雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

実存主義者:中国

2006-03-05 23:17:13 | 文学
大江の追随者なら、サルトルも好きなのかとお考えになるかもしれないが、実はその通りである。コミュニストに楽観的といわれようと、実存主義が好きである。密教より近しい、抜き差しならぬものを感じてきた、と告白しなければなるまい。というよりこの両者は恐るべき程に近い。研究者ではない僕からすると、同一である。最大の共通項は、人間は、「自由に処せられ、人類全体の責任をおうアンガージュマンを要求される」ところだ。

もちろんこの傾向は、密教だけでなく仏教全体にもみられるが、仏教には、サルトルが実存主義の正反対とする静寂主義(「自分のやりたいことを他人がやることができる」と考えること)としての側面もあるし、その広さが魅力といえば魅力だが、実存主義だけを取り出してそれとのみ対峙したくなる(今そういう気分)。

さて、今日紹介したいのは、昨日に引き続きBoston Globeの記事である。まさか僕の記事をみて反駁したわけではないだろうが、昨日の深夜から朝方にかけて同新聞のアジア欄には、中国の反駁が載っていた(もちろんその矛先は前回紹介したFPの記事だろう)。

まず中国政府は、クリーンな政府をつくるために賄賂などをなくすという。それから地方との格差を埋めるための努力と、教育にお金をかけると国会で決議した。そして中国で起こっているお金と土地の急激な流動をコントロールするともいっている。また、今紹介した記事ではしっかり台湾の独立阻止の決意が付け加えられ、更に欧米に対して自由貿易という理想を掲げながらそうしないとクレームもつけている

もちろん全部実現するかどうかはわからないが、このひとたちはこうやって口喧嘩をやって、しかも議会での決議とあれば、事実をつくるための準備をもしている。「投企」しているわけである(サルトルは、人間の総体は、その投企であると述べていたように記憶)。

彼らの方が実存主義者で、日本が静寂主義者にみえるのは僕だけだろうか。もちろん静寂主義もありだが、僕の知覚できる範囲で世界を見渡す限り、現時点では、実存主義を選びたい。そういう風に僕の本能が僕に選ばせる。オレがやってやる、と。

こうしてみると、アーノルドには与さないかも。


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