今夏は、喫緊というわけではなかったが、いろいろなものを買い換えた。
いずれも娘が生まれる前に買った商品が寿命を迎えつつあったのだ。
電気屋に行ってみると、自分たちがいかに時代に取り残されていたか痛感した。
まずプリンター。コピー機がついてるだけでびっくりした。
近所のことや子供たちの配布物はコピーして家族のそれぞれが持っていた方が便利だ。
以前のものは、子供が出来たらいろいろな場所にすぐ移動できる方がいいと小型のものを買ったため、本当に最低限の機能しかついてなかった。
しかもプリンターにメールアドレスを持たせて、どこからでも送れば印刷してくれるし、印刷サイズもプリンター任せにすれば、適宜見やすい大きさにしてくれる。
それから体重計。
ずっとただ体重を測るものを使ってきたが、まさかこんなに多機能になってるとは知らなかった。
BMI、筋肉の付き方、体脂肪率、代謝、年齢が一瞬にして出る。
妻が、「私いくつにみえる?」という問いに、「測れば?」で済むわけである。
しかもちょっと運動するだけで、数値に反映されるからトレーニングもし甲斐がある。
以前も書いたが、娘の運動会で頑張りすぎて腕が上がらなくなり、それ以来2年はトレーニングらしいトレーニングはしていなかった。
運動不足がたたり、長距離歩くだけで、睡眠中に足がつるようになっても、何もしなかった。
ただ仕事に追われ、忙殺される日々を送っていた。
しかし妻も僕もやればやるだけ数値に出るのが楽しくて、身体を動かした。
二人ともやっと20代の身体を取り戻しつつある。
更に文房具。
もともとPCですべての仕事をすませ、仕方なく手書きにする場合(ほとんどがサインだが)は万年筆にしていた。
しかし何かの折手書きでA42枚分の文章を書かされ、手が動かないことに愕然とし、また漢字が書けないことに驚き、一年ちょい前から日記を書き始めた。
日記自体何年振りかと思ったが、日記にしか吐露できない出来事や気持ちを見出して、1日に数枚書くようになった。
更に娘の書写の手引きをするようになった。
昨今字は小学校に上がる前にできるのが当たり前で、入試問題もひらがな、かたかな、数字は書けるのが前提で出てくる。
しかし実際の子供たちの手や腕は、字を書くのに十分な筋力がついていないため、踏ん張りがきかない字を書くようになる。
特にひらがなは、傾いて今にも倒れそうななのに肩肘ついてよろめきをとめるみたいな字が多いから、こらえどころがたくさんあるが、それが無視される。
よくないと思った僕は、なんとかしようと思っ立ったが、字を書きなれていない以前に字が癖字で、これをそのまま教えることがはばかられた。
で、書写の練習から始めた。
子供に参考書や練習帳を買い与えればいいと仰るかもしれないが、ただの楷書でも先生や書き手によってかなり違う。
美意識で許せないものもあれば、時間が経って美しいと思えるひともいた。
そこで7名セレクトして、字ごとに自分なりの決定型を採用し、パステル系の薄い色で手本を書き、なぞらせるようにした。
自慢じゃないが、一見その辺の教則本とみまがうものが書けるようになった。
そうすると万年筆だけというわけにもいかなくなる。
はじめは失敗したときに備えてフリクション系にしたが(フリクション系の存在を知った時の驚きも大きかった)、やはり書き心地が一番だから模索していくと、キリがない。
ネットのレビューをみて買って何度か失敗し、やっぱり自分で試さなければだめだと、文房具店内の筆記用具の前でなんどためし書きをしただろう。
タッチがあまりに軽くて書きやすいのも好きじゃないし、もちろんひっかかりすぎても困るからだ。
字は、新美南吉の「泣いた赤おに」に出てくる一節がいつも思い出される。
赤おにが村人に誘いの文を立札に書くのだが、村人はその字の力の入り具合で、赤鬼がまじめにいっているとジャッジする。
そういう字が可能なペンが必要だ。
しかもカラーにバリエーションがないとつまらないし、娘の勉強をみるときも必要だから、選ぶのがとても楽しいのだ。
更にタッチや芯の太さを考えると、同じペンも種類は複数必要になる。
そんなわけで僕のカバンの中は、文房具鞄がかなりの位置を占めるようになった(昨年は大きなカバンの内ポケットに万年筆とボールペンをいれておくだけだった)。
とにかく筆記用具も日進月歩なのだ。
一本100円のボールペンでも商品ごとにいろいろな良さが追加されている。
体重計もプリンターも、今日はもう書く時間がないから書かないが、体温計もBlue-Ray Playerもジョーロも液肥も、最新のものをみるにつけ、浦島太郎にでもなった気分だった。
世の中はどんどん進んでいく。悪い意味でも進んでいくが、いい意味でも進歩する。しっかり対処しなければ、と思った。
いずれも娘が生まれる前に買った商品が寿命を迎えつつあったのだ。
電気屋に行ってみると、自分たちがいかに時代に取り残されていたか痛感した。
まずプリンター。コピー機がついてるだけでびっくりした。
近所のことや子供たちの配布物はコピーして家族のそれぞれが持っていた方が便利だ。
以前のものは、子供が出来たらいろいろな場所にすぐ移動できる方がいいと小型のものを買ったため、本当に最低限の機能しかついてなかった。
しかもプリンターにメールアドレスを持たせて、どこからでも送れば印刷してくれるし、印刷サイズもプリンター任せにすれば、適宜見やすい大きさにしてくれる。
それから体重計。
ずっとただ体重を測るものを使ってきたが、まさかこんなに多機能になってるとは知らなかった。
BMI、筋肉の付き方、体脂肪率、代謝、年齢が一瞬にして出る。
妻が、「私いくつにみえる?」という問いに、「測れば?」で済むわけである。
しかもちょっと運動するだけで、数値に反映されるからトレーニングもし甲斐がある。
以前も書いたが、娘の運動会で頑張りすぎて腕が上がらなくなり、それ以来2年はトレーニングらしいトレーニングはしていなかった。
運動不足がたたり、長距離歩くだけで、睡眠中に足がつるようになっても、何もしなかった。
ただ仕事に追われ、忙殺される日々を送っていた。
しかし妻も僕もやればやるだけ数値に出るのが楽しくて、身体を動かした。
二人ともやっと20代の身体を取り戻しつつある。
更に文房具。
もともとPCですべての仕事をすませ、仕方なく手書きにする場合(ほとんどがサインだが)は万年筆にしていた。
しかし何かの折手書きでA42枚分の文章を書かされ、手が動かないことに愕然とし、また漢字が書けないことに驚き、一年ちょい前から日記を書き始めた。
日記自体何年振りかと思ったが、日記にしか吐露できない出来事や気持ちを見出して、1日に数枚書くようになった。
更に娘の書写の手引きをするようになった。
昨今字は小学校に上がる前にできるのが当たり前で、入試問題もひらがな、かたかな、数字は書けるのが前提で出てくる。
しかし実際の子供たちの手や腕は、字を書くのに十分な筋力がついていないため、踏ん張りがきかない字を書くようになる。
特にひらがなは、傾いて今にも倒れそうななのに肩肘ついてよろめきをとめるみたいな字が多いから、こらえどころがたくさんあるが、それが無視される。
よくないと思った僕は、なんとかしようと思っ立ったが、字を書きなれていない以前に字が癖字で、これをそのまま教えることがはばかられた。
で、書写の練習から始めた。
子供に参考書や練習帳を買い与えればいいと仰るかもしれないが、ただの楷書でも先生や書き手によってかなり違う。
美意識で許せないものもあれば、時間が経って美しいと思えるひともいた。
そこで7名セレクトして、字ごとに自分なりの決定型を採用し、パステル系の薄い色で手本を書き、なぞらせるようにした。
自慢じゃないが、一見その辺の教則本とみまがうものが書けるようになった。
そうすると万年筆だけというわけにもいかなくなる。
はじめは失敗したときに備えてフリクション系にしたが(フリクション系の存在を知った時の驚きも大きかった)、やはり書き心地が一番だから模索していくと、キリがない。
ネットのレビューをみて買って何度か失敗し、やっぱり自分で試さなければだめだと、文房具店内の筆記用具の前でなんどためし書きをしただろう。
タッチがあまりに軽くて書きやすいのも好きじゃないし、もちろんひっかかりすぎても困るからだ。
字は、新美南吉の「泣いた赤おに」に出てくる一節がいつも思い出される。
赤おにが村人に誘いの文を立札に書くのだが、村人はその字の力の入り具合で、赤鬼がまじめにいっているとジャッジする。
そういう字が可能なペンが必要だ。
しかもカラーにバリエーションがないとつまらないし、娘の勉強をみるときも必要だから、選ぶのがとても楽しいのだ。
更にタッチや芯の太さを考えると、同じペンも種類は複数必要になる。
そんなわけで僕のカバンの中は、文房具鞄がかなりの位置を占めるようになった(昨年は大きなカバンの内ポケットに万年筆とボールペンをいれておくだけだった)。
とにかく筆記用具も日進月歩なのだ。
一本100円のボールペンでも商品ごとにいろいろな良さが追加されている。
体重計もプリンターも、今日はもう書く時間がないから書かないが、体温計もBlue-Ray Playerもジョーロも液肥も、最新のものをみるにつけ、浦島太郎にでもなった気分だった。
世の中はどんどん進んでいく。悪い意味でも進んでいくが、いい意味でも進歩する。しっかり対処しなければ、と思った。