年をとったのか、歌詞をきちんと覚えようとしない。
うろおぼえで、♪耳鳴りの、聞こえる、部屋で~♪と鼻歌をうたったが、本物は違った。♪海鳴りの聞こえる丘で♪だった。
「耳鳴り」が聞こえる「部屋」じゃ、「もうろく」したか、「体調が悪い」かして自室に閉じこもっているみたいじゃないか。
この曲は、浜田省吾の the best of Shogo Hamada vol. 1の13曲目「日はまた昇る」で、妻と僕、両方ともすごく気に入っている。たぶん僕らの現在の心境に近いのだろう。
歌われているのは、♪今まで何度も厄介なことに見舞われたきたけれど今もこうしてくらしている♪という感慨。
自分を取り囲む世界が、自分がいてもいなくてもだが、どんどんすすんでいく(日は昇りしずんでいく)わけだが、各自はそれぞれ真剣に♪自分の人生と戦っている♪。
僕は、「自分の人生と戦う」という表現が気に入った。
以前から戦っている気はしていたが何と戦っているんだろうと思っていた。
他人じゃないし、自身でもない。
肉体が朽ちるまでの一定の時間をどのように処するのか、それに「人生」という名詞はぴったりくる。
ここのところ車の中でよく聞いていたので、子供たちもところどころハマショーの「ウォー」という掛け声だけハモったりするようになった。
それから最近聴きすぎて飽きて、あまり聞かなくなったが、同アルバムの最初の曲、「君と歩いた道」もよかった。
約半年前、久しぶりにハマショー聞いてみようかと購入して、最初のこの曲にはっとさせられた。
まず問いかけがある。
もし15歳からやりなおせるとしたらどういう人生を歩む?
そして答える。
現在の知識をもとによりよい選択を繰り返し、自分の夢にまっしぐらになるだろう、と。
しかし疑念をさしはさむ。
では、「妻」と会えなくなるかもしれない。歴史が代わるんだから。
それなら妻との人生を歩もう、というラブソングにまとめられているが、僕はその問いを自分に課した。
15からもう一度やりなおせるとして何をどう変えるだろう。
僕も、反省をもとに、もっと効率的で利己的な選択をするだろう、と思った。
しかし具体的にあの場面では、とやりはじめたら、考えが変わった。
たぶん変えられないだろうと思ったからだ。その時々で僕は真剣だったし、現在の知識があっても、いろいろな節目で僕が下した決断は覆らないだろう、と。
そうすると僕の人生はこれしかないことになる(パラレルワールドなんてない)。
昔サルトル原作の映画にもあったが、僕は変えられない人種の人間であることをやめられないだろう。
ということは、今の妻や子供たちとも絶対に出会う。
その歌を聞く前、漠然と、妻も子供も今は一緒にいてかけがえがないが、たまたまの出会いだと思っていた。
極端な話、通勤途中にみかけた小鳥の出会いと同じ程度のものだった。
世の中に子供はたくさんいるし、女性もたくさんいる。
「配偶者」という言葉通り、25億人女性がいるうちのひとりが偶然僕に配られたとも考えられる。
しかし運命のひとなのだと思えるようになった。
ハマショー有難う、オレ頑張る。
ハマショーのベストはあとふたつあります。
うろおぼえで、♪耳鳴りの、聞こえる、部屋で~♪と鼻歌をうたったが、本物は違った。♪海鳴りの聞こえる丘で♪だった。
「耳鳴り」が聞こえる「部屋」じゃ、「もうろく」したか、「体調が悪い」かして自室に閉じこもっているみたいじゃないか。
この曲は、浜田省吾の the best of Shogo Hamada vol. 1の13曲目「日はまた昇る」で、妻と僕、両方ともすごく気に入っている。たぶん僕らの現在の心境に近いのだろう。
歌われているのは、♪今まで何度も厄介なことに見舞われたきたけれど今もこうしてくらしている♪という感慨。
自分を取り囲む世界が、自分がいてもいなくてもだが、どんどんすすんでいく(日は昇りしずんでいく)わけだが、各自はそれぞれ真剣に♪自分の人生と戦っている♪。
僕は、「自分の人生と戦う」という表現が気に入った。
以前から戦っている気はしていたが何と戦っているんだろうと思っていた。
他人じゃないし、自身でもない。
肉体が朽ちるまでの一定の時間をどのように処するのか、それに「人生」という名詞はぴったりくる。
ここのところ車の中でよく聞いていたので、子供たちもところどころハマショーの「ウォー」という掛け声だけハモったりするようになった。
それから最近聴きすぎて飽きて、あまり聞かなくなったが、同アルバムの最初の曲、「君と歩いた道」もよかった。
約半年前、久しぶりにハマショー聞いてみようかと購入して、最初のこの曲にはっとさせられた。
まず問いかけがある。
もし15歳からやりなおせるとしたらどういう人生を歩む?
そして答える。
現在の知識をもとによりよい選択を繰り返し、自分の夢にまっしぐらになるだろう、と。
しかし疑念をさしはさむ。
では、「妻」と会えなくなるかもしれない。歴史が代わるんだから。
それなら妻との人生を歩もう、というラブソングにまとめられているが、僕はその問いを自分に課した。
15からもう一度やりなおせるとして何をどう変えるだろう。
僕も、反省をもとに、もっと効率的で利己的な選択をするだろう、と思った。
しかし具体的にあの場面では、とやりはじめたら、考えが変わった。
たぶん変えられないだろうと思ったからだ。その時々で僕は真剣だったし、現在の知識があっても、いろいろな節目で僕が下した決断は覆らないだろう、と。
そうすると僕の人生はこれしかないことになる(パラレルワールドなんてない)。
昔サルトル原作の映画にもあったが、僕は変えられない人種の人間であることをやめられないだろう。
ということは、今の妻や子供たちとも絶対に出会う。
その歌を聞く前、漠然と、妻も子供も今は一緒にいてかけがえがないが、たまたまの出会いだと思っていた。
極端な話、通勤途中にみかけた小鳥の出会いと同じ程度のものだった。
世の中に子供はたくさんいるし、女性もたくさんいる。
「配偶者」という言葉通り、25億人女性がいるうちのひとりが偶然僕に配られたとも考えられる。
しかし運命のひとなのだと思えるようになった。
ハマショー有難う、オレ頑張る。
ハマショーのベストはあとふたつあります。