雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

劇薬

2016-02-04 20:00:34 | 時事
マイナス金利、個人預金はならない=日銀総裁

マイナス金利の報に接したとき、安倍総理の何がなんでも数字だけは上げたいという固執を感じた。

この政策の真の狙いは、大企業が恩恵を受けるというのではないと思う。

確かに投資、回収型には有益になる。

が、日本の場合、最初の一撃は銀行自体が食らい、その穴埋めが手数料の増加になる。

それは他業界にも広がる。

「正当な」利益を得られないから、今まで無料だったところから徴収しようとする。

銀行ならお金をおろすたびに金がかかるという具合だ。

それが広がる。

付加価値や、「ご理解いただきたい」という日本的言い訳のもとに、手数料がとられるようになり、

物価上昇2%をねらっているのだ。

日本が問屋を重ねて物価をあげるのがお家芸だとは言え、

非正規雇用が4割にもなった日本のマインドは放っておいて、

数字だけ帳尻を合わせるのは本質的な解決とは程遠いものだ。

ここで、ふんっと笑って、逆にだからこそだよ、とほくそ笑んでいるのが、黒田やその側近だろう。

ヨーロッパでは、数年前に採用され、マイナス0.3%にまでなっているが、効果があるとはいえない。

また、採用されたとき、ヨーロッパでは抗議活動が起こったことを付け加えておく。

対岸の火事7: Extremism批判

2015-01-18 23:05:05 | 時事
"Separate the wheat from the chaff"(小麦ともみ殻を区別せよ)というのは素人には難しい。

この言葉が出てきたのは、NYTのこの記事

ヨーロッパで問題になっているイスラム世界からの移民の扱いについてである。日本で放射性物質汚染が広がったとき同様、懸念が懸念が呼び、収拾がつかないときの常套文句だ。

しかしもちろん移民と貧困がもたらす問題は、別にフランスでしかもつい最近始まったわけではない。

昨年末 Tony Blair がいわゆるイスラム的extremismを批判していた。

日本人としてbinary thinkingを学んだ人間としては「君らがそれを批判?」とからかいたくなった。

指標を決めてとことん選び抜く伝統はヨーロッパ、特にアングロサクソンにあると教わってきたからだ。

だから「表現の自由」などというすでにカビの生えたDogmaこそ洗いなおすべきで、当然フランスを批判しなくても疑問視くらいはあってよいわけだが、もちろんイギリスに批判する説得力はない。

ずっと続いてきた移民対策は失敗だったとCameronのウェブサイトの最初に書いてあった(今年はみてない)し、それ以前にイギリス国民の世論調査などによると、政府の対策がうまくいっていないことをむしろ国民が肌で感じ続けてきていた。

であればこそ、BrownやCameronが政権を引き継ぐ際、まず国民の安全を全面に押し出していたのである。

ヨーロッパは伝統的に日本の戦国時代に似ている。

地続きで国が接しているから、他国(隣国ではない)の問題は自国の問題になる。

例えばイギリスは、第二次世界大戦時ドイツの侵攻を止められなかった原因を他国の介入の仕方にあるとした。

イギリスからすると第一次世界大戦はベルギー、第二次世界大戦はオーストリアは無理としてもチェコなど停められなかったという反省がある。

適切に反応したのは、大げさでなくチャーチルだけで、第一次大戦では一閣僚からベルギーだけを守る役割をつくり、第二次大戦でももしチャーチルがいうように動いていれば大戦はおろかヒトラーの脅威さえなかったのではといわれるほどだ。

いずれにせよ地勢上の地平線はいつもヨーロッパに広げられていて、16世紀に始まるヨーロッパの隆盛はそうした自国を超えた視野にあると20年前みんなが読んだPaul Johnsonなどの著作をみて僕も思った。

しかし現代からみると違って見える。そしてすでに第二次世界大戦後ヨーロッパ、少なくともイギリスが反省したことは、それまでみていたのは世界ではなくヨーロッパという自分の庭だけだったという旧時代の遺産だった。

だからEUという発想は日本の明治維新のように当然の帰結のひとつだった。

言い出しっぺは、松本清張の小説で紹介されてる日本人女性を母に持つヨーロッパ人(名前忘れた)だが、チャーチルも早くから賛同して運動した。

しかしこれも今思えばそれは明治維新のときには正しかったかもしれないだけで、大戦後の問題ではなかった。

何がいいたいのかというと、西洋の処理方法は、自分の周囲から本当に問題となる相矛盾する二点を選び抜くところに始まり、そこで間違えるとすべて間違えるのだが、その選択が小麦ともみ殻の違いで、僕のせまいヨーロッパ観ではヨーロッパの二十世紀の選択はかなりはずれたようにみえる。

20世紀前半の間違いは、ヨーロッパを世界の中心とみた19世紀的時代錯誤で、その反省から近くの大国ソ連におびえて、時代に追従する形でEUという形をとった。

しかし米ソという世界的な戦いで勝敗を決めたのは、1860年代に人工的に作った近代国家の維持の仕方で、ソ連になっても結局ツァーリを中心とするロシア的なやり方が続かなかったのであり、共産主義と資本主義の違いではなかった(しかしヨーロッパは共産圏におびえた)。

更にいえば偶然とコントロールのどちらの割合が強かったかといえば前者になると思うが、アメリカはその問題を周到に解決することができた。

近代国家をまさにつくるときに生み出した汚点人種差別の撤廃が20世紀をかけて修復に向かった。

アメリカの自由は、Silent Majorityを経由したMinority向けの自由で、Obama大統領のしているRichから金をとってMiddleに振り分けるという仕方はそれに照らせばまだ間違いではないことになるが、この辺からが対岸の火事でなくなるところだ。

僕は、レーガンを夫の次に大切なひとと呼んだThatcherがやった自由とレーガンじゃなくてもいいがアメリカ的自由は全然違っていて、日本が踏襲している自由は間違いなくイギリス的自由、すなわち規制緩和だと思う。

結局アメリカびいきかよといわれそうなので欧州に話をもどすと、もちろんイスラムとの関係あるいは移民問題はChurchillの念頭にあったようだ。

その証拠に第二次大戦以前から、つまり第一次大戦で英国こそがその関係をこじらせたわけだが、少なくともChurchillは原理主義的立場をとるグループを抑え込むためにイスラムの穏健な精神的指導者の立場にある(名前忘れた)との関係を大事にした。

それこそがWheatだったと思うのだが、Churchillもアメリカとの対立を怖れその筋を前面に押し出せなくなる。

日本がこの対岸の火事に学び、選ぶべきWheatとChaffは果たして何か。

ニホンのデントー2

2014-11-21 21:27:30 | 時事
首相会見(1)「この解散は『アベノミクス解散』だ」(産経新聞) - goo ニュース

そうだったのか、「アベノミクス」の是非を問う選挙だったのか。

では「アベノミクス」とは何か。

ここでChurchillの言葉を引こう。

「新たな富を築く過程は社会全体の利益になる。古い富を使う過程は有益ではあるが、活力がはるかに乏しい。世界の富のうちかなりの部分は毎年生産され、消費される。過去の債務の重荷を振り落とし、確実に良い時代に入るには、新たな富を創造する活気に満ちた活動が不可欠である」

僕の印象では、「新しい富」への模索はなかなか難しいという現状で、従来通り「古い富」を大事にするしかない、というのが「アベノミクス」だ。

金の流れをあの程度いじるのは政策とはいわない。昔のやり方しかやれないから消費税を上げる。教育政策や憲法改正、女性の社会進出についても同様である。

それを問うのか?

「古い富」を大事にするしか手がない、ということを。

「新たな富を創造する活気に満ちた活動」が出来ないことを非難するつもりはない。

新しいことは難しいし、現代の社会自体が混迷流動化状態にあるからだ。

であるから、短期で投資を回収しつつ、エネルギーを確保し、そういうシステムに合わせて、政府だけでなく、国の底辺までが機能を落とさずにダウンサイズを求められている。しかもその機能もフルスペクトラムからより特化した小集団相手という質の変化に対応しなければならない。

この小康状態にみえてシビアな格闘を余儀なくされているときに、ただするしかないのにしていないことがゴロゴロあるのに、650億かけて選挙とはマジメに驚いた。

これでは選挙に勝つだけが目的と言われても仕方ない。

しかしやるならやるで、提案したいことがある(やること自体は僕の力ではとめられない)。

以前にも書いたが、各政党には、現状認識を書いてほしい。私たちの社会生活の現状が一体どういうものか、最大の問題は何か、その核心を描いてもらう。

全く意味のない実現しない構想(今までの選挙の度にマジメに読んだマニフェストでわかったが)はやめだ。

非本質的が日本のデントーとはいえ、明治以降、近代国家でやっていくにはそれが必要だ。

Ethics

2014-08-24 23:16:55 | 時事
録画しておいたTV番組をみた。

NHKのもので、チェルノブイリ法が制定されてから23年をたどったものだ。

ウクライナでは、年間の被ばく量が1mSV以上のひとが補償対象で、気になる補償の内容は、給与の一割増額(現金)、旅行券(リフレッシュのための)、ユティリティ料減額、医療費無料、大学優先入学、安全な食料購入金額などと、現金で受け摂る学はそれほどではないが、全体として包括的な支援にみえる。

ここまで被害者側に立った補償ができたのは、対ロシア(当時はソ連)を意識していたものでもあるようだが、現在その補償額は、国の予算の40%近くに当たり、当然無理なため支払額が減額されているという。

ただ支払わないわけではなく、分割するなどして最終的には支払う方針らしいから、政府を全面的に責めるというところまではいきにくい。

問題は、番組内の登場人物たちが再三口にする、ウクライナ23年の経緯を日本に参考にしてほしい、というところだ。

どう参考にせよというのだろう。

番組全体としては、手厚い補償を約束するのも考えものだといっている印象だが、画面に出てくるウクライナの要人たちが強調していたのは、ethics (倫理)だった。

大変な補償額ではあるが、これを行わずして政府と言えるのか(これは国が引き起こした問題で国民に責任はないのだから)と。

しかしこれはとても日本にそのままあてはめられない。

なぜなら日本は金だけは出せるからだ。

先日発表された放射性廃棄物などの中間貯蔵庫候補地に打診された850億円という金額は、ウクライナで支払いが困難だと言っている800億円を上回る。

もちろん物価の違いなどがあるから金額の比較はそのままではおかしいのだが、いずれにしても倫理は金の問題ではない。

倫理というのは何が正しくて間違っているかを真剣に考えることだが、日本の場合、金で判断停止状態を作っているようにしかみえない。

例えば福島の郡山では、地価が上がっているらしい。

一人10万円補償額を受ける避難民(家族が四人なら四十万円)が、郡山に引っ越して土地を買い、御殿を建てるからだという。

郡山ではちょっとした騒動で、カレラは朝からどこぞのカフェで朝食をとっているそうな。

これでいいのだろうか。

約百年前に出会った放射線との奇遇や未来への負担、放射線による人体への影響、我々が何をすべきかについて考えているのだろうか。

郡山には、年間1mSVの被ばく量を越えそうな場所はいくらでもある。

それとも被害者として疲れてしまったのだろうか。

僕は、汚染された食材を給食に出したり、そうした食材を食べないのは福島人ではないといった発言を非難してきたが、それは被害者の心の痛みに無神経な、所詮傍観者の無責任な発言なのか。

しかしそうした声にカレラは、「ねたむな」と答えたそうだ。

ここのところ原子力発電所の再稼働が次々と報告されているが、結局目の前にぶら下げられた生活と金の問題になっている。

以前ある大臣が「結局金だ」といった発言をしたが、全くその通りだといわざるをえない。

もちろんこうした流れは、「常識」かもしれない。

しかしここのところ各政権が踏襲している「公共の精神」に矛盾しないのだろうか。

「公共の精神」とは現在の社会の風潮への反省から自律心ある個人を育成しようという教育目標の主要な柱で、要は、倫理的な、自身で立ち止まって何が正しいか考える個人の育成である。

これは、19世紀末には議論されていて、つまり資本主義及び西洋的な考え方の成れの果てに懸念される不安材料に対する処方箋だった(トクビルなどは1835年にはすでに警鐘を鳴らしていた)。つまり西洋の礎である言葉という二項対立的思考への対策で、common, open といった二項対立を解消する含意を有する。

この解消が二十世紀のテーマで、共産主義やマイノリティ重視といった19世紀に提案されていた考え方を進めたわけだが、残念ながら、政治においても音楽も文学もそれ以上にはならなかったように思う。そして期待の星だったのが経済であった。なぜなら地中にミミズがトンネルを掘るように組み合わせが自由だったからだ。

話がとめどなくなっているので元に戻すと、公共の精神は確かに18世紀のロマン派詩人のように、音楽でのJAZZのように、量子力学のように、正答を保留したもので、決定的な回答は用意しないし、将来的でさえない。しかし立ち止まってじわじわと模索することは重要であろう。そこに国家公務員総合職に女性を増やすといった20世紀型、金で蓋をするという19世紀的処方箋は如何と思う。

金での解決を望むなら廃炉に23兆円かかることも念頭においてほしい。

非科学的

2014-08-05 23:29:26 | 時事
理研・笹井氏自殺 遺書で小保方氏気遣う「あなたのせいではない」 (産経新聞) - goo ニュース

科学には素人の僕としては、小保方氏のSTAP細胞発見のニュース以来、

茶の間のスキャンダルとしてしかみてこなかったが、

第一感、日本で最先端をゆく科学を扱う団体でありながら、

組織内での人間関係に渦巻く臭いがプンプンしていた印象しかない。

これで本当に科学なんかやれるのか、

ジメジメした日本の悪い部分が集まっているのではないか、と。

さて、科学といえば、以前も書いた通り、

自分の放射線感知+除染というこれまた非科学的な事実を証明しようとしているわけだが、

やっと測定してくださる研究所はみつかったが、

あまりに純粋に科学的なので、

どうやって証明すべきなのか(実験すべきか)思案に暮れている。

今月中には出せればいいのだが。

大根役者

2013-05-19 16:37:22 | 時事
想像以上に凋落する民主党 参議院の第1党の座も危うい(東洋経済オンライン) - goo ニュース

民主党には同情する。

結局大震災の処理が尾を引く形になった。

自民党が問題だったのはしがらみや旧態だったが、民主党もそれを乗り越えることができないことを示し、むしろ旧態なのは民主党であるかのような印象を与えた。

僕は、菅さんはそれほどひどくなかったと思う。

特に原発事故後、福島の事故近辺を国が買い取り、みな出て行ってもらう、という判断は、チェルノブイリ事故でのレポートをみれば誰もが選ぶ選択であり、適切だった。

本当に日本国民の健康を考えるなら、その一か所に廃材を集めるなどして、全国に出来るだけ散らばらないようにすることこそ肝要だった。

なのに放射線のことを知らない輩や、感傷的な一部の国民に、振り回される形になった。

しかし一番の問題は、民主党内部にあったと思う。

政治の見せ場は、演劇同様、同情を表現できるかどうかにある。

「俳優」の「優」は、もともと「ひとが憂う」ことで、他人の悲しみにきちんと憂うことが出来れば、「優れている」あるいは「優しい」という意だ。

以前も書いたが、僕はこの日本語が好きだが、その点民主党だけの話ではないが、大根役者が多かった。

「大根」を冠する理由は諸説あるが、ここで僕の意図にぴったりなのは、下手な役者ほど大げさにおしろいを塗る(そのため顔が真っ白になる)、である。

誰が悲しみを最も理解しているかを示すために大声で合唱するだけで、悲しみを昇華しようとはしなかった。

すぐれた俳優は、悲しみを十二分に理解していることをみせ、先に進むよううながすのではないだろうか。

とはいえそのような名優はなかなか出ないし、僕とてその器ではない。

だから同情するのである。

しかし民主党には別に反省すべき点がある。

もともとの成り立ちがそうだったとはいえ、一枚岩ではなかったことだ。

政党政治でやるしかない現状を知らなかったし、現総理大臣が失敗したときの教訓も生きていなかった。

役者として舞台に立つ以上配役はきちんとこなさなければならない。

源平の合戦をするのに、源氏の兵隊が平氏にねがえることなどあってはならない。

その点自民党政権はその反省は生かしている。

もちろん安倍さんがその張本人だったのだから、前回の失敗の総括は当然しっかりやっていて当然である。

しっかりEntertainerをやろうとしている。

ただ気に入らないのは、役者に多様性がないところ。

選挙時から安倍自民党も維新もみな右で、芝居が一本調子になる。

つまり安倍さんを批判すべき点があるとしたら、「右の臭い」だったということだ。

その点、橋本大阪市長の「失言」は格好の標的になった。

10年前の右的発言をした橋本さんを非難することで、自身からも右臭さを取り除くのに役立つとの判断は正しかろう。

Complaints

2012-12-15 00:32:17 | 時事
No legitimate candidate for council has been found so far because no one seems to go far enough to identify the problem to solve. Are they the issues that we have to give the answers to? I don't think so.

My career as a chi healer has begun. I need to be more careful about my condition. I mean I have to get much rest but patients come! Oh my!

My daughter didn't believe in the existence of chi but she could see something red floating around my head. She is beginning to believe though this is not a complaint at all.

Literature

2012-04-17 09:39:20 | 時事
「都が尖閣諸島を買う」石原知事、米シンポで表明(朝日新聞) - goo ニュース

日本の問題はいくつもあって、日本人として存続していく以上考えなければいけない。

福島の話だけじゃなく、NYTimesのこの記事にあるような産業の空洞化ほか、a whole country として考える必要性は年々高まっている。

その点僕は悲観的だったけど、できるかぎりのことはしなければいけないなと思った。

きっかけになったのは、最近大学院時代の恩師がかなり精力的に政治活動をしていることを知ったこと。

詩人として、Obamaに何度も提言している。

絵に描いた餅ではなく、理想に向かってできることを。

literature (文学)というのは、語源が「言葉を駆使できるようになった結果:学識」のことをいう。

学識というと堅苦しいが、なんというのだろう、普通多くの人間は、言葉によって情報を受け取り発信しているが、そうした情報の送受信ができるようになった結果共通して理解されることがある。それがここでの「学識」で、学者が持つ知識や大学に行かなければ得られない知識を念頭に置いているわけではない。

簡単にいえば言葉によって世界に開かれた状態とでもいおうか。

であるなら先生は、literature しているではないか、と感心したわけだ。

文学が大学や愛好家のなかにだけあるのではそれは「文学」ではあっても literature ではない。

追伸:福島の発電所は、放射性物質は、4、5日前に二日間高く、一昨日少し漏れ、今少し高まりつつある気配はあるが、お正月前後とくらべると落ち着いている。ただしこれまで降り注いだり蓄積された放射性物質はそれなりにあって、近くのスーパーに行くと、かなりの量。しかもコーナー別に強さは違うから、あれはそのまま食品の汚染度なのかもしれない。




大晦日

2011-12-31 23:19:58 | 時事
我が家も人並みに大掃除というものをした。

が、果たして効果があったのだろうか、と思うくらいすでに汚れている。

釈尊がなんという弟子だったかに掃除を命じて悟りに到らしめたわけだから、まさにこの事象が悟りのなんたるかに直結しているのだろう。

だからその意味が一体どんなものだったのかゆっくり考えてみたいが、そうもいかない。

珍獣がいるからだ。

先日仕事中お昼ご飯を食べ終わったくらいのとき妻からメールがきた。

かくれんぼの最中娘が屋根裏部屋に立てこもって僕が帰るまでそこから出ないと浅間山荘事件みたいなことを言っていると。

子供というのは何をするかわからない。

例えば先日有音のおならをした娘は、「(自分のおならが)かわいいでしょ?」と言った。

そうかと思えば全く同じ状況で、「私の(おなら)だよ~っ!(誰のだと思ってんのぉ!)」と明らかに怒ることもある。

なぜおならをした当の本人が周囲の人間に対して怒るのかわからない(これが逆ならわかるが)が、まさにこうしたわからないことをするのだ。

そこへいくと長男はまだわかりやすい。

1歳の彼にとって重要なことは面白いかどうかだけで、それが僕にとって問題になるとすると、僕が彼にとってとても面白い存在であるということだ。

そのため僕の事情にお構いなく、例えば仕事中でも関係なく僕の部屋に入ってくる。

そして僕の部屋に積んである書類やメモのたぐいをことごとく崩していくのである(そんなとき僕にできることと言えば、ゴジラのテーマを口笛で演奏して彼の無法ぶりを演出しつつ抗議することだけだ)。

そんなわけで大掃除以前と同じ、いやそれ以上に、すでに汚れている。

さて、今年の総括。なんといっても放射性物質が象徴的だった。

放射性物質は有機体を構成する最小単位としての細胞レベルで破壊し、有機体の存続を危うくする。

そうした意味でEU危機をはじめとする世界の経済不況も同じだった。

インターネットや新興国による経済圏の拡がりによって、ビジネスが短期的にならざるをえず、多くの組織が存続できなくなった。

その結果ローカルな有機的組織が破壊され、国レベルでも存続が危うくなり、さすがにここ数百年問題でありながらきちんと向き合ってこなかった国と経済圏とのズレを直視せざるを得ないところまで来た。

といってこのズレは解消するものではなく、ズレた状態でピントを合わせる曲芸を余儀なくされるようなものだからなかなかいいアイディアは浮かばない。

そこでここ数年間触れてきたようにローカルな国を優先した内需を何とかしようとする動きが出てくる。

結局金の流れを基盤にすると人間はついて行かれなくなるため国を基準とせざるを得ないためだ(これも以前に書いた)。

しかしそうした方向性はわかっていても容易ではない。

細胞が壊れるということは構成員数が減る(セーフティネットに引っかかる人が増えることも同義)ことだから本来必要な規模と予算が組めなくなるためだ。

そんなわけで今年は放射性物質一色だったように思う。

選択

2011-11-09 20:40:26 | 時事
『ニュースにだまされるな』の冒頭5分をみた。

メインキャスターが「責任の所在が明らかでなく、責任者であるべき人間は何事もなかったかのようにルーチンの仕事をやってる、これでは増税に説得力がない」(実際に述べた言葉そのままではありません)みたいなことを繰り返し述べていたと思う(娘と息子が僕の腕の中にいてきちんと聞けなかった)。

僕も report 29 で書いたが大賛成で、世界大戦同様、全く日本は反省せず、総括が全くない。

ひとが忙しくて最近まつりごとに口を出さないのをいいことに、相変わらずここ1世紀近く続く日本的な政治を続けるとは言語道断である。

年金の問題も同様で、誰がA級戦犯か明確にし、責任をとらせたうえで増税なら増税に進まなければならない。

現職の議員はもちろんその張本人ではないかもしれないし、民主党も過去の自民党の尻拭いをするのは大変だろう。

しかし民主党が政権をとった意味は、これまでの日本に惜別することを国民が選択したことであって、そのためにうらまれて殺されることも厭うてはならないのだ。

にもかかわらず責任の所在を明らかにしないで先に進むのなら、政権交代に意味はない。

そして残念ながら今のところあるようには見えない。

そのためTPPへの参加も本当に考えた結果選択されたのかどうか判断に迷う。

肯定的にみれば日本が所詮貿易でやっていくしかないことと、結局改革は外圧でしかできないと考えているのかもしれない。そして地震後の日本を支える工業系の会社に対する便宜も必要であろう。

そして何よりそうした事実を直視することが求められる。

が、これが難しい。

前回のPostで紹介した動物園や自然食品店に僕が鼓舞されたのは、自分で枠を作らずにあくまでも現実を見据え続けていた点にある。

しかし日本社会の多くの会社が、少なくとも僕が関わってきた組織にそうした視点はなかった。

これまでの慣例か自分たちで勝手に線引きをしたルールから出ずルーティンの仕事をこなしているだけで、客や世の流れをみていない。

みていないだけでなく、ルーティンの仕事に忙殺され、みていないという事実にもしている仕事がルーティンでしかなないことにも気づいていない。

例えば僕の著作がしばらくすると書店に並ぶのだが、出版社との折衝がうまくいかなかった。その理由は僕の書いた内容が従来のものととあまりにかけ離れていたためだった。

しかし現実を受け入れることは、児玉さんのいう20世紀型の事実認定にはないし、既存の規定に従うことでもない。事実に帳尻を合わせることだ。

戦国時代に、今川などを除く旧時代の名家は、生きていかれなくなったが、僕に言わせれば多くの出版社もそうした名家のみなさんだった。

だから僕は第一感TPPの受け入れには賛成だった。

しかし竹中平蔵さんも賛成と聞いて反対したくなった(だから一番事実をみていなのは僕ということになるが)、結局賛成になった。

もちろん誰かが言っていたように失業者が多く出るだろう。

農業も食に意識がある品質重視の農家のごく一部しか生き残れまい。

しかしこれは、もともと国として重要なこと、交戦権や農業の問題を後回しにしてきた日本人自身にこそ原因がある(だからといって淘汰されてほしいわけではない)。

唯一問題といえば時期の問題がある。

今の日本は地震や原発事故のために分が悪いことは否めないからだ。

日本自身が過渡期にあり、いろいろな産業が落ち着いていない。

しかし先ほどあげた肯定的な理由などに加え、過渡期であればこそきちんとした戦略目標をたてやすいともいえる。

そこで積極的に賛成したいと思うようになった。

上記リンク先をみてもわかるようにTPPの枠組みは、WTOとGATT(1994)を下敷きにした交渉で決まっていく。早く動くに越したことはない。

追伸:『ニュースにだまされるな』の前・中盤をみた。税制の抜本改革は、80年代以前との決別にあることはよくわかったが