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アーチー・シェップを崇拝していた年上の女性サックス奏者。80年代、二十歳代の頃、東京で知り合い、たまに会うといつも真面目な話をした。ジャズ喫茶に入って音楽の話や時には政治や思想の話に熱が入る事もあった。彼女は暗かった。そう言う私も暗かったが、そのくせ、バブル真っ只中の世間の幸福感に同化したいという欲求が常にあった。彼女もいなかったし。対しそのサックス奏者はそんな浮かれた世相に背を向け自分を貫く態度があった。深夜、新宿のジャズ喫茶でいつものようにマジな話をした後、地上に出た時のけばけばしいネオンの眩しさに訳もなく絶望的になった事を記憶しており、それは漠然とした夢や喧噪、笑顔、楽しむ営為といったものを無理に遮るかのようなコントラストを描いていたと思う。彼女は今、どうしているのかな。アーチー・シェップが好きだと言う女性がそんなにいるとは思わない。シェップの80年代以降の‘軟化’を嘆き、「これからはデビッド・マレイ、オリバー・レイクしかいない」と‘宣言’する様はある意味、救いようがなかった。しかし、その生真面目さが懐かしい。
コルトレーンばり疾走するフリージャズの「steam」は私のフェイバリットだが彼女の事を思い出してしまうレコードでもある。しかし90年代のバラッドアルバムの連発も今となっては好きになっている。それはエリントン・オーケストラを聴き始めた事がきっかけだった。私はエリントン・オーケストラの中にシェップを発見した。それはベン・ウェブスターという演奏家だった。シェップと音色が極めて似ている。シェップのルーツを見た気がした。フリージャズの闘士と言われたアーチー・シェップの基礎にブルース、バラッドがある事の確認だったと思う。いや、その晩年のアフリカ志向からも窺えるのはエリントン以来の広いブラックミュージックそのものの後継と伝播こそがシェップの生命線だった。
2021.11.15
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