雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

無学の学問

2010-05-31 22:17:29 | アメリカ
竜馬がらみで、西郷隆盛、大久保利通・一翁、小栗上野忠順、高杉晋作、久坂玄随、清河八郎、山内容堂、松平春嶽、島津斉彬といった維新時の面々の研究書を読んできたが、やはり本人らの書くものに優れるものはない、と思った。

所詮こいつらは江戸時代に踊らされた無知な若者と決め付けてきたが、本人の文章を読むと、彼らにはどうやら僕の好きな「真面目」さがある。

最近めっきりもっとも下らぬ言葉に成り果てているように思うが、僕は大好きだ。

ここでの「真面目」さとは、「対峙」することで、考え方や視野には時代の限界があるとはいえ、日本という国を後世にバトンタッチする責任感が強い。

特に素晴らしいのは、「人物」を見極めようという目だ。

室町のときもそうだったが、既存の定規ではなく、地に足のついた選択をしようとしていた。

なかでも勝海舟は特筆に値する。

勝の『氷川清話』なんか以前も読んだはずだが、こんなにも一致する男だったかと目を見張らざるを得なかった。

以前はあの独特な口調で、ひとをコバカにする態度が好きになれなかったが、彼の態度こそが本当の「真面目」だ(今風の使い方でいえば彼は「不真面目」になろうが)。

例を挙げればきりがないが、彼の海軍史にしても、外国要人との折衝記録(西洋から李鴻章まで)なども本当に胆力が素晴らしい。

彼が「無学の学問」と呼ぶものである。

いうまでもなく、事には理屈を通用させるべきときとそうでないときがあって、その使い分けのバランスがよいのだ。

であればこそ問題児勝海舟はいくら左遷されても、幕府の交渉事のたびに要職に返り咲いた。

そのポイントは、横井小南を語る言葉にある。

「今日はこう思うけれども、明日になったら違うかもしれない」

僕はこの言葉をFaulknerから学んだが、勝は更に一歩進んで、「だからこそ真面目に」と誠心誠意をモットーにしていた(それで盛んに西郷を褒め称えている)。

ホンットに感心した。

気の持ちよう19

2010-05-29 07:31:57 | 料理
最近帰路を共にする女性がいる。

中国語担当の方で、僕より年長だから「乙女」とは呼び難いが、楽しくご一緒させていただいている。

その理由はこの方とは気功の話ができるからだ。

数々の職場でも「気功」の話をすると笑われる。

笑われるだけでなく、せせら笑う。

それだけならまだましで、「こいつそういうやつだったのか?」とまじまじと僕をみつめ、その後は距離を置かれることもある。

だから僕としてはあまり口に出さないように気をつけてきた。

が、その方は中国語担当だから、本人はともかく、気功に携わっているひとに知己が多い。

そのため気の存在に違和感がなく、TVドラマの話をするように気の話をする。

実際、微力ながら治療もしてさしあげた。

語学屋の商売柄喉を痛めることがあるが、この女性も喉がかなり弱くなっている。

気功は粘膜系にはめっぽう強いので、ほんの30秒ほど真剣にやれば、一気に症状が改善する。

そのためか気の存在に違和感がないどころかその存在に対する疑念をかなり減じることができたと思っている(違和感がなかったからといってその存在を十全に確信していたわけではなかったから)。

更に遠隔もやってみせた。

気功は物理的な距離に制限がないから、ロンドンにいようがブエノスアイレスにいようが、おそらく火星にいてもその効能に変わりはない。

その女性も遠隔操作による気功の存在を少なくとも今ではそれほど不思議なものだとは思っていないと思う。

俄然気功の話が盛り上がる。

なにせ僕としては一番したい話ができるわけだからだ。

以前も書いたように僕は自己流なので日々実験を重ねているようなものだから、その結果を話せるのは楽しいどころかとっても貴重で、更なる実験の糧になる。

だから「秘奥義」の話もした。

というのも最近ちょっとした問題が起きていた。

母の持病である心臓がかなり悪質に暴れ始め、気丈な母が「来るべきときが来た」とメールをよこした。

秘奥義を使った。

もっともそれは現段階の僕にとっての秘奥義であってもっと上級者であれば当たり前の術だろう。

それは、気を送ったり作ったりするのではなく、自身が気化して、相手の肉体に入り、病状をコピーして出てくる、というものだ。

三日後母は嘘のように全快したとメールを送ってきたが、当然その病、弁膜症は僕に巣食った。

今度は僕がそれを吐き出さなければならなくなった。

が、心臓部分に鈍痛が続き、身体の右足に邪気がたまり始めた(僕の場合交通事故の影響で右足が弱いからだと思う)。

浄化を続けたが、よくなったものの完全に抜け切らなかった。

そこで、以下の林のようなタラの芽を頂いた。



すべて春一番の新芽で生命力の結晶といっていい。

食した数時間後、僕は倒れた。

身体中の主要経穴から僕にははっきりと聞こえたのだが、暴風のように気が発散した。

これまでこれほど大量の気感は感じたことがなかった。

無理矢理丹田に封じ込めることはできたが、意識しないと、怒涛のように噴出す。

その日は風呂も入らずにそのまま眠ったが、翌朝僕も全快していた。

なんて話ができるのは現在彼女だけだ。

3年目の浮気

2010-05-28 16:11:05 | 音楽
最初に断っておきたいが、僕が「浮気」したわけではない。

娘が「三年目の浮気」を気に入っているのである。

僕なりの音楽教育をしたいと、昭和の名曲に目をつけ、サザン桑田圭佑の『昭和83年度紅白歌合戦』を選んだことは以前も記したが、やっと娘に届き始めたらしい。

娘は、子供用のDVDだと一緒にはねたり、リズムをとって体をゆすったりするのだが、桑田の歌声に身体をかたくしてただただ寡黙に聴いている。

とにかく桑田の歌唱力が素晴らしく、ほとんどが本家を凌駕しているといいたいほどだ。

そんななかでなぜか娘が好きなのが、桑田が歌っているわけではない「三年目の浮気」である。

原由子が歌っているのだがいかんせん歳には勝てないらしい。

声の伸びが全然なくてさびしいが、とにかく娘は好きなのだ。

生まれて3年経たない娘が

「♪三年目の浮気ぐらい大目にみろよ♪」

と歌うのは滑稽極まりないが、ともかく桑田の凄さには恐れ入っている今日この頃である。

「浮気」といえば、以前も書いた姪と娘との三角関係が最近激化している。

姪は相変わらず僕のところに来てくれて嬉しいのだが、最近娘が焼きもちをやいてそれを阻止する。

まず近づくことはできない。

もちろんの方が体格が上なのだから、強引に来ることもできようが、姪はあれからまた大人になっているので、娘にさえぎられるままむしろ控えめに距離をとり、「所詮あたしは日影の身」といわんばかりに一歩下がる。

我が娘ながらあまりに頑丈で露骨なブロックで辟易し、もう少し姪と「浮気」したいのだができない。

結局僕と遊べないまま姪は帰ることになり、目立たないように木陰で泣いている。

男はこういうのに弱い。

竜馬3:和解

2010-05-27 23:06:54 | アメリカ
「また?」

とわれそうだが、依然として竜馬関係を読んでいる。

完全に広告に載せられた形だが仕方ない。

はまりたいものにただはまる

この身の処し方こそ、司馬さんが描く竜馬像といえよう。

今回高校以来で『竜馬がゆく』も読み始めた。

とにかく司馬さんの描く竜馬はカッコいい。

剣が強く、女にモテル(しかも美人だけに)。

が、そんなことはどうでもいい。

今回の発見は、司馬さんの結論と僕の結論が連結したこと。

ご存知のように司馬さんが得た竜馬の結論は、自由奔放であり、ただただ既成の枠組みから解かれた世界に拓かれている。

だから以前書いたような僕の竜馬像とは違っていた。

が、そうではなかった。

黒船来航から王政復古までの日本を雲の上から眺めれば、竜馬の業績など無いも同然だ(だから竜馬をもともと評価しないと書いたのだ、長州も薩摩も竜馬がいなくても最終的にはくっついたろう、両藩をくっつけたのは紛れもなく慶喜の怜悧さだった)。

徳川家を嫌う薩摩と長州、そして公家が団結して、幕府を葬るという何の思想もない日本的改革に過ぎなかった。

国をあげての浮かれ騒ぎ、若者のテロ行為、内実は昭和の戦争時と変わらない(単なる江戸時代の終焉、つまり蕃山ら儒者の「学問」で人民を押さえ込むという幕府のやり方が、黒船という夷の出現によって幕府自らがそのやり方を採用できなくなったために維新が起こる、いってみれば尊王攘夷などと声高に叫ぶ当時の若者らは江戸幕府に踊らされているだけだ)。

だから竜馬は「暗殺」されたのではなく、ただ浮かれた若者として殺されたか、「暗殺」だとしても薩長による王政復古が土佐藩にすぐに筒抜けにになるのを時間稼ぎしようとしただけに過ぎない。

なぜなら僕にとっての竜馬はそんな大きな流れのなかで自分の興味というか、はまりたいものにはまりつつ生きていく、という自由というよりは自分にできることをしていただけだったからだ。

しかしよく考えてみれば、竜馬のそうした生き方こそ、僕のやりたい、というか今実際にやっているつもりのことだった。

くだらぬ組織の争いになど誰が加わりたいものか。

であればこそ海援隊や亀山社中レベルの、自分がやりたいことをする集団をつくって、藩という組織に寄生したのだ。

というわけで竜馬のいう自由はぼくと同じレベルの自由(単なる矮小化?)の捉え方だったことになる。

単なる僕に都合のよい矮小化かもしれないが、僕の中では司馬さん、というより竜馬と何かを共有できたような気がして嬉しかった。

アメリカかぶれ

2010-05-10 21:00:17 | アメリカ
遅ればせながら、『老子』をある学者の解説付きで読んだ。

道教について触れながら、読んでない(正確に言うと読んでもよくわからなかった)のでは無責任だと思ったからだ。

森有正同様、とても似ている感じがした。

が、森有正ほどきわどい似方ではなかったから、すぐ突き放すことができた。

少なくともこの解説者のもとで読むと、道教は、二項対立的あるいは相対的な状態を劣とし、未分化な状態を上位に置くようにみえるが、ここに二項対立が成立する矛盾は許されるのだろうか。

確かに相対的世界はああいえばこういうで、かりそめ的要素があるが、だからといって未分化を優、二項対立的を劣とするのでは二項対立ではないのか。

例えば戦争は二項対立的世界の権化みたいなものだが、Robert Penn Warren は、「戦争」のもたらす pragmatism を評価する文章を書いていた。

日々の社会生活から生まれる知恵や判断力としてでなく、より差し迫った、失敗の許されない、薄氷上を間違いなく歩み続けてゴールしなければならない状況、すなわち僕の言葉でいえば process management だが、これを丹念に推し進める力にこそ人間の力強さを感じるとは思わないだろうか。

まあ、結局僕がアメリカかぶれといわれればそれまでだが、僕は少なくともその本にある道教より、アメリカのpragmatism を選びたい。

竜馬2

2010-05-08 21:28:03 | 歴史
本屋に立ち寄ったら、竜馬関係の本がうず高く積まれていた。

つい手が出そうになったが、通りすぎた。

ここで買ったらどう考えても猿回しの猿だと思ったからだ。

大体竜馬のポイントは世の中をゲームととらえ、そのルールを操作する視点に立つことなんだから、こうしたブームにノッカって本を手にとることは竜馬流でないし、竜馬好きなら絶対にそんなことはしてはならなかった。

が、僕は買った。

竜馬流ではないし、竜馬好きでもないからである。

しかし読んでみるとすごく面白かったし、何より竜馬に親近感が湧いてきた。

なぜなら外見が似ていることがわかったからだ。

お龍さんによると一般に有名な写真の竜馬の顔は綺麗すぎるらしく、本当は目付きが悪く、ひとが立ち寄りがたい感じがするのだそうな。

それなら僕と同じだということになって愛着が湧き、竜馬評も穏やかにせざるを得なくなってきた。

もともと竜馬を好きになれなかった理由は4つあった。

ひとつめは伝説が多すぎたこと。

エピソードのほとんどが竜馬の神話化を念頭に置いて後年創作されたものが多い。

司馬さんの『竜馬がゆく』も、そうした意図が丸見えといわざるをえないだろう。

挿話がフィクションであれば彼を云々することはもともとできないことになる。

ふたつめの理由は金重視である。

竜馬の考えるゲームは人生ゲームのように金がその中心にあった。

繰り返しだが、人間の社会生活はゲームに振り回されるだけだから、そのゲームの中心である金の流れを抑えておけばいいと考えていたことは、銀座の差し押さえや、土佐藩の為替レート操作に絡んでいることをみれば明白である。

3つめは、組織を利用すること。

竜馬が頭角を現すのは、社会秩序というゲームの要のルールとしての金と、その金の獲得と維持を目的にした組織力を使うようになってからである。

個人よりも集団、同じ集団でもより力のある集団を使いこなすようになる。

僕のように個人で何かをしても大したことにはならないから、集団をつくり、どんどんそれを拡大する仕方は、戦国大名も現在も人間社会の王道である。

最後が前回も書いた薩摩を見抜けなかったことだが、これはすでに触れた理由が総合された結果である。

竜馬は藩どころか国単位で世界を整理するのではなく、世界国家のような世界像を持っていた。

それが日本にとらわれない自由な発想の持ち主としての自由人としての彼のイメージにつながるわけだが、逆にこれが仇となったと思う。

竜馬の考えでは、世界国家を可能にするルールとしての金はすでに世界中に確立され、その流れにのって地球規模に拡大展開していく組織を模索すればいいと考えていたわけだが、現実には人間というか大衆はそこまで普遍的にはなれなかった。

人間は狭隘であり、文明的でありたいと願いつつも文化的な一面を色濃く持ち合わせているため、日本人の帰属意識は、あくまで藩レベルを超えなかったのだ。

おそらくそれを竜馬は見落とした。

現在もそうだが、いくら国際化という言葉がふるめかしいほどに国際化がすすんではいても大衆の生活はローカルなままで、国という単位で自分の帰属先を固定することは難しい。

その点竜馬はあまりに単純に自論を妄信したために、まさか同志および第一級の人物として認めた小松帯刀や西郷までが自分と違う見解を持って文化的に生きる道を選ぶとは思わなかったのだろう。

以上4つが好きになれなかった理由だが、最初の理由は竜馬の責任ではないし、第2、第3も人間はこれまでほとんどそのように振舞ってきたのだから、むしろ竜馬は常識人であり、常識人であることを理由に好きになれないというのでは単なるワガママということになる。

そして4つめの理由である過信と妄信も人間としてはよくあるミスだから、責めるに値しない。

むしろ竜馬は140年前をとても理性的に生き抜いた人間のひとりだったということだろう。

こうして考えてみると竜馬が好きになれなかった理由がはっきりしてきた。むしろとても常識的な人間だから、好きとか尊敬するなどとはいいたくなかったのだ。そうしたことを云々すること自体がおかしくみえたということだ。

さて明日は湯斗で山菜御膳。