11月6日息子が誕生した。
娘が生まれたときにはない感慨があった。
オトコなんだから、何も考えずに自分の持っているものをすべて叩き込めばいい。
何か楽な気持ちになった。
しかし娘のときは、なぜかプレッシャーがあった。
女性であることを気にせずにいられなかった。
これはやっていいのか悪いのか、誕生後も何をするにも付きまとった問いかけのように思う。
しかしオトコだというだけで、その迷いは消失した。
俺はやるだけのことをやり(好きなことだけやり)、それをどうするかは奴次第だとなぜか思った。
つまり責任を感じなかった(女性だけでなく、男性でもわかってもらえるかわからないが)。
だから病院から退院するときも予定通り「宇宙船艦ヤマト」のテーマをかけ、出陣する息子をすでに見送っている気分だった(娘のときは新垣勉の「千の風になって」だった:おそらく僕が死んでも守らなければという気持ちがあったんだと思う)。
極端な物言いをすれば、名前を「尤(ゆう)」とつけて、自分のやるべきことは終わったぐらいに考えていた。
ただし人間世界に生をうけた奴に、それなりの意味づけがしたいと、材料を探した。
そしたら真偽のほどはわからぬとしてもふたつみつかった。
ひとつが背にたてがみのような毛があったこと。
ご存知のように司馬さんの描く竜馬が生まれながらにそうしたタテガミがあって、そこから「龍馬」という名がついた。
だから名前の候補に「龍馬」もあがった。
もうひとつが、江戸末期慶喜が将軍になるかならぬかの11月6日、日本の一般人が海外渡航が事実上できるようになった事実(法律上は半年ほど前から)。
当時日本国民と幕府は、ある種仕方ないともいうべき海外との接触を控えて偏見に凝り固まっていた。
が、そうした狭隘さの顕れであるビザ取得不可能が、イギリスとのつきあいのためであれ、一般人に解禁された。
そこで僕の息子が、この人間世界に生まれることを解禁されたような気になった。
龍馬とこの解禁、これらふたつが一緒になったからこそ、おそらくワグナーでもボロディンでもバッハでもなく、「宇宙船艦ヤマト」をかけたくなったんだろう。
追伸:南北戦争が始まったのも、11月6日でした。
娘が生まれたときにはない感慨があった。
オトコなんだから、何も考えずに自分の持っているものをすべて叩き込めばいい。
何か楽な気持ちになった。
しかし娘のときは、なぜかプレッシャーがあった。
女性であることを気にせずにいられなかった。
これはやっていいのか悪いのか、誕生後も何をするにも付きまとった問いかけのように思う。
しかしオトコだというだけで、その迷いは消失した。
俺はやるだけのことをやり(好きなことだけやり)、それをどうするかは奴次第だとなぜか思った。
つまり責任を感じなかった(女性だけでなく、男性でもわかってもらえるかわからないが)。
だから病院から退院するときも予定通り「宇宙船艦ヤマト」のテーマをかけ、出陣する息子をすでに見送っている気分だった(娘のときは新垣勉の「千の風になって」だった:おそらく僕が死んでも守らなければという気持ちがあったんだと思う)。
極端な物言いをすれば、名前を「尤(ゆう)」とつけて、自分のやるべきことは終わったぐらいに考えていた。
ただし人間世界に生をうけた奴に、それなりの意味づけがしたいと、材料を探した。
そしたら真偽のほどはわからぬとしてもふたつみつかった。
ひとつが背にたてがみのような毛があったこと。
ご存知のように司馬さんの描く竜馬が生まれながらにそうしたタテガミがあって、そこから「龍馬」という名がついた。
だから名前の候補に「龍馬」もあがった。
もうひとつが、江戸末期慶喜が将軍になるかならぬかの11月6日、日本の一般人が海外渡航が事実上できるようになった事実(法律上は半年ほど前から)。
当時日本国民と幕府は、ある種仕方ないともいうべき海外との接触を控えて偏見に凝り固まっていた。
が、そうした狭隘さの顕れであるビザ取得不可能が、イギリスとのつきあいのためであれ、一般人に解禁された。
そこで僕の息子が、この人間世界に生まれることを解禁されたような気になった。
龍馬とこの解禁、これらふたつが一緒になったからこそ、おそらくワグナーでもボロディンでもバッハでもなく、「宇宙船艦ヤマト」をかけたくなったんだろう。
追伸:南北戦争が始まったのも、11月6日でした。