雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Report 61

2012-04-24 12:17:30 | 震災
ここ数ヶ月試した結果、海や湖のミネラル分を含んだ入浴剤は放射性物質を除去出来るように感じます。

どこぞで90%除去と表示のある商品とほぼ同じ感じでした。

体感60%は行ってるかと思います。

追伸:前回紹介したハーブティーですが、iherbで各自弱くなりやすい患部用のお茶を探してみて下さい。

report 60

2012-04-21 17:57:19 | 震災
今日のお昼ご飯は、放射性物質入りラーメンだった。

ネットで買う場合一定量以上買わないとそのお店が扱う食品の汚染度がわからないためそれなりに買うのだが、いざ食べてみて、汚染度が強いことがある。

我が家はもちろんお金に余裕があるわけではないので、僕が責任を持ってそれを始末することになる。

家族の中で僕が浄化力が高いのと、子供や息子に乳をやる妻が食べるわけにはいかないからだ。

そんなわけで食後頭から黒煙がもくもくと上がる。

といってあまりいいことではないから少しでも汚染及び浄化を促進するためにHerb Teasにはまっている。

もちろん国内のものは試したものはみな汚染されていたから、緑茶さえ海外から輸入する。

Herb Teasは生まれてはじめてこだわってみたが、その力に驚いた。

もともと漢方の生薬と同じだから当たり前だが、これまでレストランや喫茶店で頂いたものと比較しても月とすっぽんほどに違う。

同封される「飲み方」と題するパンフレットもほとんど医薬品の使用上の注意並みだった。

世界にはまだまだ可能性があるとつくづく思った。

追伸:N様
拙作をご購入頂き有難うございました。お問い合わせの、Students are required to wear a formal dress.という文で、主語が複数なのにdressが単数なのは、dressが「ある目的のための服装」という意味で用いられる場合A状態を基準とし、そこに一定の規格があることを示すからです。つまり普通ならformal dress はどんなものでもいいのですが、ここでは一定の決まりがあることを含意するため、不定冠詞がつけられています。ちなみにネイティブに訊いたら、主語が複数で目的語が単数という「矛盾」にこれまで気づかなかったそうです。彼は異文化理解を専門とする男でしたが、文化圏の違いによる理解の仕方には大きな差があります。日本人は、冠詞といえば単数か複数の違いばかりに目をうばわれますが、実際は拙著で説明したような3つの存在状態の違いで理解しなければならないと思います。

女運

2012-04-20 15:51:01 | 雑談(ジョーク)
この4月から娘が幼稚園に通い始めた。

よかったのは、担任の先生。

去る2月だったか去年だったかお世話になることを決めた幼稚園で会合があり、そのとき何人も先生はいたはずだったが、娘を任せるならこのひとしかいないと感じた先生が一人いた。

所詮六感に過ぎないわけだが、このひとは、少なくとも娘をみようとしてくれるだろうと感じ、ここ数か月間娘の幼稚園のことを思い浮かべるだけで、この先生の顔が浮かぶほど気にっていってしまった(単にタイプだったという説もある)。

そしたら本当にそのひとが娘の担任になって驚くやら嬉しかった。

それからもうひとついい女運があった。

娘や息子が僕の身体をジャングルジム扱いするので、メガネをひとつ買いに行った。

そこで僕の担当になった女性店員の気働きが素晴らしかった。

メガネを耳に合わせるにしても今までこんなにフィット感のある調整をしてくれるひとはいなかった。

もちろんこのひともタイプだったという噂がある。

Literature

2012-04-17 09:39:20 | 時事
「都が尖閣諸島を買う」石原知事、米シンポで表明(朝日新聞) - goo ニュース

日本の問題はいくつもあって、日本人として存続していく以上考えなければいけない。

福島の話だけじゃなく、NYTimesのこの記事にあるような産業の空洞化ほか、a whole country として考える必要性は年々高まっている。

その点僕は悲観的だったけど、できるかぎりのことはしなければいけないなと思った。

きっかけになったのは、最近大学院時代の恩師がかなり精力的に政治活動をしていることを知ったこと。

詩人として、Obamaに何度も提言している。

絵に描いた餅ではなく、理想に向かってできることを。

literature (文学)というのは、語源が「言葉を駆使できるようになった結果:学識」のことをいう。

学識というと堅苦しいが、なんというのだろう、普通多くの人間は、言葉によって情報を受け取り発信しているが、そうした情報の送受信ができるようになった結果共通して理解されることがある。それがここでの「学識」で、学者が持つ知識や大学に行かなければ得られない知識を念頭に置いているわけではない。

簡単にいえば言葉によって世界に開かれた状態とでもいおうか。

であるなら先生は、literature しているではないか、と感心したわけだ。

文学が大学や愛好家のなかにだけあるのではそれは「文学」ではあっても literature ではない。

追伸:福島の発電所は、放射性物質は、4、5日前に二日間高く、一昨日少し漏れ、今少し高まりつつある気配はあるが、お正月前後とくらべると落ち着いている。ただしこれまで降り注いだり蓄積された放射性物質はそれなりにあって、近くのスーパーに行くと、かなりの量。しかもコーナー別に強さは違うから、あれはそのまま食品の汚染度なのかもしれない。




report 59

2012-04-07 11:38:17 | 将棋・スポーツ
山中、強敵下し初防衛=粟生も3度目の防衛―WBCダブル世界戦(時事通信) - goo ニュース

久しく歓喜した。

ただし上記ダブル戦ではなく、『はじめの一歩』(Animax?)のなかの世界タイトル戦の話。

鷹村というJ・ミドル級のボクサーが世界チャンプになった。

とっても感動した。娘と抱き合って喜びあった(泣きそうだった)。

だからなんでこんなに嬉しかったのか不思議だった。

このアニメが好きだったのは登場人物がとてもまじめだったから。

目標に向かって走っている。

で、非道なひとが出てこない。

まじめに、誠実に、向かい合うひとたちのしのぎあいを娘にみせたかったわけだ。

今回どうしても鷹村に勝たせたくて仕方なかったり、勝ってとってもうれしかったのは、鷹村の相手が唯一非道だったからかもしれない。

昨今合法的なアウトローを目指すひとが目につくし、それに嫌気がさしていたからかもしれない。

それを放射性物質散布の問題に置き換えてみると、僕には科学が「合法的アウトロー」を作り出しているようにしか見えない。

感知できると自称する人間からみると、食品などに表示される「~ベクレル以下」という数字なんかは全くあてにならないし、放射線防護の商品を試してみても、どうしてそんなに高い確率で防護できると断言しているかわからないものがある(商品名を具体的に書いても裁判になったら面倒くさいだけだし、そもそも感知できることを証明することが困難である)。

もちろんそれ以下の問題もある。

福島で帰村できるかどうかを決める基準が原発からの距離で決められたそうな。

最大限妥協して線量で決めるべきだが、そうなれば、関東やそれ以外の地域までが入るからだろう。

それから除染の問題。

海外のメディアでも取り上げられていたが、除染がある種自慰&示威行為になっている。

チェルノブイリ経験者や児玉さんも言っていたように今行われている除染は我が家の放射性物質を隣の家に移すだけでしかない(だから絵に描いた餅と書いた)。

そんななか僕の自然主義を証明する事実に出くわした。

契約しているある個人農家の野菜は、昨年かなり汚染され、あきらめかけたが、ここ数か月元気を取り戻し、放射線汚染地内でこれだけPureなものが、と驚かされる力のある野菜を供給してくれる。

有吉佐和子が複合汚染(新潮文庫)でいっていたように、大地から健康だからだと思う。

この事故は、ここ半世紀、70点なり80点(合法的なアウトロー)を目指してきたツケだと以前書いたが、妥協のない方々の畑にはきちんと春が芽吹いている。

現代の乙女

2012-04-04 20:40:26 | 雑談(ジョーク)
『おかあさんといっしょ』をみて愕然とした。

体操のまゆおねえさんが卒業していたからだ。

最近世の中に疎くはなったが『おかあさんといっしょ』だけはフォローしてるという自負があっただけにショックは大きかった。

しかし失恋をいやしてくれるのは新しい恋だ。

新しいおねえさんに関心を向けることにした。

大学生だけあってフレッシュで肉付きがよかった。

太っているという意味ではない。ここ2代の歌のおねえさんたちはさまになっていくにつれて体がしぼられていったがそうしたそぎおとされた感じがまだないということだ(はじまったばかりなのだから当然だ)。

僕はいつからか女性がいわゆる社会に出て労働するようになってからの変化した体形、特にそぎおとされた体形にはなぜか関心があった。

性的ではなく、なんというのだろう、男の体形と似ているというか、性的な感じのしない、肉体を持たない女性というか、単に年をとったということでもなく、それでも男性にはない何か女性的なるものが残されて、ある種女性としてとぎすまされた感じになる。

とぎすまされて鋭くなるのはいいことではあると思う一方で、その変化には何かこれまでみたことがない現代固有のリアルな現実を見たような気もしてギョっとさえする。

かつての乙女たちと会うときもそうした変化を確認してしまう。

昨日もひとり乙女に会った。

しかし昨日はご存知の通り天候が悪く、一昨日の夕方、延期しようかとメールした。

会う目的はようやく僕の書いたが出版されたので、それを渡しがてら久闊を叙すだけだから、わざわざ嵐の中ですることはない。

しかしその夜21時半過ぎ返事が来た。今仕事を終わったところで、これを逃すと当分会えないから、どんなに雨が降ろうと風が吹こうと関係ない、ワタシは行きます、と気迫が文面からあふれ、予想外に腹をくくることになった。

そして彼女に会うと予想通りというか期待通り疲れていて(この疲れも固有の兆候だ)、彼女の判断力も以前より無駄なものが削ぎ落とされ、シンプルになっていた。

そんな彼女がまだ僕と会おうとしてくれるのはうれしかった。

大体僕と会うことにどんなメリットがあるというのだろう。

ただ僕が書いたが彼女に役立ちそうであることはうれしかった。

仕事柄「英語しゃべれるようになるにはどうすればいいの?」とか、いわゆる和英作文ではなく、英語脳にするための手段を教えてほしいといわれるのだが、彼女にもそう訊かれたので、その答えはその本にあるといった。

簡単にいえば日本人の言語活動は単語レベルで言葉を選ぶため英語を用いるときもそうやって操ろうとする。

しかし英語というのは単語レベルで発言する言語ではなく、文レベルで発話するものだ。

膠着語ではない英語に、膠着語であるかのようにアプローチするから、いつまでたっても日本語経由の英語で、本物の英語に到達しえない。

英単語を使っても英語でないのは、そのためなのである。

そんなことを説明しながら、その更に前日に行われたあるパーティのことを思い出した。隣り合わせになったイギリス人がブルーズ好きだったためパーティであることを忘れて僕らは二人の世界を作って話し込んだ。

しかもそのパーティがよかったのは、図らずも気功の師匠がいたことだ。

二年ぶりの再会で、取り敢えずここのところこのブログでも書いた疑問事項をお尋ねした。

やはりあの宙を飛ぶ星は気のようだった(インドだったかの文献にあるそうだ)。

そして一連の話を終えると師匠が、完全に師匠を超えたわね、といってくださったが、弁護するわけではないが師匠はここのところ気功どころではなかった。

もともと女優だから映画、舞台と最近は息つく暇がない。

つい先だってまで父が大ファンだった十朱幸代の舞台に出ていたし、この前の夏は国際映画にも出演していた。

ただ昨日会った乙女は、十朱幸代を知らなかった。