雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

My Irish Wild Rose

2009-07-30 08:49:18 | 音楽
湯斗のご主人がよくいうのだが、どんなに美味いものでも飽きる。

音楽も、同じように、どんなにいいと思っても何度も聴けば飽きる。

娘が目を丸くして聴いていた曲たちも最近以前ほど刺激的ではなくなってしまった。

まあ、こういう大きな時の流れから抹消されていく細かな事どもが、侘び寂びなんだろうけど、自分にとって好きな曲でもあっただけになんとも寂しい。

が、時はそうした感慨に耽る間を与えず、娘を更に喜ばす音楽を探すことを要求してくる。

といって、そう簡単にそんな音楽はみつかるはずもなく、少し路線を変えてみることにした。

インパクトのあるすぐにわかりやすい曲よりも、静かに心にしみていく音楽にしたのだ。

そこで選んだのが、Kieth Jarret が演奏する、My Irish Wild Rose

一輪の花を持つときに必要な優しさをメロディにしたような可憐さが好きなのだが、今回その歌詞をみてみたら、なぜ戦争に行くのか、という男の詞だった。

男はなぜ戦争に行くのか。

以前ここの追伸で触れた元自衛隊員の国会議員が数ヶ月前に、国会で口にした、「なぜ自衛隊員が国外の危険な任務に行くとお思いか?」を思い出した。

問いを受けた麻生総理はじめそこにいた国会議員はそんな「現実的(?)」なこといわれてもと当惑しつつ答弁していたが、結論としてその元自衛隊員の国会議員は、国ために働いているという栄誉だと回答を与えて締めくくった。

が、それを聞いて僕は憮然とした。

僕だったら栄誉欲や名誉欲はあってもそのために命はかけない。

なんでこうなったのかわからないが、自分の家族がある国に属し、その国が他国ともう避けられない戦争状態にあり、当然負けた場合にはどんな窮境に直面するか分からない。

であればこそ戦争に行くはずではないのかと僕は思った。

栄誉のために戦争にいくなど僕には全く「非現実的」だった。

その点、My Irish Wild Rose は男が戦争に行く理由をよく表わしていた。

男は、「花一輪を持つときに必要とされる優しさ」を守る為に戦争に行き、そういうときこそ最も強くなる、と。

My Irish Wild Rose を気にもかけずに、積み木をつみあげる娘をみながら、いい曲だな、と思った。

Interview

2009-07-27 13:38:05 | 宗教
「ポニョ」はわたしの願い=宮崎監督が公開討論-米(時事通信) - goo ニュース

ドラえもん:いやぁ、みんな集まってくれたね。これだけアニメの主人公が集まるなんて、なかなかないよ、麻生総理がアニメの殿堂が作ってくれるおかげかな。今日は、「アニメの業績」と題して議論しようと思うんだ。だってアニメってすごいことを世間の皆さんにわかってもらいんだから。それで何から話したらいいかわからないから、まずは、鉄腕アトム、君に語ってもらいたい。日本のアニメで手塚さん作品から始まらないわけにはいかないからね。お願いします。

鉄腕アトム:また最初だね。なぜか手塚治虫はすごいことになってんだけど、アニメ界はともかく漫画界では評判悪いよね。なんというか見切り発車的なところもあって、あとから結構手直ししたりしたし、出版社ともめたこともあった。まあ僕は作品の一主人公だからそんなことはどうでもいいんだ。とりあえず自分の作品を総括してみることで、とりあえずこの会議の議論のきっかけを提示したいと思う。

ドラえもん:どうぞ。

鉄腕アトム:僕の作品は、なんといっても正義という名のついた力の存在を教えた。正義というのは大義名分で、それを可能にするには力が必要だということさ。ブッシュ大統領もいってたけど、正義ってのはひとりよがりでね。でも強い力があれば正義と呼んで正当化ができる。だから僕は自分の出た作品を誇らしいとは思ってないんだ。その点ドラえもん、君は違う。のび太くんを助けることで拮抗する力の無意味さと未来への希望を教えてる、凄いと思うよ。

ドラえもん:いきなり褒めてもらってありがとう。確かに僕はのび太くんが拮抗する力になるために道具を出すけど、大体その力は暴走した形で終わる。つまりいずれにしても未来の道具は拮抗するもうひとつの力で、その無意味さを教えてるといえるかもしれない。でも僕も完全とはいえない。だって力の代換え案は提出していないもの。その点ナウシカは違う。強力にせめぎあう力たちの間にあって、それらを束ねようとしてる。つまり僕の物語に欠けている力に頼らないビジョン、例えば共生を求める良識や善意がそのままナウシカなんだから。

ナウシカ:やめてやめて!そんなことないわっ!確かに拮抗する力を持たない一見良識の代表にみえるかもしれないけど、結局私の良識が全てのひとにパンを与えるわけじゃない!だから所詮理想でしかないのよ!ある意味拮抗する力の体制に組み込まれてないだけ。宮崎作品は結局同じなのよ。

鉄腕アトム:なるほど。結局宮崎ハヤオ作品はそこまでなのか。

ドラえもん:確かに市民に力がないのは、所詮良識ある市民も結局誰かを切り捨てたり犠牲にしてるんだよ。

ナウシカ:そうなの。それなら結局小国寡民どまりだわ!

ポルコロッソ:ガハハハっ!

ナウシカ:何がおかしいのっ!

ポルコロッソ:まさかオレがナウシカ、てめえと一緒にされるとは思わなかったぜ。アトムやドラえもんは機械だから思考がワンパターンになるのは仕方ねえが、まさかナウシカ、てめえまでがその程度だったとはお笑い草だ。

鉄腕アトム:それは聞き捨てならない。もちろん僕は人間に作られたよ。しかも邪悪な目的でね。だからこそ僕は、、、。

ドラえもん:待ってよアトム。ポルコロッソ、どういうこと?

ポルコロッソ:なんでオレがタダで教えてやらなけりゃいけないんだ!説明責任は人間世界にだけに通用するもんだ。ブタは関係ねえ!

アトム:じゃあはじめから口をだすなよ!

ポルコロッソ:オレにはそういう筋とかゲームの存在がねえのさ。

ナウシカ:何言ってるのかわからないわ。

ドラえもん:なるほどね、ポルコロッソ、君の言いたいこと、なんとなく見えて来たよ。

鉄腕アトム:僕もさ。金だってことだろ?

ポルコロッソ:ほう、さすがに何十年も日本のアニメの代名詞やってるだけはあるみたいだな。サザエさんとはちがう。

サザエ:どうせ私たちはよき昭和どまりよ。何も考えないでよかった昭和はいいね、っていいたいんでしょ。平成における私たちは、所詮懐古主義に過ぎないわっ。

カツオ:ねえさん、マイナス面じゃなくてプラス面をいわなきゃ。それが平成のやり方らしいよ。それが議論のやり方なんだって。

マスオ:そうだよ、サザエ。しかもサザエさんにはちゃんとした長所がある。なんだかんだいってまだ放送されてるんじゃないか。現役なんだから、それだけですごいことだよ。イチローだってわざわざWBCのとき現役の監督を指名したんだよ。

タラちゃん:しかも優勝したですぅ。

ポルコロッソ:うるせぇ、家族総出できやがって。ここは主人公だけが来れるところだ。大体てめえたちの主人公は誰なんだ!

波平:わしではなかろう。

ポルコロッソ:当たり前だっ!

カツオ:日本の漫画って主人公とタイトルが一致しないことってあるよね。アシタカともののけ姫とか、バカボンとバカボンパパとか。ドラえもんだって主人公はのびたくんなしではありえないと思うけど。

ドラえもん:いいところに気づいたね。事理幽微というのかな。やっぱり日本のアニメは日本らしさから逃れられないんだよ。

鉄腕アトム:そんなことどうでもいいよ。ポルコロッソ、説明しろよ。

湯ばーば:はっはっはっは。あたしが代わりに説明してあげよーかねぇ。世の中は結局自分の力を金に換算できるようにすればいいのよ。一番になる必要なんてない。そりゃなるにこしたことはないけどね。お金っていうのは、うまくやれば小国寡民だってなんだってそのひとの好きなようにできるのよ。ただしうまくやればよ、貨幣経済というのか資本経済というのか、そのルールをうまく使いこなさなきゃだめ。それをいってるのよ、ポルコは。

ナウシカ:なるほどね。

ポルコロッソ:まあ、金と一口にいうより、青少年もみてるんだから、「労働」という言葉に換えるぐらいのデリカシーはほしいな。湯ばーばんとこの千尋はまさに労働で道を切り開いたのさ。誰でも今あるシステムのなかで金に換えられる労働をすることでなんとか生き延びることができる。

千尋:でも宮崎駿さんはそんなこと考えてたのかしら?

ワカメ:さあ、で、今回上記記事にあるようなこといったんでしょ?ところで『千と千尋の神隠し』のあとと、『ポニョ』の間になんかあったよね?

ドラえもん:あれは、つなぎでしょ?

明日のジョー:真っ白に燃え尽きてない。。。

鉄腕アトム:で、ポニョについては、上記記事のようなことをいったわけだね?「自然のなかにある私たち?」

ワカメ:単に「自然」がいいっていうんじゃ能がないわよね。

ナウシカ:でも西洋人にはそうとしか伝わらないんじゃない?私もそう思ったけど。

サザエ:それはあなたが西洋的な弁証法の頭しかないからよ。

マスオ:サザエ、もっとやわらかい表現はないのかい?

ポルコロッソ:神道だな。

湯ばーば:そうだね。秀吉がインドの国王に送った手紙の冒頭を思い出したよ。

ドラえもん:ああ、僕のポケットにあるよ。「それわが朝は神国なり。神は心なり。森羅万象、一心を出でず。神にあらざればその霊生ぜず、神にあらざればその道ならず。・・・陰陽はかられざる、これを神という。。。。」ってとこだね。

鉄腕アトム:ほんとに四次元ポケットって便利だなぁ。

ドラえもん:でも四次元立方体の構造に似てる気がするな、神道って。

ポルコ:中国で「陰陽はかられざる」といえば「気」のことだ。それを統御するのが「神」でいわゆるGodではない。オレは日本と中国の思想の分かれ目は、易経からだと思ってるんだ。

カツオ:確かに日本は陰陽はわかるけど、五行からはとりいれないもんね。

ワカメ:単なる二元論じゃないことは間違いないね。

ポルコ:どこまで考えての「陰陽はかられざる」かがわかりにくい。

鉄腕アトム:その辺は曖昧でいいんじゃない?むしろ「共生」なんて言葉を充てる方が間違いだと思うな。

ドラえもん:そうだね、だからといって「天」でもないしね。日本が世界に比類ない国であることを言語化しようとして国家神道はできたんだろうな。

湯ばーば:各文化圏には、どうしてもほかの文化圏には伝わってない世界観があるのさ。

サザエ:そういえばあなた、ドストエフスキーについてもそんなこといってなかったかしら。

マスオ:そうだねサザエ。例えば『カラマーゾフ』の神官の言葉は、「あの世」とは違うAnother World の存在が意識されてるロシア人の世界観がわからないと思うな。だからギリギリのところで日本人はわからないんだけど、そのわからなさがあることについては日本人も共有できる。その辺が日本人がトルストイよりドストエフスキーが好きな理由なんじゃないだろうか。

ドラえもん:そろそろお開きにしようか。ところでこれはFictionです。

めざせ闇斎

2009-07-25 10:00:39 | 将棋・スポーツ
中古車が新車の価格を上回る 新型プリウス、220万円→293万円(産経新聞) - goo ニュース

Priusを気をつけて運転するようにしたら、燃費が以下の数字まで上がってきた



が、おそらくここまでだろう。

夏と冬は燃費がどうしてもかせげない。

その点新型のPriusは違うらしい。

最近よく売れているらしいが、僕は約2ヶ月前に検討して、やめた。

新型はエンジンも大きくなり、燃費の効率が上昇し、空間が広くなり、全車スマートキーになった。

それでいてHonda車との兼ね合いや、政府の援助などで価格は大幅に下がった。

ではなぜ買わない?

と購入しない方が問題視されそうだが、理由はいくつかある。

まずデザイン(エクステリア、インテリア:特にコクピット双方)。

僕をよく知る友人なら、「Stoneは性能以上にデザインにこだわる。デザインがダメなら買わない」というだろう。

ふたつめは、昨今の自動車情勢。

ここ数年で大幅に変わる可能性がある。

ご存知のように、Hybrid、電気、太陽電池と日本の大手が手がけている動力源は、現在はHybrid がいい。

こうした移行期では、移行期に適応した対応が必要で、ガソリンと電気というHybridは実践的である。

問題は移行したあとのVisionとその実現度(何年後か、価格は?)である。

僕は世界の他社の参入を含めて、数年とみて、数年なら、乗って2年経たないPriusを手放す必要はないとみたわけだ。

もちろん金に余裕があれば買ってもいいが、僕にはほかに買いたいものがたくさんある(ちなみに車も本来一番乗りたいのはこれではない)。

最後の3つめは、ひねくれである。

2ヵ月前からすでにPriusは売れ筋だったが、みんなが買うものを買うほどつまらないものはない。

Pさんがよくいっていたが、人間の面白さは多様性にあり、みんなが北に向かうなら僕は南に向う。

指標がひとつでは面白くもなんともない。

ちなみに僕の祖父は、戦艦が沈みそうになったとき、みなと逆方向に行って亡くなったらしいが、すぐにひねくれるのは我が家の家系らしい。

ただしただのひねくれで終わっては我が家系の指標を辿ったに過ぎない。

山崎闇斎のようにならねば、と思っている。

空白

2009-07-20 21:55:37 | 宗教
日本は自民党を負けさせる覚悟があるのか――フィナンシャル・タイムズ社説(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

歴史的にみて日本は外国のやり方を輸入してきたが、本質的な部分ではなく、あくまで形式的なものにとどまった。

本質はあたかも無視どころか知ろうともしなかったかのようにポッカリと空白にした。

むしろそれこそが日本のやり方で、その辺りが日本の特徴にして最大の武器である。

と考えたのが江戸の知識人であり、そこに平田篤胤を介して、国家神道を入れたのが明治の知識人だった。

という点で明治は江戸から原理的に導かれたといいたい(ヘーゲルには悪いが)。

そして昭和の知識人はこの非日本的でありつつ結果的に日本的であった大戦の失敗の淵源をまたもや外国の形式を使ってなぞっただけで終わりにした(「共同幻想」にしても少なくとも発展性はないと思う)。

今こそ我々は発展させるべきではないのか。

ヘーゲルの言うように、歴史的な出来事の連なりには、完全な因果関係はないかもしれないが、なんらかの関係はある。それ以前のやり方を否定し、それでいてそれ以前のやり方に付け足していく、という太郎さんの見方を僕は否定したくない。

そして重要なことは我々が一歩進むということは、否定と再評価、その作業から家康がいっていたことこそが、浮かび上がってくるということだ。

自民と民主という二大政党制は単なる形だから、とりあえず民主党が勝っても問題は解決しないだろう。

二大政党というか二項対立的な思考の欠点は、はじめから70(個人的には60といいたいが)点しか狙えないところで、それではいわゆる仏教でいう「苦しみ」を生むことになる。

これまでのような思索を続けるなら、利益を得るひとが、不利益を被るひとより多いという理由である政策を選ぶ政体なら、全くといっていいほど進歩していないことになる。

西洋ではここでPostmodernism に行った。

簡単にいえば二項対立の勝者ではなく敗者に焦点を移した。

が、フェミニズムがそうだったように、二項対立という枠組みは残したままという矛盾に行き着いて勢いを失ったというか霧散した。

日本も勝者としてのドイツでなく、敗者としてのドイツやフランスをみる目があれば確かに面白かったろう。

おそらく快方に向うのは、その後の空白からだと思う(株価の上昇が表わす快方は会社のそれでしかない)。

というのも、日本のマツリゴトの大きな変革の調整弁は、その空白だったからだ。

なぜ京都が出雲や大和を抑えて出てきたのか。なぜ北条で落ち着くのか。なぜ西郷なのか。

つまり日本は職業人としての政治家や役人からは改革は起こらないのだ。

カモフラージュ

2009-07-19 21:44:19 | 音楽
それまでずっと他人から愛されたいと思ってきたが、いざ愛されてみるといろいろ大変だということがわかった。

といっても一方ならぬ愛を注いでくれるのは、姪と娘だけだが、とにかくこうも息苦しいのかと驚いた。

僕がジャニーズに入っていたら生涯ライバルだったに違いないキムタクは、さぞ大変だろうと同情してしまうほどである。

で、今日は娘の話。

以前も紹介したように娘は僕を求めるわけだが、仕事が休みで自宅にいたりすると、基本的に離れようとしない。

家でやるべき仕事や読書もしたいわけだが、その時間が残らないわけだ。

といって数ヶ月前トレーニングを邪魔されて不機嫌な顔を少しだけ見せたら娘がそれを敏感に感じ取って泣き、それ以来娘の前では娘を拒むそぶりは絶対見せまい、いつも積極的に迎えることにしたため、知らん振りができない。

また妻にも悪影響が出ている。

娘が僕を愛するあまり妻と僕がいる場合は妻を忌避するかのように拒絶をする。

妻も「私が何したっていうの?」と半べそかいている始末だ。

そこで妻と娘にDVDをプレゼントした。

「おかあさんといっしょ」の2008年度版ベストで、Amazon のレビューにもあるように非常に完成度が高く、はじめてみせたときは娘はほとんど瞬きせずに見続けた。

案の定僕がどうしても仕事を終えなければならないようなときはそれをみせておくと、なんとか誤魔化せる。

誤魔化すというよりは娘は完全にDVDに没入してしまうから妻も僕も自分の時間を持つことができ、一石三鳥というわけだった。

が、実は僕の魂胆はそれだけではなかった。

実は、「おかあさんといっしょ」のお姉さん役の三谷たくみに恋したのだ。

彼女は別に顔が美しいというわけではないが、一挙手一頭足が素晴らしく美しい。

走るにしても足の回転の仕方が理想的に無駄がない!(陸上部出身としては驚嘆せざるを得ない)!

またどんなシチュエーションの演技もひとつひとつを大事にしようという思いがこめられている(これはNHKのよいところでもある)。

身近にいたらすぐにでもプロポーズするところだがなかなか現実的にはその姿をみることもできない(「おかあさんといっしょ」自体、その時間帯は仕事でいないからみられない)!

そこでDVDを買うことにした。

だが彼女みたさに買うというのではなかなかブが悪いが、妻と娘のためということなら、むしろ美談で終わるではないかっ。

一石三鳥どころか四鳥、いや正確に言えば、真の目的はひとつであとはただのカモフラージュだったのだ!

はっはっはっはっは(高笑い)!

室町ふたたび20

2009-07-15 09:54:32 | 歴史
古賀氏、東国原氏擁立を断念 委員長辞意も背景(共同通信) - goo ニュース

結局大袈裟かもしれないが革命が起こる萌芽さえつまれたわけだから役人はまたも大喜びだろう。

東国原知事を別段評価していないのは以前も書いたが、所詮地方と国という二項対立を崩していないためだ。

知事たちの言い分を国会に送ったところで本質的な変化はない。

例えば確かに宮崎には道路は走っていないが、その周辺には走っている。その場合宮崎県民のなかにはその道路に近い人もいれば遠いひともいる。逆に道路が走っていても近いひともいれば遠い人も出てくる。

こうしたある集団をつくることによって生まれる個人への皺寄せや個人レベルでの不平等は回避されず、いずれも江戸から明治という政治システムの枠から議論が出ていない。

藩から県になったのは、近代国家にするための一方法にすぎない。

国家と国民がつながるのはまず税による収支なわけだからまずそこを出来る限りシンプルにする方法が必要で、東国原とか麻生とか、といった人間で選ぶことではない。

「助け合い」といいながら問題を先送りしたり場当たり的に税を徴収して結局どうなってんだかわからないのはよくない。

社会秩序(軍事力含む)以外に費やすお金は、かなり価値観が異なるのだから、国民に選択肢が必要。

いずれにしても家康の遺言を読むべき。

江戸と明治の議論ではなく、江戸以前に戻る必要ありといいたい。

Picky 5

2009-07-03 22:54:59 | 音楽
最近娘の音楽の趣味が picky になってきた。

ある曲をかけて気に入らないと、うなりつつCD playerを指さす。

「換えろ」という合図だ。

しかし換えてもなかなかOKが出ない。

だから彼女のお気に入りのRay Charles を連続してかけたりするのだが、やはり繰り返しはつまらないらしく、二回めの演奏だとNGとなる。

仕方なく僕の自信作(自分が演奏しているわけではないが)を並べていくのだが、とにかくちょっと聴いてそれなりにインパクトがないと却下となるから、最終的には誤魔化して話題を換えざるをえなくなったりする(まだ誤魔化すことができるからよい)。

ところで先日娘がリズムを「ついに」とれるようになったと書いたが、別にそれを狙っていたわけではなかった。

単に自分のいいと思う音楽を聴かせて、時間の制約によって自分が到達できないであろう音楽理解に彼女が一生のうちで到達する手助けになれば、と思っただけである。

が、今日音楽を彼女に伝えていく上で何をゴールに見据えればいいのかみえたような気がした。

Conductor である!

将来指揮者にさせるのではなく、音楽を「愉しむ(「楽しむ」ではない)」のに指揮者を念頭に置くことがひとつの道標になると思ったのだ。

僕と妻に似ているなら、あまり指先は器用じゃないから、楽器は無理だろう。

むしろリスナーとして音楽を楽しむなら、指揮者がいいじゃないか、と思ったわけだ。

といってそんな認識にいたったのは娘が指揮らしきことをしていたのをみたため。

先ほども書いたように、娘からOKが出た曲はあまりないが、今のところ以下の曲に反応した。

クナ ワグナー/マイスタージンガー
ルービンシュタイン モーツアルト/ピアノコンチェルト23番
シなんとかさんの、バッハ、パルティータ2番

これらの曲はかかると座っていた状態から立ち膝になって、指揮らしきことをする。

リズムをとるようになってから少しずつ進化し、いろいろな曲に合わせて手拍子でリズムをとるようになって、その延長上で指揮に突入したわけだ。

まあ、指揮というよりは舞踊にもみえるが。。。

というわけで親バカでした。

国盗り物語

2009-07-02 22:43:42 | 将棋・スポーツ
東国原氏、比例1位で処遇=衆院選対応で自民が検討(時事通信) - goo ニュース

東国原宮崎県知事が自民党総裁候補のポストを要求したと知ったとき、でかく出たな、と思った。

なぜそう思ったのだろうか。

ある分野で成功したからといっても所詮実績は過去の遺物に過ぎないからだ。

単に「改革」などという言葉ではなく、総理大臣になるのではなくやる覚悟があることを示さなければならない。

ではどうすればそれが示されるか。

以前も書いたが、今日本は維新以来の大きな節目を迎えている。

その大きな流れのなかで自分が一体何をすべきと考えているかを国民に問う必要がある。

その点小泉さんが目安になる。

小泉さんのわかりやすさは、郵便局民営化と自民党の故習一掃という狙い目を明白にした。

郵便局という国の機関のなかで崩せそうな牙城を選んで、自民党の地方代表組を追い出すこととを一緒にしたために、本当の改革が起こりうる可能性に国民がとびついた。

小泉さんと、そのほかの総理大臣との違いは、なんといっても国民の支持をとれたかどうかにあるが、その支持のとり方は、本当に改革に向う感じがするかどうか、だ。

といって小泉さんは本当の改革をするつもりはなく、本当の改革は後進に委ねたが、以前も触れたとおり、うまくいかなかった。

大久保(信長も?)が残した上から下へという役人根性を粉砕するには国民の流れが一本になることしかないわけだから、東国原知事が本当にやる気なら、自分が陥落させるつもり牙城を提示すべきだ。

今のままでは、どこをどう攻めるのかが全く見えてこないし、国民も押すに押せない。そしてこれは正しい選択だと解釈されれば、国民の支持がつく。

そしてその攻めどころがぶれていれば国民が離れ結局また役人に頼らざるを得なくなる。

ところで小泉さんを部分的に勉強したのが社民党首のあの女の人。

何かあるたびにひとことでいえるフレーズにまとめて、「~~内閣!」みたいなことをいっていたが、最近いわなくなった(僕がTVみなくなっただけだろうか?)が、単なるひとことフレーズではダメだったか、と反省してるに違いない。

しかし個人的には社民党のようなところのブレーンをやってみたい気もする。