみたいなものが出る。しかし余ったからといって捨てたりしてはもったいない。そのスレッドの著者によると、アフリカでは、自然から恵まれたものはすべて使い切らなければと考えている。そこでその粉を水で混ぜて、性の潤滑油として使うという。

だからといってすべてのひとがそうするわけではなく、今まで何人ものアフリカ大陸出身者に聞いた限りでは誰もいなかったという。それではだれがいってるんだ?ということになるが、何でもウェブ上のちゃんとした論文みたいなものに載っていたらしい。品位に問題があるといえばあるので、管理人さんが飛び込んで、「この記事の責任は持たない」と但書きしたが、そのあと、あるロシアの方が、ロシアでは、コーンミルにウォッカをまぜて確かにそうした用途で使うといっていた。ウォッカといえば、ポーランド産のズブロッカを学生時代にきちんと冷凍庫でトロトロにして頂いたが、あれにそんな用途があったとは知らなかった。

本題はここから。

こうした内容の記事は、なんとなくアフリカとロシアのイメージを損なう可能性がある。今回の僕のように面白半分で紹介しただけだとしてもあれよあれよと広まり、なんとなくイメージを形成していく。時には、意図的にこうした記事を垂れ流す可能性もあろう。というか、そんな勘ぐりをさせた事件が実際にあった。

以前中国の雲南省かどこかで日本料理店が「女体盛り」を摘発された。「女体盛り」が日本のきちんとした伝統で、そうした伝統を持つ日本人がいかに好色かと読めないことはないものだった。しかも僕が知っているだけでBBCに2回も出ている(数ヶ月インターバルをおいて)。なぜ同じ事件を取り扱った記事が2回も出なくてはならないのかとなかば憤って、その出所を追った。

探している途中でそんなことをしている暇はないことを思い出してやめたが、自分が調べた限りでは、中国の新聞に元記事と思しきものをふたつみつけた。オーナーが中国人であるところはホッとしたが、日本料理店のオープニングを飾るために日本の伝統である「女体盛り」をとかなんとか書いてあったと思う。

僕は金銭的にも知的にも下流階級の日本人ではあるが(司馬さんは西洋にあるような階級差は日本にはないといっていたが)、「女体盛り」なる日本文化をそれまで耳にしたことはなかった。「伝統」の定義は、『広辞苑』では、「ある民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰・風習・制度・思想・学問・芸術など。特にそれらの中心をなす精神的あり方」、英語でのTraditionには、上記意味に加え更に宗教的な意味も付与される。聖書あるいはコーランに明示されてはいないが、語り継がれてきたもので、いずれにせよある民族の大部分が共有し、大事にしているものでなければならない。「女体盛り」が日本の伝統などと言語道断である。

思えば、日本語の「スケベ」が、英単語Skibbyになって、「日本人」の蔑称となった。『リーダース英和辞典』などには、「西洋人相手の東洋人売春婦」とも載っている。国際的な場で、日本人が好色であるという話題になるとよく出てくることばだが、その根拠とされるのが風俗業の値の高さだという(実際に僕は比較したことはない)。そんなときにはこういわせてもらった、日本人が好色なのではなく、貞操に価値を置いているからExpensiveになっているだけだ、と。

ちょっとお酒がはいってます。。。

Katrina 17

2006-01-27 22:09:53 | アメリカ
「Katrina被害対処の失敗は、Katrinaのような非常事態を対処するプロがいなかったから」、これまでのところの結論である。例えば現場のNew Orleansでは、Blanco知事が、待機しているバスではなく、ヘリコプターを使えと指示した。またつい数日前に明らかにされたところによると、政府の対応もちぐはぐ。Katrina上陸二日前にFEMAからKatrina被害をほぼ正確に描写したレポートがホワイトハウスに届けられたが、これも対処できなかった。

しかし人知などこの程度かもしれない。情報を現実に活かすことはとても難しい。と同時に、現在もアメリカは、リアルタイムで適切な処理をせまられている。KatrinaおよびNew Orleansは政争のネタにされてしまったが、被災地の復興は現実の問題であり、収支のバランスがとれなければなかなかすすめることはできない。

1月18日のNY Timesによると、New Orleans 再建のための取り壊し(demolition)が始まった。これはこれで朗報だが、悪い情報もある。22日のNY Timesによると、今年のハリケーンシーズン(6月)前にKatrinaクラスのハリケーンに対応できるレベルの防御施設を完成する見込みが現実的になくなったという。理由は、現在生活する人間より未来のNew Orleansを優先させる余裕がないということにつきる。

とすると以前にも触れたが、Katrina第一報を僕に伝えたフロリダ在住のアメリカ人が伝えた言葉「New Orleansはもう復活しないかも」はマトを得ていた。Nagin市長らがいかに運動して工事が着工されても、かつてのNew Orleans市民は帰ってこない。27日のNY Timesの、Study Says 80% of New Orleans Blacks May Not Returnとちょっと反政府よりの題がついた記事が、そうした元New Orleans市民の不安を数字で表している。

レポートしているのは、Brown Universityの調査グループ。彼らによると、Katrinaの被害が中強のレベルの地域は、もともとアフリカ系アメリカ人の占める割合が75パーセントで、貧困線を下回るのが29%、失業者が10%を超え、賃貸者が半分を超えている地域だったわけだが、アフリカ系アメリカ人は80%、白人は50%が戻らない可能性があるという。その理由にあげられているのは、元居住地が再建されないとか、彼らに再出発する費用がない、すでにほかの街に根をおろしつつある、だが、最大の理由は、このレポートの著者Dr. John R. Logan がいいあてていると思う。

Whose city will be rebuilt?"(誰の街が再建されるんだ?)

結局のところどこまで連邦政府が援助するのかわからない。BushにすればこれまでGulf Coast近隣に850億ドルを援助金として差し出し、更にルイジアナ州には62億ドルがこれから与えられる。しかし残念ながら住民にとっては十分とはいえない。最終的には更なる金額が必要になる。Bushは、ルイジアナにはちゃんとしたプランがない、と述べた。

対するBlancoは、共和党のルイジアナ州選出の下院議員Richard H. Bakerが提出した法案がちゃんとしたプランだといった。抵当を元手に、Katrinaで遺失した財産を復活させる会社を作るという案だが、当座の金がかかりすぎるという理由でBushは反対している。それに対しBlancoは、連邦政府は、ルイジアナ住民の悲しみがわかっていないという。

このまま援助が進展しないと、Dr. Loganの試算するところでは、New Orleansの人口は、Katrina前の48万4千から14万になり、以前は70%をアフリカ系アメリカ人が占めたが、大半が白人の街になるという。

追伸:音楽対決の結果速報
1) Bill Evansのソロ対決は、Solo Session Vol. 1.辛勝!Nardisが素晴らしい!
2) Brahms Symphony No. 1: ジュリーニ(ミュンヘン in 1979)!度迫力!

追伸2:次回の対決
モーツアルト:バイオリン協奏曲3番: グリューミオー vs ミュンヒンガー指揮シュットガルト室内管弦楽団

右にならえ

2006-01-25 14:10:56 | 時事
BBCによると、23日にカナダで行われた総選挙で、12年間与党を務めてきたLiberal Party が、文字通り保守のConservative Partyに政権を譲ることになった。議席数は、Liberal Partyが103、Conservative Party が124である。

直接の原因は、前与党の汚職とみられるが、それはきっかけにすぎなかったらしい。というのもTownhall の Jeff Keffner による "Canada Crumbling"によると、前政権に対する反撃ののろしは、Quebecで始まったから。このカナダで人口2位の大きな街は、一方でフランス語、フランス文化の多い少数派として知られる、七年戦争後、本国から切り捨てられた異分子である。

時間がないので結論からいうと、「国民国家」再燃ということである。よくヨーロッパの話をすると「国民国家」という語が出てくる。民族と国家が一致している場合はその国家はうまくいくが、一致していないとなかなかUnityが図られない。仲正昌樹(ドイツ思想史)氏も、ドイツが戦争を起こした遠因として挙げていたが、コソボはじめ近年の紛争もこれと無縁とはいえない(司馬さんもヨーロッパの国境は方言別だと述べていたことがありました)。今回のカナダもこれと相似した問題だというわけ。

つまり、英語を主流とする西南のSt. Lawrence Seaway に沿って発展したカナダの中心州に対して、Quebecほか西の諸州が反旗ののろしをあげた、ということ。連邦のために高税率が謳われていたのに、それがそのまま前与党の懐に入っていたスキャンダルが発覚して、「小さな政府」を求める少数派が勝った。そして今度の首相 Stephen Harper はこの憤懣を狙ったとKeffnerは指摘する。

面白いのは、英語を喋るLiberal Partyの主流らは、反米をキャッチフレーズにしてこれまでの選挙に勝ち、今回の選挙もそれを売りにしていたのに、Quebecを中心としたマイノリティ派のConservative Party支持派は、アメリカと路線が近そうにみえるところ。選挙戦中、Harperは、ずっとBushになぞらえられつづけた(ここ半世紀は、「反米」という旗も「人道」、「非核」と並ぶひとつの旗ですね)。

Townhall のKeffnerの予想(19日)によると(ほとんどのメディアが今同じことを予言しているが)、カナダは瓦解(Crumble)する。Conservative Partyは与党としては小さいので、連立を余儀なくされ、Harperが宣言したような大きな変革が急には期待できない。また、これまでのカナダでは少数与党が18ヶ月もたなかったことから考えても(BBC)、改革断行が達成される見込みは長期的にも少ない。そうすると、Quebecなどの少数派の憤懣が高まるのみで、カナダのCrumble(瓦解)に繋がる、という論旨。

それにしてもKeffnerのカナダ素描がアメリカの保守派らしくてはじめ面白かった。

They[Liberal Party] have held office for 28 of the past 38 years. During that time, the Liberals have pushed the country to the left. They have transformed Canada into a milk-toast version of France: the nation is characterized by a bloated welfare state, high taxes, a permissive social culture and a dovish foreign policy. (自由党は、過去38年間のうち28年間与党だったわけだが、その間にカナダを左翼にした。やつらは、カナダをフランスの腰抜けバージョンに変えちまった。この国は、身体がむくんだ福祉国家で、税が高く、なんでもありの人間関係が文化になり、外交は腰抜けだ)

この描写って、日本にもある程度あてはまるような。。。

追伸:今日の聞き比べ対決(Digital Audio Player 3)

1) Bill Evans のソロ ALONE vs Solo Session Vol. 1.
2) Brahms Symphony No. 1:
  ジュリーニ(ミュンヘン in 1979) vs ミュンシュ(1968)
3) Bruckner Symphony No. 9: フルヴェン vs シューリヒト
4) ジャズ日英対決: 白木秀雄の「サクラサクラ」 vs Michael Naura Quintet (澤野工房)

アメリカ保守 3

2006-01-22 00:57:26 | アメリカ
今回の紹介したいのは、保守派Townhallによる外国に関する記事ふたつ。前回フェミニズムに関する記事を、と予告してましたが、悪しからず。フェミニズムの記事は、Townhallだけで、年末から今までだけで3つ、そのほかの新聞をいれると相当量になるのでまとめるのに時間がかかります(ちょっとイイワケ)。

ひとつは、Mob Nationというタイトルの北朝鮮について記事。この国を扱うのはTownhallでは珍しく、内容は、昨今日本のメディアでも報道された、国家ぐるみの米国貨幣ドル偽造や麻薬の生産・販売を知らせるもの。麻薬に関するレポートで悲しかったのは、アフガニスタン、ビルマについで3位の生産高を誇る北朝鮮から麻薬を買っている主要国に日本が入っていたこと。ただ紙面の25%を占めていたのは、自国の通貨、特に、SUPERNOTESと呼ばれる100ドル紙幣の偽造だろう。1989年にマニラとベオグラードで初めて発見されてからここ16年で、4500万ドルが押収されたということである。

もうひとつが、An Open Letter to German Chancellorと題するメンケル独首相への手紙。メンケルがブッシュを訪問したわけだが、そのねらいのひとつが、キューバ南東にあるグァンタナモ米軍基地の、捕虜収容所での捕虜への処遇への抗議であるという前提での手紙である。なんでもメンケルは、ドイツのニュース雑誌 Der Piefel今週号(先週土曜日発行)で、"An institution like Guantanamo can and should not exist in the longer term,"(グァンタナモのような施設は長期にわたって置いておけないないし、あるべきではない)といったからだということだ(ドイツの新聞:Deutsche Welleも参照されたし)。

Diana Westの論旨は、メンケル非難、特に、クリスマス前にメンケルがムハマド・アリ・ハマディを釈放したことに対する非難である。ハマディは、ヒズボラというレバノン・イスラム教シーア派の過激派組織のテロリストで、米海軍下士官Robert Dean Stethemを殺して有罪になっていた。

時は、1985年。海軍のダイバーだったStethemが乗っていた飛行機TWA Flight 847がハイジャックされた。要求は、イスラエルにとらえられているレバノンおよびパレスチナ人435名の解放だが、その要求がのまれないとわかると、アメリカ兵であるStethemを引っ張り出し(Stethemの兄弟がBush大統領に送った手紙によると、ハマディらに悲鳴をあげろと強要されたが、Sthethemはそれに応じなかった)、ボコボコにして、頭を撃ち抜いて、身元がわからないくらいぐちゃぐちゃにして、ベイルートの路上に置き去りにした。ハマディは、その二年後ドイツのフランクフルトで逮捕され、Stethem殺人のため終身刑になったのだが、19年後、つまり昨年12月中頃に釈放された。釈放理由は、イラクで人質になったドイツ人考古学者Susanne Osthoff女史との交換ではないかとささやかれていた(Wikipediaなど)。

そこでWestは、メンケルに、「あなたが釈放したのは、そういうテロリストだ」といい、更にドイツの新聞から引用して、上記人質交換に(Osthoff自身が語っているらしいが)500万ドルを支払っているところから、ドイツは、テロリストがビジネスすることができる国だと非難したあとで、テロリストとの交渉はやがてドイツ自身の身を危うくすると述べていた(警告ではなく)。

Townhallの記事がいかに保守的であっても、全米国民から賛美だけを受けることはまれだが、この記事のコメント欄には、絶賛はあっても非難はなかった。

アメリカ保守 2

2006-01-21 08:59:34 | アメリカ
保守が現状維持派だとすると、過去の時点では、革新だったものが知らぬ間に現状に入り込んでいることがある。かつての革新が保守になるということだ。そんな一例が、Townhall(January 2, 2006)でのウォルマートとジェネラル・モータース比較に顕れていた。

論は、保守派のTownhallらしく、アメリカ経済の不安を取り除く以下のような数字を示すことから始まっている。

《示された数字》
・Katrinaにもかかわらず第3四半期の経済成長率は4.1%(10期連続で3%を超え)。
・また失業率5%は、1970、80、90年代の平均より低い。
・2003年4月以来新しいネット上の仕事が510万できた。
・Core inflation(変動のある製品などを除外した物価上昇率)が2.1%だけ。
・ガスは、Katrinaで1ギャロン3ドルになったものの、現在は2ドル。
・生産成長率(2000ー05)が3.4%でここ50年で最高)

そのうえで、アメリカ経済の「マイナス」というか「下降」というイメージの源が、現在の民間部門1位のウォルマートと、1970年代に1位だったジェネラル・モータースにまつわる話のなかにみられるという。工場を閉鎖し、リストラし、破産におびえているGMと、お客さんに安く商品を提供することしか考えていないため、低賃金で保険がほとんどきかない労働者を持つウォルマート。確かにマイナスのイメージである。

しかし保守派Townhallのコメンテーターは、こうした現状を肯定しなければならない。なぜならそれがみんながいろいろな選択をした結果選ばれたはずの現状だからだ。彼はいう、もともと両者は並べるものではなく、「種類が異なる」企業で、両社の違いをみることによって、アメリカ経済が上昇傾向にあることをも示すことになるといいきる。

論を要約すると、GMからWalmartへという移行は、時代の変遷に合わせた「進歩」であるということ。それが「種類が異なる」ことにつながるというわけ。GMは、それまで職人がやっていた車造りをサラリーマンに任せるシステムを構築した。しかも上記記事にある通り、そのサラリーマンを守ることに重点を置いた。これが革新的なことだったわけだから、守らなければ、ひとは集まってこなかったろう。社会保険や給与などが充実し、一方消費者がないがしろにされていく。しかし外国メーカーと競争するようになると(70年代)、そうもいってられない。仕方なく社会保障は国に担当させることでしのいだが、古くなったシステムを温存したままただ表面的な処方箋をしていけば今のGMのように大幅な規模縮小が必然になる。

一方ウォルマートは、企業が生き延びるため、市場を重視した。つまり時代の流れに敏感に対応できることを念頭に置いて小売業を優先し、スーパーマーケットという形態を選んだ。消費者のニーズに応えるための流通システムを安価に保ち、かつそうした低価格を実現するために労働力も安くした。そして何よりウォルマートの問題とされる特徴となっているのが、そうした低価格を実現した被雇用者の安い賃金に加えて手薄な社会保障。

あまりに低いというので、左のニューヨーク・タイムズにもあるように、給料の8%の健康保険料を雇用者に裁定要求する法案がMarylandで通った。

こうした現状も肯定しなければならない(?)のが保守TownhallのコメンテーターMichael Barone。しかしその根拠がかつての革新(?)マルクス主義・フェミニズムがいっていたことに似ている。労働者が「正社員」ではないから社会保障が低くてもいいといっている。

マルクス主義フェミニズムが期待していたのは、人間には「必要労働」なる人間社会が存続していく基本的な労働(肉体労働や食糧確保など)があってそれが完全に充足された状態をめざした(この状態では人間が労働自体に束縛されなくなる)。そうした状態がすぐに来るとは思っていなかったが、テクノロジーの進歩によって「必要労働」が軽減されてそこに性差がなくなるほどになれば、女性が新しい安価な労働力として、主たる労働力:男性を脅かす(EU憲法批准に反対するフランスの労働者たちも安い労働力を嫌がっていましたね)。

それによって男性も「パートタイム=非正社員」になり、男女を問わず競争が起こって、その勝者が正社員として管理職になって高賃金をえる。マルクス主義フェミニストだけでなく、女性の社会進出を促進する前提条件として、こうしたテクノロジーの発展による労働状況の変革を期待した社会主義フェミニストは多かった。

もちろんこの現象はアメリカだけでなく日本にもあり、「勝ち組」と「負け組」という大きな隔たりをつくった。しかし今まで何例も紹介してきたように競争を認めるアメリカ保守であるTownhallは、こうした社会情勢を肯定する。Michael Baroneは、「正社員」ではないのだから、その目的は、単なる extra money を得るためだけだから社会保障は必要ない、という「勝者の見方」をする。高賃金を得たければ、競争に勝て、もしくは勝てるところへ行け、というわけだ。

アメリカ留学中消費者でしかなかった僕は、ウォルマートにはずいぶん世話になった。クーラーは、1万円だったし、ベッドも1万円しなかった。ただカーペットと同じならびにあったガラスのショーケースに拳銃の類があるのは驚いた。ショーケースにはカギがかかっていたが、銃を買ったお客さんがそれを持ちかえるときはその銃があらわなまま持ち帰られる。もちろんその頃は南部で狩猟が楽しまれる秋だったが。

銃に目を向けると、近年アメリカでは(特に北東部で)大型の銃が禁止され、護身用の小型銃が重宝されるようになり、売り上げも大幅アップしたと1年前くらいにいわれていたが、当然軽犯罪が増える。年末だったかワシントンで、国会議員がまた強盗に殺された。ワシントンでは、あまりに犯罪が多いため、銃の保持を規制した。銃があるから犯罪があるというわけで一般家庭から銃がなくなったのだが、なくならなかったのが、警察は除く一般家庭ではない家庭。彼らが一般家庭に犯罪に入りやすくなったと揶揄していた(ワシントンポスト)。

話がそれたが、保守Townhallとして面白いのは、一方でフェミニストを斬る記事も多いところ。次回の「アメリカ保守」は、その記事「フェミニズムは死んだが…」を題材にするつもり。

Digital Audio Player 2

2006-01-19 23:23:32 | 音楽
音楽が聴ける喜びのためにDigital Audio Playerにいまだはまっている。

明日の楽しみは…、

1)ブルックナー交響曲7番: 
 フルトヴェングラー(BPO in カイロ) vs シューリヒト(シュットガルト・ラジオ・シンフォニー・オーケストラ)

2)モーツアルトピアノ協奏曲23番と9番  
  アシュケナージ vs ハスキル

3)ブラームス交響曲1番
 フルトヴェングラー(52年1月) vs ベイヌム(RCO)


Practicality

2006-01-18 19:02:23 | アメリカ
「アメリカらしさ」とか「アメリカニズム」といったアメリカなるものの本質を問うとき、Practicality という言葉が挙げられることがある。簡単にいえば、「役に立つかどうか」が基準になるということだが、その元祖と思(おぼ)しいベンジャミン・フランクリンの誕生日が300年前の昨日、1月17日だった。

そんなわけで、ワシントン・ポストに「300歳」と題する記事が、フランクリンの略歴を伝えている。

個人的には彼の警句を含めあまり好きではなかった。「時は金なり Time is money.」とか「早寝早起き」など有名な言葉を残したひとだが、どれもこれも遊びがない。しかし彼の人生全体をみてみると、ただただ才能が突っ走っていただけだという気がしてくる。

科学も文学も慈愛も正義もスポーツも何をやっても彼はぬきんでていた。避雷針を作り、奴隷制廃止協会をつくり、アメリカ最初の病院もつくり、現在Ivy Leagueのペンシルバニア大学もつくり、神を理性より下におき、独立宣言と合衆国憲法とパリ条約の草稿を書き、5ヶ国語に堪能で、しかもこれに加えてひとを動かす力もある。

独立戦争のときには、外交官としてすぐフランスに送られて援助をとりつけ、これがなければ、アメリカの勝利はなかったといわれている(確か彼が口説いたフランス人は、フランクリンの親友になった)。しかもその後フランクリンは、当時先進国のフランスに居残り、フランスの上流社会のひとたちと交流を持つだけでなく、求心的な存在になり、確か誰かのうちにはフランクリンの肖像画がこのとき描かれた。

そうだとするとよっぽど生まれた境遇もよかったんだろうと思うかもしれないが、中流の石鹸とろうそくをつくる父の10男。少なくとも環境に恵まれていたとはいえない。

興味深いこととして上のワシントンポストが伝えているのは、フランクリンの死後(亡くなったのは、1790年4月16日:この時代としてはものすごく長生きの84歳まで生きた)、彼がフランスびいきで軽蔑されたという事実。確かにフランクリンがいたフランスは、フランス革命前夜であり、フランス革命は市民が国の主役になった。フランクリンも中流出(=市民)で、何もかも効率ばっかり重視しているようにみえたからということだろう。

社会学者マックス・ウェーバーは、フランクリンは金を稼ぐことしか考えていないとし、詩人John Keat には、フランクリンの低俗で倹約の格言がキライだといわれ、歴史家チャールズ・アンゴフは、「あらゆる奉仕団体の父」といった、と上記ワシントンポストは伝えている。

なんかこう貧乏臭いというか面白みがないという感じだろうか(僕もはじめそう感じていたわけだが)。でも生涯を通してみてみるとなぜかそういう感じがしない。「好奇心」が動き出すと、同じくフランクリンのなかにあった「能力」が結びついて、彼の関心はそのまま功績となって残った。つまり彼は、Practicality を大事にしていたのではなく、Practicalityそのものだったということがいいたい。

それは恋愛にも言えた。彼は17歳の時に恋して求婚したが、その若さと当時イギリスにいく途中だったという危うさのために、フランクリンがほれた女性の母親に断られる。しかしその女性がほかの男との結婚に失敗し(ひどい男と結婚する)、途方にくれているところへフランクリンがちょっとした細工をして結婚する(その細工に使った私生児は自分の子供として育ててのちNew Jersey知事になる)。 

彼が想ったことは功績にならないではいられないといった感じだが、僕の場合想ったことが功績になったためしがない。ま、いっか

Digital Audio Player

2006-01-13 19:46:24 | 音楽

昨年のクリスマス・プレゼントに、「デジタル・オーディオ・プレーヤー」なるものを所望した。

これが久々の大ヒット。

音楽を聴く時間がないことがここ数年気にかかっていたのだが、MDプレイヤーでは最終目的が果たせない。モーツアルトが聴きたいこともあれば、美空ひばりが聴きたいこともあるし、タンゴが聴きいたいこともある。というより自分が本当にしたかったのは、聞き比べ。こいつとこいつを聞き比べたら…というのをしてみたかった。もちろんその合間には、カラオケ用に、ジャパニーズ・ポップスもいれたい。こうなってくると、とても一枚や二枚のMDでは埒が明かない。またそういう曲をいちいちMDに録音する手間を考えるとバカバカしい。音楽は帰宅してから時間を作って、ということになる。

 しかしこの「デジタル・オーディオ・プレイヤー」は僕のささやかな夢を実現してくれた。とにかく容量がばかでかい。僕のは1GB程度だが、それ以上のもあった。その大きさを表現するために、今入っているのを列挙してみよう。ベートーベン:弦楽四重奏第16番、バッハ:チェロ無伴奏1~3番(カザルス)、ブラームス:交響曲第2番(ワルター指揮)、ブルース・スプリングスティーン:Born to Run、古謝美佐子:天架ける橋(アルバム一枚)、ブルックナー:交響曲8番(クナッパーブッシュ指揮)、Studio Ghibli Songsから8曲、Wolfang Dauner Trio:Music Sounds(アルバム一枚)、ベートーベン:ピアノ・ソナタ30~32番(グールド)、Bill Evans: Piano Solo Session Vol. 1、松田聖子25周年ベストから8曲、キャロル・スローン:ア・ナイト・オブ・バラード、サザンオールスターズ:バラッド3から5曲、SMAP:世界にひとつだけの花、Mr. Children: タイトル忘れた1曲、新垣努2曲、デボラ:ラッチョ・ドローム。これだけ入ってまだ60パーセント余白がある。

というわけで、年末から楽しんだ。例えば、グールドの弾くピアノ・ソナタ(ベートーベン)と、僕の好きな秀作ジャズ・ピアノ(例えばFritz Pauer Trio)の聞き比べ。二年前、『ジャズの起源はベートーベンにある』(田幸正邦)を読んで、ケンプやバックハウスでしか聴いていなかったピアノ・ソナタをグールドで聴いてみたくなったが、実際聴いてみたら録音がよくないのか、そのままお蔵入りになった。しかしどうしてももう一度しっかり聴きたくて今回聴いたところ、すんごくよかったっ!白河に行ったときは、ピアノソナタのほかに、同じく上記ベートーベンの弦楽四重奏を持っていったが、白河のイメージがあがったのはいうまでもない。白河では、道すがら、日本酒(以下の写真)も買ったが、すばらしくこれも美味かった。

 

ちなみに今日これから明日のために入れておこうと思っているのは、1) ブラームス:ピアノ協奏曲1番の聴き比べで、グールドとバーンスタインのコンビ対、アバドとブレンデルのコンビ。2) ブルックナー交響曲8と9番を、シューリヒトで! 3) Pink Floyd: Dark Side of the Moonと、Sex Pistols: Never Mind the Bollocks!  4) メンデルスゾーン交響曲4番「イタリア」で、セル対ドホナーニ! 誰にも頼まれてないのに、決着を付けたくなる僕であった。


Katrina 16: CM

2006-01-10 23:52:53 | アメリカ
Katrinaは、Katrina 15でも触れたように、物理的な規模は史上最大ではなかった。むしろKatrina 4で触れたように、反体制派に利用された最大級の出来事である可能性がどんどん高くなっている。

反体制派は、いわゆる「世界の中心をずらそう」とするひとで、その目的はポストモダンから正当に導き出されたものだと確信しているが、政治的な戦略は、自分に都合のいいテーゼの二項対立 A vs B をつくることで進んでいく事実は歴史が語るところ。問題は、当座の問題が片付いた後は、その二項対立に振り回されないことで、その意味で前回の総選挙で成功した小泉さんが次の後継者にその地位を明け渡すことは評価したい。

さて、Katrinaの場合、反体制派が利用したのが人種差別。いろいろなメディアで、ブッシュ政権の人種差別がクローズアップされたが、12月4日から18日にかけて、ルイジアナ州がKatrina直後のてんやわんやを公表し、Katrinaそのものをある程度俯瞰できる数字が出揃ってみると、政府の人種差別などという捉え方は、ちゃんちゃらおかしいということになる。

Townhallによると、ルイジアナ州が発表したKatrina関連の被災者1100人のうち、836名がNew Orleansで発見されたわけだが、そのうち536名がKatrinaに直接関連していると断定された。そのなかでの人種別割合は、ニューオリンズの人口の67.2%を占めるアフリカ系アメリカ人は、被災者のなかでは50.9%であり、一方ニューオリンズの人口の28%を占める白人が、Katrina被災者に占める割合は45.6%となっている。

更にわかりやすいというかズバリいっているのは、
Los Angeles Times。ニューオリンズのKatrina被災者で身元が確認されていた528人(人数が少ないのは、12月18日の時点だから身元が明らかになったひとが少ない)のうち、貧困エーリア出身者が298名、230名は、年収27133ドル以上の中堅である。もちろん貧困層の方がやや多いが、その数字は一方的ではなく、人種差別でもなければ、貧困層だけをねらいうちというわけでもないといえるだろう。むしろ特徴があるとすれば、7割が60歳以上の高齢者(避難勧告を拒否した)ということになろう。

いずれにせよ、Katrinaは災害問題ではなく政治問題になっている、と述べているのが、この記事(ワシントンポスト)。要約すると、ルイジアナ州知事Blancoとニューオリンズ市長Naginが民主党、Bushが共和党ということで二分され、アメリカ市民にとっての優先順位がイラクかニューオリンズかという世論調査結果にもそれが反映されているとのこと。

先に触れたTownhallが憤っているのは、こういう結果が出ているにもかかわらず、左翼系(NY Times含む)のメディアがそうした結果を公表しないことだが、僕が個人的に感じるのは、アメリカの情報操作というかいいイメージ作りが、第2次世界大戦のときの周到さからかけ離れているということ。あのときは、江藤淳さんが調べたように、ひとりの天才的な実務家が日本だけでなく世界とアメリカ国民を導いていったが、そうしたプランナーは今のアメリカにはいないらしい。

いずれにせよアメリカに飛び交う情報は信用しにくい。NY Timesが昨今、アメリカ軍がイラクのメディアに金を払ってアメリカを喧伝しようとしたとスッパ抜いたが、Townhallほかをみていると、反体制派の記事にしかみえない。そういえば、アメリカに留学中、どの国のCMが最もウソッパチかという議論をやり、最後の決勝が、アメリカに長く生活してきたドイツ人が主張するアメリカと、僕が「暴露した」日本で両者譲らず両国とも優勝ということになったが、アメリカのメディアのお粗末さは、「プロパガンダ」という用語より、「CM」が相応しいかもしれない(ちょっといいすぎ?)。