雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

断乳

2009-10-31 23:18:05 | 宗教
今日僕はのりピーに2度と同情することはないだろうと思った。

実は今日から1才7ヶ月になる娘の断乳を始めた。

生まれてから断ち切れたことのない乳房に永遠に別れを告げさせるときが来たのだ。

僕ら夫婦は僕が連休になる今日から始めることに決め、準備をしていた。

というのも経験者たちに聞くと、この断乳はかなり大変なもので、というよりとにかく人間だけでなく多くの生きものが太古の昔から汚されたことのない絆を2歳にもならない娘から奪うのだから当然だ。

言ってわかるはずがないし、娘としたら麻薬を奪われる以上にある意味つらいだろう、その禁断症状のごときものをこんな赤ん坊に毛がはえた程度の娘に味合わせなければならないと思うと気が重かったが、仕方がない。とりあえず娘が好きな林檎や蜜柑などを買いだめし、少しでもその苦しみを軽減しようと準備してきた。

そして今日娘の目をみていった、

「今日から赤ちゃんは卒業しようね。赤ちゃんじゃないからおっぱいはなしだよ、でもパパとママはずっとそばにいるから、一緒に頑張ろうね」

すると娘は「うん」といって頷いた。

僕はすでにつらかった。

頷いて、たとえ理解していたとしても、この我慢は並大抵ではないだろう、ヴァンパイアが血を求めるように、彼女の本能が理性を超えて襲い掛かるだろうからだ。

が、今のいままで、彼女はおっぱいを口にしようともしないのである。

例えば普段なら湯上りには必ず「パイピー」といってのむのに、妻の胸元をみつめはしたが、結局何もいわずに立ち上がって遊び始めた。

晩酌を必ずする方が果たして酒を断ち切れるだろうか。

またいつもなら眠るときもおっぱいを求めるのだが、今度は「パイピー」とは口にしたものの、すぐに妻の下から立ち上がって、その誘惑を断ち切った。

僕は涙がチョチョ切れてしまった。彼女の涙ぐましい努力と、一切反抗しない素直さがいじらしかったからだ(反抗したりどうして?と訊いてくれたほうがむしろ楽だったかもしれない)。

そして最後まで口にせずに先程眠りについた。

この潔さ、禁欲心、僕は感心を通り越して尊敬していた。

その精神力に脱帽し、湧き上がってくるいろいろな感慨をしみじみ感じ、オレは今まで甘かった、これからは心を入れ替えて頑張ろうと誓いさえした

ところに妻がやってきていった。

「やっぱりあたしに似たのねぇ」

コメントできなかった。

すでに娘は妻の次元を超えていると思った。

米仏戦争

2009-10-30 23:05:32 | アメリカ
ここ数年仕事が一緒になることが多い人間に仏文卒のZがいる。

米文学によって思索の基盤を形成した僕とは、これまで1度も実現していない米仏戦争が展開することになる。

例えば「公」についての考え方。

フランスにおける「公」は、あらゆる偏見や特権を排除したものであるから、いかなる宗教色もご法度である。

したがって以前紹介したChristmas Tree という呼称が米で禁じられたニュースはフランス人としたら当然のことである。

しかし古き良き米派の僕としてはこの裁断は気に入らない。

そもそも米は、多文化圏の人間の寄せ集めのため、排除ではなく、inclusive に重きを置いてこそ米の美点がある。

ここで人種差別を非難したくなるかもしれないが、これも大きな目で見れば、弁証法によるAとBを止揚して新たなCをつくる礎とみることができるし、マイノリティ差別は、フランスにおけるバスク人をみてもらえば別にアメリカだけの汚点というわけではない(しかも南部びいきの僕としたら更なる言い分がある)。

また「在る」ということについても衝突する。

アメリカでの「在る」ための根拠は「実効」であるが、フランスは「合理」である。

例えば「気」の存在を僕は「実効性」で十分その存在を認めるが、彼は、僕が気功を彼の腕に通して「おおっ」とびっくりさせても、理屈で説明できない以上、気のせいか、プラシーボ効果として片付ける。

文学については、米はなんやかんやいってリアリズムやモダニズムが主流だが、仏は20世紀前半からシュール・リアリズムというか、リアリズムを19世紀の作法としてOld-fashioned扱いすることになる(もちろん互いに米と仏で想定されるリアリズム自体が同じとは考えていないと思うが)。

音楽は、クラシックは共有だが、僕にジャズとブルースがあり、彼にはモッズ的ロック、アニソンがある。

絵画は、・・・とその都度対立項が見出されるのであるが、たったひとつだけ共有するところがある。

いつも同じ名前を挙げて恐縮だが、フォークナーである。

フォークナーが、モダニズムからシュールへの移行期にいるかのような独特の過渡期的性格を有していることは、もともと米より仏で評価されたところからもわかるだろう。

僕もZもフォークナーを一般読者として好きである。

さて、ここまで米仏戦争を展開してきて考えてみたいのは、日本ならどうか、ということである。

米が「実効性」、仏が「合理性」とすると、日本にまず「合理性」はない。

大戦前にある西洋人が日本人は比較ができないから負けるといって去ったのを思い出せばいい。

また「実効性」はありそうな気がするが、きちんと言葉を選ぶと「即効性」だろう。

その点明治の初めは、合理性と即効性が加わって、実効性をある程度備えることが出来た点が注目に値するため、司馬さんも好きだったし、それが結実したのが『坂の上の雲』だった。

が、その背後には儒教や武士道があった。

明治天皇からしてそうだったが、いい意味で「上下定分の理」にしばられていた。

上は上の役割、下には下の役割があってそれをきちんとこなすことが肝要と思っていた。

その意識が日本の「公」だったはずで、「父」は「父」をやり、「総理大臣」は「総理大臣」をやる。

この「やる」という意識が減じて「なる」になったことが日本の問題だった。

山県が器でもないのに西郷になることを考え、日英同盟を破棄した。

なんというか位階にしばられるという儒教の悪循環が起こった。

混沌と現実を生き抜くために僕はやはり「実効性」を選びたい。

追伸:今日は僕の誕生日だった。が、朝起きてからお昼まで誰からも「おめでとう」という言葉は頂けなかった。妻がメールで「そういえば誕生日おめでとう」ときたが、どうして「そういえば」なのだろうか。そこで「プレゼントは?」と訊くと、返事がしばらくなくて「えがお」と来た。バカバカしくて、そのメールは放っておいたら、やっと「誕生日おめでとう」というメールが届いた。「やっときたか、誰からだろ?」と喜んでメールを開けると、母からだった。この年で母から、というか母からだけ「誕生日おめでとう」をもらっても寂しさと悲しみが増すだけであった。

存在の耐えられない軽さ

2009-10-25 10:48:16 | 音楽
先週の日曜夕方、娘と散歩をかねて本屋に行った。

絵本を探すためだ。

娘のためとはいいながら、面白いものにはつい魅入ってしまう。

一週間前なので、タイトルが思い出せないが、クマとウサギの話がよかった。

クマとウサギは、クマの家でなぜか共に暮らしはじめるがとても楽しい生活を送っている。

しかし問題がひとつある。

ウサギは鳴かないから(=話せないから)、いつも笑顔だけでクマさんだけが一方的に喋っていることだ。

クマはそれが不満で、ニコニコしかしてくれないウサギにある日激昂する。

「なんでなにもいってくれないんだっ!」

それをみたウサギは、クマの家を出て行ってしまう。

クマはひどく後悔する、一緒に暮らした楽しかった日々を思い出しながら、その激昂を悔やむ。

読後素晴らしい話だと思った。

が、主題がわからなかった。

そこでいつかのように自発動功に切り替えて、この話のテーマを教えてくれる言葉を待ちつつ、本屋の中を歩いた。

するとクンデラの『存在の耐えられない軽さ』が目に留まった。

僕はいわゆる「永劫回帰」を思い出した。絵本でいうと、『100万回死んだ猫』に似ている。

詳しく論じれば両者は違うのだが、僕に合わせて低次元にしていただくと、両者ともその瞬間を悔いなく生きよ、そしてその瞬間に責任をとれ、ということになる。

クマさんはもっともっと仲良くし楽しくしたいから彼の不満をぶつけ、ウサギさんはできるだけの精一杯のことをしていたわけだから(そもそも喋れないわけだから)、去る以外になくなった。

昨日楽天の監督を退任した野村監督の言葉に、自分の限界を知ったところから真の勝負が始まる、というのがあったが、真のコミュニケーションも同じだと思っている。

クマさんもウサギさんも互いの限界までいってそこをどう超えるかが問題だったから、1度はふたりの関係は壊れなければならなかった。

そんなことを考えながら、その数瞬間前から流れている音楽に自然と関心が移った。

女性ボーカルのなんとも自然な声と歌詞と旋律で、あってないような、その存在が耐えられないくらい軽いのに存在していることは間違いないもので、僕は聴き入り、娘もその心地よさに眠りに落ちた。

僕は、曲の合間にあるはずの曲とミュージシャンの情報に耳を傾け、それが miyumiyu という女性デュオだということがわかった。

早速購入し、先週聴き続けた。

家族の評判はよくなかった。

いまやクラシックからタンゴまで聴きこなす娘は一切関心を払わなかった。

妻も、聞きやすいし力もあると思うけど、空気みたいで、印象が残らない、と彼女にしてはかなり本質的な批評をした。

僕も彼女の批評には同意するが、それだけではないものを感じた。

繰り返しになるが、「存在の耐えられない軽さ」を感じさせる音楽という点では、著しい個性を感じたのだ。

我々人間の個人一人の生は、地球全体でみたら本当に「軽い」のだが、その軽い中に一人ひとりの生が詰まっていて、芥子粒のような生を生きつつ、実体ののあるものにしたいと思っている。

そんなときに自分の生を確認する作業として、自分を惹きつける人間との出会いとそのコミュニケーションは重要な意味を持ってくる。

「ねぇ♪そのまま、私の瞳(め)をみて話して、ホントのところを 好きだって」(有明の月)。

なんて詩はそんな認識から生まれたとしか思えなかった。

それから「Sanzan」という曲の歌詞は、上記ウサギさんの言葉のように感じた。

♪散々歩いたみたいに靴の底磨り減ってるのをみて、
しっかりしろっていつもみんなはいうけど、
問題はその前に大事なこの気持ちを
誤解のないようにちゃんとわかってもらいたい

曖昧は、そう、いつだって、熟れない赤色をしていて
丁寧に そう、こうやって君に伝えておきたい
取り留めない話 前置きするけどまじめに聞いてほしい

最後には言葉一杯
パズルのピースはめるように
結局のところいつも決まって君がつなぐ

だいじなところで全部与えてもらってばかり
いつでも笑顔の君に確かに甘えてた

曖昧にするときっと何でもうまくはいかない
体内の奥にずっと しまっておくわけにもいかない
くだらない話もまじえてするけど
飽きずに聞いてほしい

届いているなら離れててよい
こころここにある いつもそばに♪


いい音楽に出会った。

To Be or Not to Be 5

2009-10-20 21:57:28 | 文学
信長」が誤解を与えたらしい。

平石・諏訪部ペア(このふたりは師と弟子の関係である)のいうとおりなら、信長が道三や信秀と同列になってしまう、と締めくくったが、それは結論ではなく、「そんなはずないだろ」といいたかったのである。

ただ諏訪部さんがある程度の評価を得ていることは頷けた。それまでの研究成果を踏まえて一段高くピラミッドを積み上げていたわけだから学者としてはよい。

が、僭越ながら僕には、所詮その整合性が可能な枠内の話にみえた(し、更にいえばほころびもみえる)。

芸術作品は論じるものではないと誰かがいってたように思うが、その言い分はよくわかる。

確かに僕も芸術作品の理を論じたくはなるが、本物の芸術作品であればその偉大さを矮小化してしまう怖れがあるからだ。

つまりそもそも芸術作品の凄さは理以前の存在そのものにある。

本来作品は人工物だが、あたかもその作品自体が勝手に存在している存在感を持つことほど恐るべきものがあるだろうか。

したがって芸術家の凄さは、本来この「在る」をつくる技術にあり、研究者であればその技術あるいはそれを可能にした偶然こそをみつめるべきだと思う。

が、現実の文学研究者は、「在る」という不思議さではなく、作品内の理を論じて、矮小化するのである。

ご存知のように、「在る」ことに理はない。

哲学でもこの「在る」ことがどういうことなのか明らかにできてはいない。

しかしフォークナーは人工物を「在る」ことにしてしまった芸術家であり、否応なく「在る」ことを考究させる作家である。

いってみればそれがフォークナーが他の作家と区別される理由ではないのか、といいたかった。

僕と同じ意見を述べていたのが、実存主義者サルトルだった。

存在は理に先立ち、フォークナーの凄さが「在る」をつくることだといった。

当時大学院生の僕もその傑作群を読んでそう思った、というよりそう結論づけざるを得なかった。

僕も現在は何が専門かわからないが、当時の専攻は文学一本槍で、卒業・修士論文ともにテーマは、フォークナーだった。

そして面白いことに諏訪部さんの結論は僕の修論のスタートだった。

諏訪部さんの結論は、『アブサロム、アブサロム!』がハードボイルド、あるいは「メタナラティブのナラティブ化」だということだったが、その通りで、ハードボイルドとは理のない存在感を示すことなのである。

残念ながら彼はそこで立ち止まり本を書いたが、十年前の僕はそんなところで止まれるほど、すでに温厚ではなかった。

その先に更に突っ込み、修論を書き、フォークナーの存在のさせ方を個別に分析し、カラクリまでには到れなかったが、ある学会で発表しようと「フォークナーの representations」という草稿を書いた。

が、何のことだかわからないと却下されてしまった。

が、よく考えてみれば、先端の研究者である諏訪部さんが僕のスタートにやっと来たわけだから当時そうなるのは当然だった、ハッハッハ!(絶好調の自画自賛)

追伸:To be or not to be (1, 2, 3, 4)

同志

2009-10-19 21:11:59 | 将棋・スポーツ
初めて告白するが、僕は三宅裕二さんが同志にみえることがある。

ご存知の方もいると思うが、天然ボケの妻を持つという点で似ているからだ。

「天然ボケ」とは簡単にいえば「普通ならこう考える」という筋道というか理屈が完全に抜けているひとのことだが、彼が語る、天然ボケと一緒に暮らす悲哀は非常によくわかり、時に身につまされ、涙でそでをぬらすことさえあるといっても過言ではない。

そんな1例が昨日もあった。

以前も書いたが僕が在宅中は娘は僕のところにいようとする。

が、家に持ち帰りの仕事もそれなりにあって娘と遊んでる場合じゃないこともそれなりにある。

しかし娘はそんなこと関係ないから、僕がいれば僕が何をしていようが僕のところにやってくる。

だからそういうときは仕事部屋のドアの裏側に隠れて不在であることにしてこれまで仕事をこなしてきた。

が、先週末、いつものようにドアの後に隠れたら、妻は何を考えたか僕が隠れているところに娘を連れてきた。

思わず叫んだ。

「この隠れ場所がなくなったらこの先オレどうやって家で仕事すんだよっ!」

しかしは口をとんがらして「だって泣くんだから仕方ないじゃん」と謝らない。

そして迎えた昨日。

どうしても終えなければならない仕事があって、僕は仕事場にこもったが、やはり娘が僕を探しに仕事場に来た。

いつものようにドアの裏に隠れたが、昨日は娘はニンマリ笑いながらいつもは素通りするドアの後にまでやってきた。

ついに家で仕事ができなくなったのだ。

妻もその仕事の量は知っていたから自分が軽はずみにしたことの重大さがわかったらしく、やっと謝った。

僕はいいたいことをいわせてもらった、「全く自分がすることがどういうことになるか少しは頭を働かせてくれよ!」

すると妻はいつのもごとく逆ギレする。

「それじゃ私がバカみたいじゃない!」

・・・

僕は驚いた、「天然ボケ」の彼女が僕がいいたかったことをきちんと理解していたからだ!

あまりの感動に、「やればできるじゃないかっ」と手をとった。

妻も「うん」といって涙をこぼし、「これで天然ボケは卒業ね。。。」とささやいた。

註:妻の天然ボケぶりを示すエピソードを紹介しよう。米留学中、妻の天然ボケぶりは僕のクラスメートの知るところだった。英語に「天然ボケ」という概念を表わす言葉はなかったが、字義通りの英訳、Naturally Senile で十分に日本語の「天然ボケ」の意味を完璧に理解してもらえたのは、妻の「天然ボケ」ぶりがまさしく「生まれた瞬間老人ボケ」としか思えなかったからだろう。だから娘が産まれ、英語のsensible にあたる意味の名前、Ren をつけたことを報告したときも、あるひとりがこうかいてきた、"is it possible for your wife to have a sensible daughter?" (お前の奥さんがsensibleな娘を持つことは可能なのか?)。断っておくが、これを送ってきたアメリカ人はひとのことを少しでも悪し様にいうようなやつではない。だから妻もその文面をみて、「このひとがいうんだからよっぽどだね」とおめでたくも納得していたほどだ。ちなみにこの男は日本の僕のところにもよく遊びに来たが、湯斗をはじめ、連れて行く馴染みの場所で、「なんて感じがいいんだ!」とか「なんてかっこよくてやさしそうなんだ」などと絶賛を受けた好男子である(註終了)。

三宅さんがすごいと思うのは、そうした天然ボケの奥さんに一喜一憂することなく、泰然としているところだ。

あれ相手に怒ったって仕方ないからね、とまるでペットの話をするかのごとく話している三宅さんはエライ。

百将

2009-10-18 09:06:08 | 歴史
「事項要求、ほとんど実現できない」―来年度概算要求で藤井財務相(医療介護CBニュース) - goo ニュース

来年度の予算概算要求が過去最大だそうだ。

以前も書いたが、今の状態は日本のいつものやり方が悪い方に出ている。

部分だけをみて全体をみない、正確にいうと、全体をみないというより、全体をみることができない、である。

ここで思い出したのが、吉本隆明と、Mark Twain のWhat is Man?。

吉本は、日本人は西洋の革命を云々する以前にこれまで革命を起こさなかった(=天皇制を維持してきた)理由、すなわち日本人の特性を理解しなければならない、といっていた。

確かに上述の特質は、大戦を経ても全く変わる気配がないところをみると、日本人固有の性質と認めざるを得ないだろう。

それを変えるとしたら、Twain がWhat is Man? で書いているように外界の変化しかない。

その著作によれば、人間の思考はすべて外界からの情報とその経験の蓄積によってなされる。それまでのやり方に変化を与えるのは、外界の変化以外にない。

が日本の場合島国で民主党の外交をみてもわかるようにとっても日本的で、世界での振舞い方ではない。

いかに西洋的なものを取り入れても日本的に受容するわけだから、日本が変わるためには、Twain流にいえばより大きな外的刺激を受けるか、吉本がいうようにこの日本的特性をしっかり理解して、先に進む以外ない。

が、先に述べたように大戦の経験でさえこうなのだから、外的刺激にはほとんど期待できず、できないなら、これまで同様部分から攻めていくしかなかろう。

部分とは現場の効率主義であり、日本の組織というのはそこからいかに利益を吸い上げるかだけが組織の存在理由で、組織指導層は名ばかりになる。

戦後荒廃した日本から立ち上がり20世紀後半の繁栄を象徴する企業はまさにそうした特性を組織化した。特にToyotaの組織の効率重視ぶりは日本的性質を組み入れた信長的なものだったと思う。

日本という組織もまさにそうなるべきなのだが、いかんせん、現場中心、前線中心でどの現場の親玉が日本という全組織の親玉になるかが日本という組織だから、時代の移り変わりというか革命を起こすべきときに、日本という組織全体で効率の悪い現場を支えることになってしまう。

つまり民主主義は日本には早い、という丸山などの意見につながるわけだ。

封建制時代なら、そうした日本の自浄作用として不要な既得権益者たちを暴力で排除する可能性があったが、民主主義ではそれが起こらないわけだ。

7~800年前であれば、名のあるひとに絞るだけで、300名以上は殺されていなければならないだろう。

日本という特性を考えると、秦一族という考え方がある。

秦氏は、日本の黎明期に顕れた支配層に食い込んだ一族だが、彼らは現場主義でのし上がったものらが名乗った姓で、現実には雑多な奴らである。

だからこそ日本という再建には公正なフルイが重要だと思うのだが、先に書いた理由で押しつぶしよる。

さてどうしたものかと考えた場合無駄をできるだけしかも生活の前線できりつめるところから始めるしかない。

それなら医療費の、特にインフル対策なんかを削ったらどうだろう。

数ヶ月前ある店でいつものように物静かで上品に呑んでいたら、場をわきまえない医者らしきグループが酔って大声で相談していた。

今回のインフルエンザの情報は、全部WHOの管轄で全く資料を与えられず、ただただ彼らの言うとおりにしているで、よくわからん、というのだ。

あれから数ヶ月が経ち事態は変わっている可能性はあるが、おそらく根拠はないが僕は変わっていないと思う。

お役所というか既存の制度は、上からいうことをそのまま伝えるのが一番無難で、WHOがいってることに従っていれば日本の厚生省指導部の責任が問われることはないからだ。

またある公的な医療機関に従事するひとたちによると、マスコミが単に騒ぎすぎで普通の風邪あるいはインフルエンザ対策で十分とのことで、僕の周囲にいるひとのほとんど口癖といってもいい話だが、薬屋さんがただ薬を売りたいからこんなに騒いでいるんでしょう、という意見はそれなりに正しいのじゃないかと思えてくる。

とにかく昨今の西洋医学の威信失墜ぶりが顕著だし、そもそもインフルにかかるひとたちにはそれなりの共通項があると感じている(感じているだけなので書かない)。

とにかく日本の再生は、10円違うだけで、購入を控えたり決定したりする生活の前線にいる僕のような現場日本人の選択にかかっている。

現場にしかいることのできない、なんだか上部のひとがなにやってんだかわからないと日々感じている前線にいるみなさん、頑張りましょう。我々は百将(=姓)の末裔です。

僕は松平~(名前忘れた。松平だから三河の徳川家のゆかりのあるひとで、何かの理由で江戸時代大名候補になったものの「百将」の末裔であることを理由に断ったひと)のいう「百将精神」が大好きです。

不思議

2009-10-13 23:22:01 | 音楽
今日は4つのなぜ!

1) 夜、西武の涌井とソフトバンクの杉内の違いはどこなのだろう、と2人のフォームをシャドー・ピッチングで再現しつつ真剣に考えていたら、そばの椅子に座っていた娘が爆笑していた。

なぜだ?

2) しかしソン・ドンヨルの真似をしているときは拍手してくれる。

なぜだ?

3) 妻が、「さむらいマーチ」を歌う水木一郎をみて、ギャグのやり方が僕と似ている、かつてのドリフターズのような、吉幾三のような、というので、「失礼なっ」と思ってみてみたら、いいたいことはよくわかって納得した。確かに僕の笑いのとり方に似ていた。

なぜ似てるんだ?

4) 最近娘が小澤征爾の写真みると「パパ、パパ」と呼ぶようになった。ここには解釈がふたつある。ひとつは、小澤の風貌が僕と似ている、もうひとつはクラシックのCDをかけるときは僕の抱っこを要求する、だが、どちらかわからない。

いずれにせよ、なぜだ?

信長

2009-10-11 21:56:16 | 文学
自分に似た人間として、坂口安吾と安岡章太郎を思いつくことがある。

が、安吾の「堕落論」はともかく、ほかの作品を読むと「ちがう」といいたくなるし、安岡章太郎も「そこまでオレは考えないっ」ときっぱり拒絶したくなる。

この拒絶の感覚こそが「類は友を呼ぶ」なのだろうから、この拒絶はもちろん安吾や安岡との距離が遠いことを意味するのではなくむしろ近いことを意味する可能性は大である。

安岡については以前触れたから、安吾を例にすると、例えば「Farceについて」なんぞは、どうしてそう気負うというか制限を設けるというか、素直に対象にぶつかっていないというか、はじめから(偏)見があるという感を拭えない。

そこへいくと同じ「笑い」について書いている柳田国男の「笑の本願」などは行間に詰まっているものが多いのに、包括的かつ緻密で、怜悧とはこういうことだな、と唸ってしまう。

が、一方で認めなければならないのは、安吾の文章に感じる上に挙げたような特徴は、結局自身と同じではないかということであり、ある種の自己嫌悪に陥る。

オレの文章はこのような印象を与えているのかもしれない、と。

が、今週の読書には、安吾の「信長」を選んだ。

信長については、以前も書いたが、小説を書いてみたいと思っていた。

彼が何を考えたかという問題に興味をかきたてるところはなるほどやはり安吾と同じで、僕自身書くときは、「信長私記」というタイトルにすることも決めていた。

もちろん僕は小説家はおろか雑文を書くことにさえ関係ない仕事をしているわけだからそれが実現する可能性は現実的には乏しいが、いずれにせよ同じ関心をやはり持っていたか、と安吾の信長に対する洞察が気になって仕方なくなった。

もし僕と似たやつなら、僕が「信長私記」で書こうとしていることと重複する可能性があるのだ。

が、杞憂に終わった。

ひとことでいえば、信長の全肯定がテーマだが、桶狭間勝利までに限定しているため、朝廷や明智光秀との関係に手が出されていない。

いわゆる信長の実証性というか実践主義の集大成ともいうべき結果がそのふたつの関係であるだけに(と僕は考えている)、言及さえされていないところには不満がが残る。

もちろんこれらの問題は難しいといえば難しい。

信長の研究者の立花京子さんの『信長と朝廷~』にもあったように、朝廷との関係自体が表面上と実質的な面の隔たりからどちらに軍配が上がっているのかさえわからないからである。

しかし手を出すなら、どういう形にせよ、手を出してほしかった。

一方「狂人遺書」と題する秀吉の遺書は面白かった。

秀吉が朝鮮に手を出した理由は、痴呆でもなければ朝鮮でももちろんなく明との貿易および徳川、上杉ら豊臣のライバルたちの財政困窮と日本的増上慢にあったとする説で、しかもそこに秀次との関係も織り交ぜていて面白かった(利休切腹には触れていなかったが)。

つくづく文学の面白さは新しい指標の発見にあると痛感した。

というのも昨今『フォークナーの詩学』なる本を読んだ。

諏訪部さんという日本のフォークナー研究の将来を背負うと目される評価の高い方の作で、読後確かにその卓越した論に感服した。

が、先日紹介した平石さんともども、卓越したあまり、フォークナーという作家の評価を下げざるを得なくなった。

彼らの説明があまりにすばらしく明晰であるために、フォークナー文学は単なる敗者の精神史みたいになってしまう。

そうだとすると、フォークナーに新しさがなくなり、単なる一流作家に格下げせざるをえない。

また、文学自体の時代もしくは現実との折衝潜在力も先端ではないということになる(音楽の方がより前衛的というか先鋭的となろう)。

僕は文学が時代の主観を写し取るものだと信じてきたが、フォークナーにそのような解釈がなされるのが妥当なら(諏訪部・平石の説が正しければ、それを妥当とせざるをえない)、同時代の作家とさえ区別する必要もまたなくなってくる。

信長が信秀や道三と同列になるに等しい。