早朝四時半娘がシクシク泣いていた。
理由はわかっていた。
今年四月から幼稚園に通い始め世間に出た彼女は、まず自分が社会と言われる公の場に出て行かなければならないこと、次いでやがて結婚するなりして僕ら親から巣立つらしいことを察知した。
その別れが寂しいと泣いていた。
以前なら僕と結婚するという話で合点がいったが、父親との結婚は現実的でないと既に知っていた。
「私は出て行きたくない」
脈絡もなくそう宣言することが多くなった。
僕は「別に出て行かなくてもいいんだよ」と言ったりしてその問いへの答えを先延ばしさせようとしたが、ダメだった。
公園に行っても友達と遊ぶ楽しさより僕ら家族でいることを選ぶようになった。
そこで米仏戦争相手に相談をすることにした。
彼との対話が面白いのは、相手の結論を真っ向から否定するところから話が始まるところ。
で決裂しようがそんなことは知ったこっちゃない。
というか話をすることによって弁証法をやろうというわけだ。
だから僕の一連の説明を聞いて彼は、「素晴らしいことじゃないか。充足している証拠だ」と言った。
否定的な僕に肯定的な意見を述べたわけだ。
そこで僕が言った、「子育てに限らないが、現状の判断は未来に繋がるかどうかで判断すべきで、社会化することを余儀なくされている娘が必要以上に内向的になるのは考えものだ」と。
すると彼は、「人生は常に変化を経る。そして必ず次の段階に行くときに寂寥感は伴う。問題は、充足している前段階ではなく寂寥感の克服にあるはずだ」という。
で僕、「ではその寂寥感の克服はどうすればいい?」
すると彼、「社会の楽しさ、交友の面白さ、世界の不思議さを示せばよい」
僕、「それらは親の領域ではない。親が示すとそれは社会や世界ではなく親の有り難みとして伝わるようだ。」
彼、「それなら娘さん自身を親の保護から解いてやればいい」
僕、「それは考えたが、四歳の子供に早くないか?」
彼、「早いかもしれない」
というわけで、新たなカタチのコントロールが必要だということになって、デッサンと合唱の練習を娘と始めた。
今までの絵画は線と色、音楽は旋律だったが、前者には濃淡、後者には役割分担をいれたわけだ。同時に野球の練習も始めた。音楽同様役割分担を教えるためだ。
理由はわかっていた。
今年四月から幼稚園に通い始め世間に出た彼女は、まず自分が社会と言われる公の場に出て行かなければならないこと、次いでやがて結婚するなりして僕ら親から巣立つらしいことを察知した。
その別れが寂しいと泣いていた。
以前なら僕と結婚するという話で合点がいったが、父親との結婚は現実的でないと既に知っていた。
「私は出て行きたくない」
脈絡もなくそう宣言することが多くなった。
僕は「別に出て行かなくてもいいんだよ」と言ったりしてその問いへの答えを先延ばしさせようとしたが、ダメだった。
公園に行っても友達と遊ぶ楽しさより僕ら家族でいることを選ぶようになった。
そこで米仏戦争相手に相談をすることにした。
彼との対話が面白いのは、相手の結論を真っ向から否定するところから話が始まるところ。
で決裂しようがそんなことは知ったこっちゃない。
というか話をすることによって弁証法をやろうというわけだ。
だから僕の一連の説明を聞いて彼は、「素晴らしいことじゃないか。充足している証拠だ」と言った。
否定的な僕に肯定的な意見を述べたわけだ。
そこで僕が言った、「子育てに限らないが、現状の判断は未来に繋がるかどうかで判断すべきで、社会化することを余儀なくされている娘が必要以上に内向的になるのは考えものだ」と。
すると彼は、「人生は常に変化を経る。そして必ず次の段階に行くときに寂寥感は伴う。問題は、充足している前段階ではなく寂寥感の克服にあるはずだ」という。
で僕、「ではその寂寥感の克服はどうすればいい?」
すると彼、「社会の楽しさ、交友の面白さ、世界の不思議さを示せばよい」
僕、「それらは親の領域ではない。親が示すとそれは社会や世界ではなく親の有り難みとして伝わるようだ。」
彼、「それなら娘さん自身を親の保護から解いてやればいい」
僕、「それは考えたが、四歳の子供に早くないか?」
彼、「早いかもしれない」
というわけで、新たなカタチのコントロールが必要だということになって、デッサンと合唱の練習を娘と始めた。
今までの絵画は線と色、音楽は旋律だったが、前者には濃淡、後者には役割分担をいれたわけだ。同時に野球の練習も始めた。音楽同様役割分担を教えるためだ。