ご無沙汰したのはほかでもない、放射線感知者としての手記が刊行されることになったからです。
今編集に追われています。
ただ自身あまり進展はありません。
僕が1年前に書いていたことが科学的な記録としてボチボチ発覚してきましたが、それだけで、日本の放射線汚染はより深化しています。
環境に溶け込んでできるかどうかは別にして共存を余儀なくされている感じです。
今までにない風邪のような症状にやっと違和感を感じ始めたり、湿疹をみて、おかしいといいはじめました。
にもかかわらず相変わらず空間線量しか計測しないのはなぜなのでしょう。
なぜベラルーシのように各地域に食品の汚染度を測る機器を設置しないのでしょう。
答えは明らかです。
食い物屋があがったりだからでしょう。
そうすると日本の経済はさらに混乱することになります。
信州のキノコから~ベクレルが発見されたなんてのは序の口です。
ずるいじゃないかと言われるかもしれませんが、そんなの世界各国同じです。
チェルノブイリの事故の時もヨーロッパ各国は汚染度を発表するように要請されましたがほとんどが「被害なし」でした。
日本の汚染レベルは軽いとはいえませんが、5、60年代に核実験をした地域を中心にかなりの高さです。
しかし先日紹介したフレンチ・レストランでなにか希望のようなものを頂きました。
雷鳥を頂いたのです。
ご存知の通りライチョウは雪が降ると身体が白くなって捕まえられなくなります。
今の時期なら足だけが白くなるだけなので猟が可能なのです。
日本とフランスで禁じられているので、スコットランドからのもので、あまり手に入らないのに、ご主人が用意してくださいました。
折角用意していただいたのになんですが、こういったWildな生き物は癖があります。
鮎もそうでしたが、天然ものは、我々の味覚を拒絶する味がします。
野菜にしてもそうだけど、いかに我々が自然から遠ざかっているかを実感させられました。
だからそれに合わせるソースも濃厚でした。
その臭みのようなものを消しつつ食わせなければならないからです。
この加工こそ人間が求めるものです。
料理の場合特にそうですが、大自然のものを生で頂くよりはるかにおいしく加工する。
そのArt能力に賭けるしかありません。
以下のデザートはその点で素晴らしかった。
渋栗の旨味をチョコレートと混在させた30分しかもたないデザートです。
大自然の放射線相手にこれだけのことがすぐできるとは思いませんが、人間の加工技術に改めて希望を感じることができました。
今編集に追われています。
ただ自身あまり進展はありません。
僕が1年前に書いていたことが科学的な記録としてボチボチ発覚してきましたが、それだけで、日本の放射線汚染はより深化しています。
環境に溶け込んでできるかどうかは別にして共存を余儀なくされている感じです。
今までにない風邪のような症状にやっと違和感を感じ始めたり、湿疹をみて、おかしいといいはじめました。
にもかかわらず相変わらず空間線量しか計測しないのはなぜなのでしょう。
なぜベラルーシのように各地域に食品の汚染度を測る機器を設置しないのでしょう。
答えは明らかです。
食い物屋があがったりだからでしょう。
そうすると日本の経済はさらに混乱することになります。
信州のキノコから~ベクレルが発見されたなんてのは序の口です。
ずるいじゃないかと言われるかもしれませんが、そんなの世界各国同じです。
チェルノブイリの事故の時もヨーロッパ各国は汚染度を発表するように要請されましたがほとんどが「被害なし」でした。
日本の汚染レベルは軽いとはいえませんが、5、60年代に核実験をした地域を中心にかなりの高さです。
しかし先日紹介したフレンチ・レストランでなにか希望のようなものを頂きました。
雷鳥を頂いたのです。
ご存知の通りライチョウは雪が降ると身体が白くなって捕まえられなくなります。
今の時期なら足だけが白くなるだけなので猟が可能なのです。
日本とフランスで禁じられているので、スコットランドからのもので、あまり手に入らないのに、ご主人が用意してくださいました。
折角用意していただいたのになんですが、こういったWildな生き物は癖があります。
鮎もそうでしたが、天然ものは、我々の味覚を拒絶する味がします。
野菜にしてもそうだけど、いかに我々が自然から遠ざかっているかを実感させられました。
だからそれに合わせるソースも濃厚でした。
その臭みのようなものを消しつつ食わせなければならないからです。
この加工こそ人間が求めるものです。
料理の場合特にそうですが、大自然のものを生で頂くよりはるかにおいしく加工する。
そのArt能力に賭けるしかありません。
以下のデザートはその点で素晴らしかった。
渋栗の旨味をチョコレートと混在させた30分しかもたないデザートです。
大自然の放射線相手にこれだけのことがすぐできるとは思いませんが、人間の加工技術に改めて希望を感じることができました。