雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

report 81

2012-10-23 09:47:30 | 震災
ご無沙汰したのはほかでもない、放射線感知者としての手記が刊行されることになったからです。

今編集に追われています。

ただ自身あまり進展はありません。

僕が1年前に書いていたことが科学的な記録としてボチボチ発覚してきましたが、それだけで、日本の放射線汚染はより深化しています。

環境に溶け込んでできるかどうかは別にして共存を余儀なくされている感じです。

今までにない風邪のような症状にやっと違和感を感じ始めたり、湿疹をみて、おかしいといいはじめました。

にもかかわらず相変わらず空間線量しか計測しないのはなぜなのでしょう。

なぜベラルーシのように各地域に食品の汚染度を測る機器を設置しないのでしょう。

答えは明らかです。

食い物屋があがったりだからでしょう。

そうすると日本の経済はさらに混乱することになります。

信州のキノコから~ベクレルが発見されたなんてのは序の口です。

ずるいじゃないかと言われるかもしれませんが、そんなの世界各国同じです。

チェルノブイリの事故の時もヨーロッパ各国は汚染度を発表するように要請されましたがほとんどが「被害なし」でした。

日本の汚染レベルは軽いとはいえませんが、5、60年代に核実験をした地域を中心にかなりの高さです。

しかし先日紹介したフレンチ・レストランでなにか希望のようなものを頂きました。

雷鳥を頂いたのです。

ご存知の通りライチョウは雪が降ると身体が白くなって捕まえられなくなります。

今の時期なら足だけが白くなるだけなので猟が可能なのです。

日本とフランスで禁じられているので、スコットランドからのもので、あまり手に入らないのに、ご主人が用意してくださいました。

折角用意していただいたのになんですが、こういったWildな生き物は癖があります。

鮎もそうでしたが、天然ものは、我々の味覚を拒絶する味がします。

野菜にしてもそうだけど、いかに我々が自然から遠ざかっているかを実感させられました。

だからそれに合わせるソースも濃厚でした。



その臭みのようなものを消しつつ食わせなければならないからです。

この加工こそ人間が求めるものです。

料理の場合特にそうですが、大自然のものを生で頂くよりはるかにおいしく加工する。

そのArt能力に賭けるしかありません。

以下のデザートはその点で素晴らしかった。



渋栗の旨味をチョコレートと混在させた30分しかもたないデザートです。

大自然の放射線相手にこれだけのことがすぐできるとは思いませんが、人間の加工技術に改めて希望を感じることができました。

report 79

2012-10-02 19:33:35 | 震災
台風一過、ここ二週間くらい高めだった空間線量が下がった。

ご被害に遭われた方には不謹慎ですが。。。

さてここのところ体調がおかしいことは以前も書いた。

邪気が肝臓にあって抜けない。

お昼過ぎから高熱が出はじめて、養生功をきちんとやれば下がるものの、やらなければかなり尾を引く。

で、こんなんが5日続いていて、改善されそうにない。

前回研究機関を紹介してくれといっておきながらこのくらい治せなければその機関に愛想をつかされるだろう。

そこで今朝かなり本格的に養生功をやった。

日本でも第一人者といわれる浦田さんの方法を重ねたものだ。

そうしたら邪気の所在が見えてきた。

肝臓である。

しかしいくらやっても動かない。

ちなみにこの原因不明の高熱は放射線による障害にも挙げられているが、最近では周囲にもあった。

娘の友達のお父さんは、40度くらいが1週間続いて、一本の注射で治ったらしい。

たぶん僕のも同じもので、同じなら余計病院なんかに行きたくない。

こういう「些細な」症状こそ気功で治せなければならないからだ。

前回も書いたが、放射線感知者として警告したいことは、放射線の恐怖があたかも晩発性障害にしかないようにいわれていることだ。

もっといえばγ線による症状が無視されている。

前回紹介した『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』にも書いてあるように、甲状腺がんや急性白血病を除く晩発性の障害に出会うまで生きられるひと自体がまれなのだ。

被害を調査する前に、つまり事故から一年以内で亡くなった方々もそれなりにいたらしい。

そうしたら先日福島県の死亡者数が11%増加という記事をみつけた。

この数字自体いろいろなことを考慮して少なく見積もったものらしいが、もちろんこの人数がそのまま全部放射線でなどというつもりはない。

しかしそのなかに放射線で亡くなった方がいることは確信している。