満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Boards of Canada「Tomorrow's Harvest」

2013-07-01 | 新規投稿
  

まさかの新譜登場。
長い間、待ち望み、むしろ半ば諦めていたボーズオブカナダの新作がリリースされた。
前作、「campfire headphase」(2005)の衝撃。それは電子音楽の匿名性、無記名性、非-作品性、瞬間消費性に辟易していた当時の私がエレクトリックを‘再び追う’という姿勢に立ち返るきっかけになったアルバムでもあった。しかしあれから8年。エレクトリックの拡散的定着に私はもはや、探索の気力を失いつつある。テクノミュージックのそのあまりも多岐に渡る細胞分裂的繁殖に私はその変換するネーミングのセクト主義に対峙しつつも、気になる音源をタワーレコードの試聴コーナーやyou tubeでチェックする事で納得度のハードルを低くしていった。その姿勢はもはや、音源鑑賞ならぬ‘サウンドチェック’と化した観があったが、反パソコンリスニング、反i-pod主義を掲げる私の古臭い作品至上主義という欲求を満たす音源は皆無であったと言っても過言ではない。サウンドだけを聴いてアーティストを言い当てる事ができるくらい個性的なテクノアーティストがいるなら教えてほしい。私が見過ごしているだけかもしれないから。

いや、シニカルな物言いはやめよう。
なかば、解散したとばかり思っていたボーズオブカナダの新作「tomorrow’s harvest」はその濃厚な作品性が際立つリスニング音源となった。音の感触は従来の‘暗い美しさ’を踏襲するものだが、以前の作品にも見られた私の一貫した感慨はそのポップミュージックの歴史的時間を横断し俯瞰する視点にある。エレクトロニカという得てして手法の先端を基盤とし、‘新しさ’がその良しあしの基準に押し込められる危険性をはらむジャンルにあって、ボーズオブカナダはいわば‘喪失したソングライティングの時代’の復権を担うエレクトロニカサイドからの回答という感がある。ここにあるサウンドの細部徹底主義、メロディの構築、リズムの快楽性、聴覚刺激的音響はあたかも演奏家が楽器の技術レベルを極めるべく、日々、鍛練を重ねるようなある種の技量に対する信望性をうかがい知ることができる。その練り上げ度こそが感動のポイントに他ならない。従って手法の新しさ、機器の新しさを基準とするいかなる好き嫌いを無効化し、私たちを取り巻く、ラップトップミュージックを含めた数多の音響的な創作が‘先端’以外の概念で捉え直される契機のような音楽がここにあると確信する。


2013.6.1
  

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