そんなわけで予想通り、今年のMardis Grasはシケているらしい。例年なら1600万ドル、スーパーボールの数倍の金がNew Orleansに落ちるはずだが、NY Timesによると、例年の50から60%の金額になるという予想で、名だたるホテル(RitzやFairmount)もいまだClosed のままである。
もちろんあれほどの災害があったのだから仕方がない。が、いずれにせよ、もう僕が知っているNew Orleansはできあがりそうにない気がしてきた。New Orleansの魅力および伝統は、飛散してしまったアフリカ系アメリカ人の「ソーシャル・クラブ」によって出来上がっていたはずだからである。
最近は「ソーシャル・クラブ」という名で呼ばれてるらしいが、ジャズ史に関心がある僕にとっては、「秘密結社 secret society」の方がシックリくる。ヨーロッパの悪名高いのが連想されてしまうかもしれないが、渋澤龍彦が書いたような陰湿なものではない。
というより全く別物で、ヨーロッパの模倣ではなく、アフリカからアフリカ系アメリカ人が持ち込んだものである。New Orleansは、最初スペイン、続いてフランスの植民地なので、連れて来られたアフリカ人の出身は、ヨルバ族とダオメー族だが、それぞれアフリカでもそういうシステムで運営されていた。それぞれの言葉は、前者の「相互補助会」を「グベ」、後者のそれが「エスス」という。
あえて和訳すれば、「相互扶助会」とでもいおうか。メンバーにはいると就職の斡旋ほか、旦那さんが早くなくなるとその未亡人に生活費を出したり、事故に遭った方には見舞金を出したりする、とても平和な、理に叶ったグループである。あのルイ・アームストロングも「ピシアスの騎士」という秘密結社にいなければ成功したかどうか。。。
そしてこの「秘密結社」がNew Orleans文化および伝統の動脈になった。ご存知の通りNew Orleansはスペインの植民地として82年間、その後フランスの植民地として46年間、1803年からアメリカの一部になった。しかしNew Orleansは、そういう歴史を決める人々が暮らす地から距離があり、しっかり監督されていたわけではなく、少なくとも19世紀前半までは、いろいろな国の人々がそれぞれNew Orleans社会のなかでの役割を請け負ってうまくやっていた(スペイン系は小売業、フランス系は倉庫や店舗といった感じ)。
満州はあまりいい例ではないかもしれないが、自由な気風に移民が集まり、1776年に12000人しかいなかったNew Orleansは、1820年には200万人都市に膨れ上がる(Katrina被害を受けたあとの現在より多い)。そうしたいい意味で錯綜した街で暮らすクレオール(当時は黒人というレッテルではない)の秩序を裏で支えていたのが「秘密結社」だったといいたい。
そんな彼らにとって大事なことが、自分の所属する秘密結社のパワーをみせつけること。だからといって軍事力や金などという下世話なものでやるんじゃない。「見た目の派手さ、華やかさ」、これだけが唯一である(十分俗っぽいですね)。最高潮は、アフリカの宗教や伝統もあって、お葬式のお通夜にやってくる。大盤振る舞いのドンチャン騒ぎである(これはすごく日本のそれに似ています)。
更に、埋葬するための行列は、バンドを雇ってパレードをやる。そこで雇われたバンド音楽からジャズの基をなす音楽がかたどられる。当時クレオールに人種差別はなく、彼らはフランス系エリートだから、フランスで最高の音楽を学んで帰ってきた連中が、そのアフリカの伝統とをくっつけて、ジャズを生むわけである(ジャズの完成には、更にスパイスとしての人種差別が必要になる)。
このパレードは当然Mardis Grasのパレードにつながっている。Mardis GrasでKreweが最初にパレードをしたのが、1857年のことである。とにかく以前も紹介したようにその当時の「秘密結社」の名残が、ここぞとばかりに、Mardis Grasでそれぞれのグループの力をみせつけてきたわけだ(単なるみせびらかしの張り合いであっても!)。
しかしその彼らがいなくなった。ジャズを生んだ19世紀New Orleansの力(これはまさにアメリカのダイナミズムであるが)が消えてしまった。もちろんこの変化によってまた何かが新しく出来上がるのだろうが、ジャズを介してNew Orleansに触れてきた僕にとっては、現在のNew Orleansは、残骸にみえてしまう。
そういえば、1993年の今日、World Trade Centerがはじめてテロ攻撃をうけた。死者6名という惨事とはいえ、被害を比較的小さく抑えられたのは、日系2世のミノル・ヤマサキの設計にあると聞いて誇らしげになった覚えがあるが、2001年の9・11テロで、第1、2ビルは無残にもなくなってしまった。3年前にグランド・ゼロをみにいったが、そのときの残骸がなんとなく現在のNew Orleansと重なってしまった。。。
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UPDATE:Zuluのその後は、タイムズ・ピカユーンでどうぞ。