「9条の会」というのがある。ひらたくいうと憲法9条を守る会だ。
昨今の世界情勢を考えると、彼らの主張は、いささか理想主義的で、彼ら自身も述べるように鼻でフンっと笑われることが少なくない。そういう風潮のため僕自身もここ数年、大江健三郎ファンと公然と述べることにためらいがあった。
しかし大江さん(呼び捨てに出来ない)の言い分は、最近では『憲法九条、いまこそ旬』(岩波ブックレット)や雑誌『世界』にも載せられていたが、『鎖国してはならない』や『言い難き嘆きもて』などにもともと書かれている。「中心はない」とする「戦後民主主義者」としての立場と、作家という「カナリア」のような存在による「希求」、このふたつの延長にあるということだ。
憲法9条改正をめぐる議論について私見をいわせてもらえば、改憲派と大江さんたちのどちらがいいかということは、結局は今後の process management 次第になる。9条の会の、梅原猛さんほかもいっていたように、この会の議論が日本国内ではなく、世界的な規模で展開しないと「希求」が「気球」のように空虚なものになることは彼らも知っている。
だから闇雲に理想主義を掲げているのではなく、改憲派へのちゃんとした反論もしている。もともと憲法はアメリカ占領下でできたものだという指摘には、井上ひさし氏が、9条を作ったのはアメリカではなく、もともと国際連盟の常任理事国だった日本が提案しパリ不戦条約(1928)に記載されたものだとし、また、鶴見俊介や奥平康弘、小田実らも戦争の実体験者として、何はともあれ戦争の恐ろしさと中央集権の馬鹿馬鹿しさ、改憲後の未来像を訴えている(ただしなかには走りすぎあり)。
「9条の会」は、あまりにも大御所たちが揃っているため、老人の会にもみえて現実的でないイメージもあるが、逆の見方をすると、戦争を知っている人間の悔恨でもある。そして戦争を知らない世代に警告を発している。改憲しかないと考えている方には、岩波のブックレットから是非読んでもらいたい。もちろん改憲即開戦ということではないが、現在の状況をどちらが大きな視点でみているかと問われたら、現時点では僕は大江さんたちを選ぶ。