雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Report 109

2013-03-31 18:39:55 | 震災
今日も数時間前から上昇。

体調にはくれぐれも気をつけて下さい。

そういえば先日行きつけの食品店のおばちゃんが「どうしたのかしら。健康だけが取り柄だったのに今年になって立て続けに風邪を引いたわ。」と言っていた。

僕は明らかに放射線被爆障害だと思ったが、いわなかった。

何より問題だと思ったのは、そうした体調の変化と放射線障害が結びつかないこと。

その女性の店は、「放射線ゼロ」を声高に主唱し、勉強会にも頻繁に通っていて、意識は高めの方なのに、である。

先は長いなあと思った。

外食

2013-03-31 11:09:21 | 料理
今週末は箱根に行っていたので外食三昧。

まずいさなとりで寿司。



相模湾の恵みに脱帽。

夕食は蔵樹。



初めてのホテルでスタッフは家族だけみたいで心配だったけど前菜からそれなりに緊張感があった。



続いて野菜のスープ。息子が偏食でこの手のものには手を出したことがなかったが、ぐいぐい飲んだ。



ステーキも素敵だったが、特筆すべきは山口の獺祭(純米大吟醸)がリーズナブルな価格で頂けるところ。

翌昼は、五年振りに自然薯のしずく亭。



相変わらず素朴だが、逆にごまかしがきかないシンプルさがよかった。

ご馳走様でした。



コレという物語

2013-03-27 23:15:52 | 文学
物語というものに関心がある。

斬新な、コレという物語をいつも探している。

映画では最近 JUNO(2008) とFINDING FORRESTER(2009)、『ステキな金縛り』を観た。

僕にとって新しかったし、すごく面白かったが、「コレ」とは感じなかった。

といって子供ができてからずっとはまっている絵本や童話にいいのがあったわけでもない。

もちろん面白いことは面白いんだけど、「コレ」がみつからない。

で、焦点はいつからか「コレ」を探すことから「なぜオレは関心がある?」に代わっていたことに最近気づいた。

そしたら先日哲学者の梅原さんがBSの100年インタビューで話していたのを思い出した。

なぜ哲学を考えなければならないか。その答えは文明の根本原理になるからだ、と。

そしてデカルトの「われ思うゆえにわれあり」に立脚する西洋哲学をいつものように批判し、自らの主張である草木国土悉皆成仏をこれからの哲学として推奨された。

簡単にいえば人間中心主義をやめ、植物と共生することである。

ちなみに僕は梅原さんは好きな方ではあるが、数寄にはなっていない。

仏教関係の解説についてなぜか胡散臭さを感じていた。

理由は「舌端火を吐く」に到っていない、今一歩踏み込みが足りないと感じていたからだろう。

例えば今回のインタビューにしても、人間中心主義をやめるとか、植物との共生を謳うところがすでに傲慢に思える。

更に言えば梅原さんによれば西洋哲学と草木国土悉皆成仏は別物だが、僕はそうは思っていない。

西洋哲学は包含されうると考えている。

なんでもそうだが、批判対象と好ましいものとが対照されている間は次に進まないと思うわけだ、ピカソや岡本太郎がいうように。

話をもどそう。

しかし今回の梅原さんの話で、なぜ物語に関心があるのかはみえた気がした。

僕も次代の根本原理としての物語を探していたのだ。

哲学より物語がいいのは、なんといっても矛盾が包摂されうるところ。

例えば前向きに突き詰めていけば疑い深くなる、ということがある。

これは哲学では矛盾になるだろう(もちろん「絶対矛盾的自己同一」というのはある)。

現代はその疑いを砂をかむように掻き消して、1か0に還元し、バーチャルな仮想現実を作る時代であるわけだが、それは仮想であって現実ではない(それを村上春樹は『1Q84』でとても上手に書いた)。

春樹の作品は久しぶりだったが、やっぱり現代作家だなぁと感心したが、春樹の作品がそうであることも梅原さんの話の反証になる。

梅原さんは小説は人間中心主義だから童話がいいとおっしゃっていたが、そんなことはないのだ。

人間が人間自身を素直にありのままにみつめうけとめればおのずと草木~も自ずと達成されると僕は思う。

追伸:福島県立大の先生の学会発表内容。福島での健康調査結果が本当に最後のページに記載されている。ガンなどの兆候はみられていないが、肥満、高血圧症、肝臓の異常はみられるとのこと。それから日本の汚染状況が深刻であることと、一次産業を守ることを両立させることが重要であるとは書いてあるが、その具体的な方法は当然考え方をどうするかになるわけだが、メディアが稚拙なので専門家がやらなきゃというだけだった。

Report 105(追記)

2013-03-23 23:56:20 | 震災
群馬県へ。

ちゃんとした用事はあったのだが、それ以上に群馬県の汚染度に関心があった。

群馬県と言っても渋川辺りまでだったが(ホットスポットは北部にあるとされる)、結論からいうと、これまでの予想通り線量が高い場所はピンポイントで異なり、~県~市が高いといった大雑把なものではない。

今日の経路は往路が相模原から八王子を抜けて関越の高速道路経由、復路は関越plus東名だったが、最も線量が高かったのは埼玉県の東京寄りの地域と、練馬から東名入口の世田谷、東京町田の一部地域だった。

つまり福島の原子力発電所により近いため、線量はさぞやと恐れていた群馬県の線量は、神奈川県より全体的に高めだとしても渋川と我が家のある神奈川県西部はたいした差はなかったということだ。

それから面白い話を聞いた。

福島産の農産物の方が安心だというのだ。

現在心配している放射線汚染はあの事故由来のものだが、それ以前からチェルノブイリ事故によって日本は汚染されていた。

福島より汚染されていた地域がもともとあるのにその地域のものは計測されていない。

少なくとも厳格に計測されている福島の方が安心だというのだ。

僕も一部その意見には賛成だ。

汚染はピンポイントだから、汚染がそれほどではない地域もあることだろう。

まだ福島に入っていないが、僕の好きな福島産の酒は他の酒ほど汚染されていなかった(ちなみにワインなどは吸収が早いと思う)。

しかし汚染度が高い地域が多いことも確かで、農産物が収穫後福島県内を転々と移動すれば当然空間に浮遊する放射性物質を集めることになる。

実際福島や千葉の線量の高い地域から送られてきた段ボールの汚染度が高いことがあった。

もちろん傾向は可能性が高いということであって、事実ではない。

農産物がたとえ出荷時安全基準内であっても上記のホットスポット地点を通過すれば汚染度が高くなる。

結局自分が口にする時の線量が問題なのだから、ベラルーシのように各コミュニティーもしくはお店に食料の汚染度が測れる装置を常備するようにすべき(もちろん簡易測定器ではなく、僕並みの感度を持つものだが)。

追記:現在9:14だが、昨日走った汚染地域並み(0.15くらい)の線量を現在神奈川にて感知。

Report 104

2013-03-21 19:41:41 | 震災
夕方から強くなって、前々回くらいだったかと同じような上昇がみられます。

底力のある、広範囲で逃げ場を与えない蔓延の仕方です

すでに中の上(0.08マイクロシーベルトくらい)は超えています。

食べる前にはよくうがいをした方がいいです(うがいでとれるわけではありませんが)。

report 103(追記)

2013-03-19 09:56:55 | 震災
福島第一原発で停電、燃料プールの冷却装置停止(読売新聞) - goo ニュース

昨晩は雨だったので、それに伴う上昇は感知したが、停電が本当にあったとしてその変化はあまり感じなかった。

ただし前回書いたように前日(17日)から強かった。

一日停電の起こった時刻をずらしたか、停電と僕の強の感知は関係がないかのどちらかということである。

さて、予告通り被曝のメカニズム。

私たちの身体は60兆個の細胞から成り立っているが、更にその細胞は、無数の原子がくっついて分子をつくることで多数の物質が生成され成り立っている。

だから大本はその原子の結びつきで、「ペア電子」といわれる現象である。

「ペア電子」とは、原子には核とその周りをとぶ電子があるが、その電子が重なることである。

そのエネルギーを数値化すると、数ev(エレクトロンボルト)である。

しかし放射線、例えばセシウムのγ線で、66万evという桁が全く違うエネルギーを流し込む(x線は10万)。

その結果分子結合が解かれ(「電離作用」という)、最終的に細胞に傷をつけたり死滅させたりする。

死滅すれば、身体を支える細胞の数が減るのだから、身体は弱体化することになる。

そして傷の場合は健全な細胞分裂をはばんだりする。

なぜなら各細胞にはDNAという複製のための設計図があるのだが、それが壊されるからだ。

この設計図は、2ナノメートル(10億分の1メートル)と微少ではるが膨大な情報貯蔵庫である。

ちなみに年間の被ばく限度量は1mSVとは、1秒に1万本の放射線が一年間持続してすべての細胞に100個ずつの分子切断をもたらすことである。

だから被曝量を知ることはとても重要で、身体の細胞がどのくらいがやられているかを知る目安になるが、そのあたりがなかなかつかみにくい。

その理由は人体があまりに複雑で何がどうなってどうなるのかを最終的に追跡できないからだ。

そのため内部被曝良の概算は大きく異なる。

ICRPみたいに初めから考えないようにするところもあるし(論外だが)、ECRRの場合は外部被ばくの600倍としている(これが本当なら毎時0.01マイクロシーベルトでも甚大な影響が出ておかしくない)。

じゃ海外に逃げるしかないのではというかもしれないが、そんなに甘くない。

中国はもともと高いし、NYでも毎時0.09マイクロシーベルト、パリ0.08ほど事故前でもあった(中東は誰だったかの本によると更に桁違いに多い)。

で、停電の件だが、僕は17日夕方から感知度が上がり、昨日は日中から肝臓の辺りをつらぬく痛みを感じつづけた。

もちろん強度はその比ではないが、2011年3月以来ほとんどなかった症状だ。

追記1:強度はまだ中ですが、広範な感じの上がり方がみられます(12:51)