雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

report 8(訂正&追加)

2011-04-30 01:02:36 | 震災
最近発疹が出るというひとが目立つようになってきた。

そしてその位置がおぼろにその原因を教えてくれる。

第一の特徴は、骨や関節に障害が出ていること。

陽谿、太淵、髀関、浮白などといった経穴が信号を発している。

それから女性は陰陵泉などの生殖器系が侵されている。

わが娘もすでにそうした経穴が確認しただけでも5個は出ている。

つまりストロンチウム90やセシウムが暴れているということだ。

それから気功は少なくとも内臓の自覚できる痛みには効果があるように思われる。

肝臓もしくは腎臓と思しき部分が本当に沈黙の臓器かと疑いたくなるほど悲鳴をあげているが、そうした痛みの鎮静作用を持っているようだ。

それから漢方薬の主成分にもなるクコをはじめとする自生植物もなかなか使える。

放射性物質は確かに体内に吸収される率が高いわけではないが(プルトニウムで0.05%)、もともとそれだけで十分な悪玉である。

兆候のある方は、早めに除去する手立てに訴えることをお奨めします。

以前挙げていない効果的な食べ物では、玉ねぎや柑橘類の皮などがいいようです。

追伸1:今日はここ数日では放射性物質の線量が多い。外出は禁止。にもかかわらずNHKで線量報知コーナーがなくなった。隠ぺいか?

report 7

2011-04-13 19:50:43 | 震災
福島の土壌から微量ストロンチウム 水溶性の放射性物質(朝日新聞) - goo ニュース

やっぱり

ストロンチウム90は 骨に沈着し、血液の流れを悪くし、最終的に白血病を引き起こすが、この確率だけはしきい値を認めるひとが多い。

以前迷ったのは、セシウム137とストロンチウム。

セシウムは、肝臓、腎臓、肺、胃、最終的に筋肉や骨に散るわけだが、なんやかんや全身に障害が及ぶから血の巡りの悪さはセシウムの可能性もあった。

ちなみにヨウ素131は、甲状腺に集まり甲状腺障害、トリチウムやコバルトは全身に回る。

保安院のひとがいっていたように、3月15、16日が放射性物質の拡散量はピークで、あのときに出たものだろう。

あのとき娘は虫歯もないのに歯を痛がった(今思えばあのときだけであとはセシウムかヨウ素の症状が出ている)。

もちろん放射性物質の影響は上記だけではない。

目が充血したり頭痛ほか風邪と似ているからわかりにくいが、そんな症状が来る。

そういえば先日弟から面白いブログを紹介された。

地震予知になってるかな~」である。

ここ数日フォローしてるが、本人もいうように、僕同様いまだ検証中ではあるが、人間業とは思えない的中ぶりだ。

しかも僕と異なり思いっきり社会貢献している。

僕は単にひとりで過敏なだけだが、彼女はみなに警戒を促すことができる。

僕の触覚も何か役に立てないだろうか。


report 5

2011-04-09 22:09:34 | 震災
先日書いた気がみえるYに会った。

震災後ずっと会いたいと思っていた。

満天の星のような気が震災後どのようになっているか訊きたかったからだ。

僕は、大幅に減っているように感じていた。

大気中から吸おうにも吸えず、むしろ僕から吸うのだ。

そんな折、家の前の木が枯れた。

そんな簡単に枯れるような大きさの木ではない。

そう、木々が悲鳴を上げていると感じていたのである。

しかし僕の場合は感じるだけでみえない。

だからYに会いたかったのである。

訊いてみると、果たしてかなり上空にいかないとないとのことだった。

原因は、地震か放射線物質かはわからない。

とにかくYによれば震災前は樹木の周りに漂っていた無数の気がなくなっている。

だから彼は今日久しぶりに気の星をたくさんみたといっていた。

もちろん僕が引き連れている星である。

追伸:ここ数日放射線物質の量は減っている。僕は神奈川在住なので、数字は茅ケ崎のものしか知らないが、それに照らして言うと、0.03くらいではないかと思われる。

report 4(加筆)

2011-04-05 00:04:06 | 震災
日本の大手メディアと欧米メディア、プルトニウム報道の“温度差”【週刊 上杉隆】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

もし僕が政府の一員ならどのようにするのだろう。

政府の対応に非難が集中しているが、まずはチェルノブイリを思い出すべきだろう。

事件は1986年4月26日13時23分に起こった。

上空1200メートルまで放射性ガスと放射性物質が吹き上げられ、拡散を始めた。

送電が停止した場合に炉が必要とする電力が供給されるかどうかの試験中のことで、安全システムが切られていたなどのミスや間違いがあり、冷却水の急激な沸騰が起こって出力が正常の最高出力100倍になったためだ。

5月になると西は英国、南はギリシャ、北はスカンジナビア半島に達し、欧州各国政府が対応に追われた。

その慌てぶりを端的に示すのが、牛乳中の放射性ヨウ素131に対する介入レベルの差である。

イギリスとスウェーデンが2000、フランス3700、イタリア5550、ドイツ連邦500(単位はベクレル)。

こうした数字のばらつきを国際放射線防護委員会(ICRP)が以下のように説明している。

「処置の選択は予測される線量または線量預託に伴うリスクの間のバランスに依存するであろうから、いかなる特定の値も用意できない」

いうなれば科学ではなく政治の問題ということである。

まず実際に被ばくした人間がすでにそこにいて逃げることができない。

政治家は飽くまでその国に拘束されるから、科学的にみて国という枠組みを飛び越えて逃げたりできるひとを相手にするのではない。

どうみてもこれからも日本にいる人間、政治家を政治家たらしめる日本国民のことを一番に考えるほかない。

もちろん国民のことを一番といっても各個人健康上の心配を第一に考えるわけではない。

健康被害は考えるための一要素で、ほかにパニック阻止、経済活動の維持といった国という体裁を保つためのバランスを取らざるを得ない。

なぜならそれが国の政治家の仕事だからだ。

当時科学(健康)を問題にすることができたEECが設定した数字は、5月6日以前に500だったのが、16日になると250、20日には125と半減期のように介入レベルが厳しくなっている (国際的な基準としては、IAEAが子供1000ベクレル、大人10000。WHOは2000が参考になろう)。

細胞が損傷し、それが再生すると問題なので、本来有機体たる人間は自発的に死ななくてもいい細胞を自発的に死滅させる措置をとる。被ばくした場合そうしたコントロール機能も失われるから、問題が大きくなるわけである。特に再生が盛んな細胞、肝臓、胃、肺、腎臓などは放射性物質の親和性から人体自体の存続を揺るがすものになるわけだ。

政府はそうした細胞死をコントロールする役目を持つことはいうまでもない。

少なくとも僕が読んだ本には、ヨーロッパも当時は「安全、安全」といった。

要は個人の選択の問題なのである。

そうすると自ら調べなければならなくなる。

そういうときに学者の仕事を使う。

ただし学者に判断をゆだねるのではない。判断は自身でする。

僕の知人はとっくにカナダに逃げた。

追伸1:今日はじめてかなりきちんとヨーロッパの気象庁の放射性物質の拡散状況をみた(フランスイギリスドイツ)。僕らが感知した放射性物質の飛散の仕方に近かった。

追伸2:自分がなぜ感知するのかそれが知りたくて調べてみた。交通事故でX線を人並み以上に浴びたからだろうかとも予想したが、そうではない、という実験結果をみた。遺伝情報によるらしい。

追伸3:鞍馬寺の気の放出の仕方は僕に新たな気の動かし方を教えてくれた。早速妻に再現してみると「同じ」といってもらえた。おそらくこれから放射線物質による毛細血管の拡張はじめ肝機能障害などがこれまで以上に増加する。おそらく西洋医学では処理できないだろう。余生を日本人の治療にあてるかまだ決めかねている。

report 3

2011-04-02 00:01:46 | 震災
高放射線でいったん断念、遺体収容作業を実施(読売新聞) - goo ニュース

放射線物質対策というと、ヨウ素には文字通りヨウ素。セシウムにはフェロシアン化鉄、ストロンチウムにアルギン酸ナトリウムということになるらしい。

TVをみるとそうした物質を含む食品がネットなどで飛び交っているらしいことはうかがえた。

が、もうひとつ提案したい対策方法がある。

「気」の摂取である。

そこで鞍馬寺に行ってきた。

ご存知の方も多いと思うが、ここには気のスポットがある。

もちろん今回の京都行きの主たる目的は、家族に出ている放射性物質によるらしい症状を軽減することだった。

ドイツほか海外研究所による放射性物質の分布予想では関東以南には届かないらしいが、僕ら家族にはかなりの兆候が出ていて、元気が取り柄の娘もここ数日ヘンな咳が続き、すっかり意気消沈していた。

文部科学省のホームページによるとどの県も放射性物質の量はゼロではないが、少しでも距離をとればその分ストレスから解放されるとなんとなく思ったのだった。

実際東名、名神と行くうちに、感知する放射線物質の量は少なくなった。

特に豊田を過ぎると意識しなければ放射性物質の存在は忘れていられた。

滞在2日めで、娘の咳が止まり、僕らも京都を楽しむことができた。

鞍馬寺の気も申し分なかった。

そこに立っていると、みるみるうちに何かが入ってきつつ出ていくのがわかった。

娘や息子がいるからその場に数分もいられなかったが、疲れが消し飛んでいて驚いた。

もちろん久しぶりに気の入った料理を食べたのもよかった。

急に京都行きを決めたので予約がとれず、超A級の料理屋にはいかれなかったが、客に真っ向勝負の料理にうならされた。

それにしても京都というのは、入れ替わりが激しい。

数年前まではあった、お気に入りの店のほとんどが姿を消していて、ナビが役立たなかった。

なぜか「ペットと入れる」とか「アルコール安売り」を謳うお店になっていた。