"Separate the wheat from the chaff"(小麦ともみ殻を区別せよ)というのは素人には難しい。
この言葉が出てきたのは、
NYTのこの記事。
ヨーロッパで問題になっているイスラム世界からの移民の扱いについてである。日本で放射性物質汚染が広がったとき同様、懸念が懸念が呼び、収拾がつかないときの常套文句だ。
しかしもちろん移民と貧困がもたらす問題は、別にフランスでしかもつい最近始まったわけではない。
昨年末 Tony Blair がいわゆるイスラム的extremismを批判していた。
日本人としてbinary thinkingを学んだ人間としては「君らがそれを批判?」とからかいたくなった。
指標を決めてとことん選び抜く伝統はヨーロッパ、特にアングロサクソンにあると教わってきたからだ。
だから「表現の自由」などというすでにカビの生えたDogmaこそ洗いなおすべきで、当然フランスを批判しなくても疑問視くらいはあってよいわけだが、もちろんイギリスに批判する説得力はない。
ずっと続いてきた移民対策は失敗だったとCameronのウェブサイトの最初に書いてあった(今年はみてない)し、それ以前にイギリス国民の世論調査などによると、政府の対策がうまくいっていないことをむしろ国民が肌で感じ続けてきていた。
であればこそ、BrownやCameronが政権を引き継ぐ際、まず国民の安全を全面に押し出していたのである。
ヨーロッパは伝統的に日本の戦国時代に似ている。
地続きで国が接しているから、他国(隣国ではない)の問題は自国の問題になる。
例えばイギリスは、第二次世界大戦時ドイツの侵攻を止められなかった原因を他国の介入の仕方にあるとした。
イギリスからすると第一次世界大戦はベルギー、第二次世界大戦はオーストリアは無理としてもチェコなど停められなかったという反省がある。
適切に反応したのは、大げさでなくチャーチルだけで、第一次大戦では一閣僚からベルギーだけを守る役割をつくり、第二次大戦でももしチャーチルがいうように動いていれば大戦はおろかヒトラーの脅威さえなかったのではといわれるほどだ。
いずれにせよ地勢上の地平線はいつもヨーロッパに広げられていて、16世紀に始まるヨーロッパの隆盛はそうした自国を超えた視野にあると20年前みんなが読んだPaul Johnsonなどの著作をみて僕も思った。
しかし現代からみると違って見える。そしてすでに第二次世界大戦後ヨーロッパ、少なくともイギリスが反省したことは、それまでみていたのは世界ではなくヨーロッパという自分の庭だけだったという旧時代の遺産だった。
だからEUという発想は日本の明治維新のように当然の帰結のひとつだった。
言い出しっぺは、松本清張の小説で紹介されてる日本人女性を母に持つヨーロッパ人(名前忘れた)だが、チャーチルも早くから賛同して運動した。
しかしこれも今思えばそれは明治維新のときには正しかったかもしれないだけで、大戦後の問題ではなかった。
何がいいたいのかというと、西洋の処理方法は、自分の周囲から本当に問題となる相矛盾する二点を選び抜くところに始まり、そこで間違えるとすべて間違えるのだが、その選択が小麦ともみ殻の違いで、僕のせまいヨーロッパ観ではヨーロッパの二十世紀の選択はかなりはずれたようにみえる。
20世紀前半の間違いは、ヨーロッパを世界の中心とみた19世紀的時代錯誤で、その反省から近くの大国ソ連におびえて、時代に追従する形でEUという形をとった。
しかし米ソという世界的な戦いで勝敗を決めたのは、1860年代に人工的に作った近代国家の維持の仕方で、ソ連になっても結局ツァーリを中心とするロシア的なやり方が続かなかったのであり、共産主義と資本主義の違いではなかった(しかしヨーロッパは共産圏におびえた)。
更にいえば偶然とコントロールのどちらの割合が強かったかといえば前者になると思うが、アメリカはその問題を周到に解決することができた。
近代国家をまさにつくるときに生み出した汚点人種差別の撤廃が20世紀をかけて修復に向かった。
アメリカの自由は、Silent Majorityを経由したMinority向けの自由で、Obama大統領のしているRichから金をとってMiddleに振り分けるという仕方はそれに照らせばまだ間違いではないことになるが、この辺からが対岸の火事でなくなるところだ。
僕は、レーガンを夫の次に大切なひとと呼んだThatcherがやった自由とレーガンじゃなくてもいいがアメリカ的自由は全然違っていて、日本が踏襲している自由は間違いなくイギリス的自由、すなわち規制緩和だと思う。
結局アメリカびいきかよといわれそうなので欧州に話をもどすと、もちろんイスラムとの関係あるいは移民問題はChurchillの念頭にあったようだ。
その証拠に第二次大戦以前から、つまり第一次大戦で英国こそがその関係をこじらせたわけだが、少なくともChurchillは原理主義的立場をとるグループを抑え込むためにイスラムの穏健な精神的指導者の立場にある(名前忘れた)との関係を大事にした。
それこそがWheatだったと思うのだが、Churchillもアメリカとの対立を怖れその筋を前面に押し出せなくなる。
日本がこの対岸の火事に学び、選ぶべきWheatとChaffは果たして何か。