New York Timesによると、この1月から中国製綿ズボンの輸入はそれ以前の1500%増であり、アメリカの繊維業界は大きな痛手を負ったらしい。16000の仕事がなくなり、18の工場が閉鎖された。
かつてCotton Kingdomと呼ばれたアメリカ南部は何をやっているのだろうか?
イギリスでの産業革命の影響をうけて、アメリカ南部全域で綿花が栽培され始めたのは19世紀初頭のことだった。南北戦争を経て、北部から根こそぎ奪われたあとも、綿花だけは残っていた。その儲け方は、ずっと同じで、南北戦争以前は奴隷、20世紀になってからは、いわゆるSharecropperという貧しい境遇の人間を安価で働かせて、低価格で販売するシステムが武器だった。
しかし更に安い中国製品が入ってきた。
こういうときアメリカがやることは決まっている。入ってくる数自体を制限する。アメリカは移民の国とよくいわれるが、移民の数が大きな力になってそれ以前に暮らしてきた強い勢力を脅かすとみるや数の制限をした。その最初が、中国移民に対する中国移民禁止法(1882)であり、それを拡大したのが1924年の移民割当法(別名排日移民法)だった。
ただし新しく世界貿易機構の長になったPascal Lamyは、アメリカのこうした処置に警告している。あくまで自由貿易にせよ、ということだ。しかしアメリカは、価格操作や財産権侵害するなどのルール違反をしているとして、中国を非難している。
日本人にいわせれば両方とも自分勝手だが、アメリカ南部史好きなぼくとしてはCotton Kingdomより安い綿製品を供給する存在があることに、なんだか時代の移り変わりを感じてしまった。。。
かつてCotton Kingdomと呼ばれたアメリカ南部は何をやっているのだろうか?
イギリスでの産業革命の影響をうけて、アメリカ南部全域で綿花が栽培され始めたのは19世紀初頭のことだった。南北戦争を経て、北部から根こそぎ奪われたあとも、綿花だけは残っていた。その儲け方は、ずっと同じで、南北戦争以前は奴隷、20世紀になってからは、いわゆるSharecropperという貧しい境遇の人間を安価で働かせて、低価格で販売するシステムが武器だった。
しかし更に安い中国製品が入ってきた。
こういうときアメリカがやることは決まっている。入ってくる数自体を制限する。アメリカは移民の国とよくいわれるが、移民の数が大きな力になってそれ以前に暮らしてきた強い勢力を脅かすとみるや数の制限をした。その最初が、中国移民に対する中国移民禁止法(1882)であり、それを拡大したのが1924年の移民割当法(別名排日移民法)だった。
ただし新しく世界貿易機構の長になったPascal Lamyは、アメリカのこうした処置に警告している。あくまで自由貿易にせよ、ということだ。しかしアメリカは、価格操作や財産権侵害するなどのルール違反をしているとして、中国を非難している。
日本人にいわせれば両方とも自分勝手だが、アメリカ南部史好きなぼくとしてはCotton Kingdomより安い綿製品を供給する存在があることに、なんだか時代の移り変わりを感じてしまった。。。