満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

John Zorn 『Zaebos』by Medeski, Martin & Wood

2008-11-07 | 新規投稿

昔、六本木を歩いていたらWAVEの方からヘンな音がする。近づいたら何とジョンゾーンとエリオットシャープがデュオで路上ライブをやっていた。シャープの不思議な自作楽器は低音弦楽器でベースに近いが、ドラムのようにヘヴィーなリズムも刻んでいた。ゾーンはあらゆる‘吹きもの’を吹いていた。立ち止まる通行人は少なかったが、私は何と贅沢なコンサートだと感激し、二人に見入っていた。いつもお金を払って観てるアーティストが道路でやっている。いい時代だった。確か86年だったと思う。

現在に連なる‘音楽のフラット化’現象に対するジョンゾーンの‘越境’による貢献度は小さくないはずだ。彼によって即興音楽はその特権性が溶解され、その事で逆に袋小路からの脱出も可能になった。即興音楽はジャンルとしでではなく、一要素として、あるいは音楽の中の一局面、音響的効果として、より先鋭なものと大衆なものへ振幅が拡がった。それを可能にしたのはゾーンの音への物質的、快楽的信仰と言える反形而上的な資質(ビルラズウェルと同質の)だったかもしれない。ゾーンがアンソニーブラクストンの影響下にあった事もその初期活動期において無関係ではないだろう。アンソニーブラクストンやオーネットコールマンの理知的(反理知的と同義)な方法論をゾーンは拡大し、エモーションの記号論的放射でノイズとポップを同時に横断した。80年代以降の即興音楽シーンの形成は、革新運動を止めたロック/ニューウェーブに代わる新たな刺激物たる音楽群だったと回想できる。そしてその音楽カラーは国籍も人種もジャンルも技術も方法論も楽器も、もう何もかもを無化する越境精神に綾取られていただろう。その中心に紛れもなくジョンゾーンはいた。

そんな稀代の越境者、インプロヴァイザーであるジョンゾーンが近年、没頭しているのが実は作曲である。しかもその作風は彼のルーツであるユダヤの民俗旋律風の作風が多数を占め、彼の表現拠点の変化が見て取れる。その変化を自身のレーベル、tzadikを組織した頃に認める向きもあるだろう。レギュラーグループ、masadaにおいても特異なユダヤ感覚を前面に押し出し、そのルックスもメガネとボサボサ短髪のオタクスタイリッシュだった昔と違い、ヒッピー風長髪のラビスタイルへと変化した。もうすぐあごひげ生やすんじゃないか。

ゾーンの連作であるmasada book2(the book of angels)volume11のタイトル‘ZAEBOS’をメデイスキ、マーテイン&ウッドが受け持った。ゾーン楽曲の何とも中毒的な味わい深さ、どこか単調で、しかし染み渡るような不思議な旋律をメデイスキ、マーテイン&ウッドの奇天烈な演奏で再現するが、おそらくはスコアに忠実で即興パートなないと思われる。クレジットによるとアレンジはグループ自身が行っており、独特のギクシャクしたグルーブは健在だ。

ニューヨークのニッティングファクトリーの即興シーンが生んだジャズ界の異端、メデイスキ、マーテイン&ウッドのアルバムはずっと聴いてきた。キーボード、ベース、ドラムのトリオだがヘビーでノイジーなオルガンを中心とするかなりアバンギャルドな音楽性を有し、しかもバカテクなので様々な語法をちりばめながら、多様なフレージングをノイズで包み、疾走させるような演奏の特徴がある。以前、ピアノトリオになり、旧フリージャズ(変な言い方だが)っぽい作品を作ったと思えば、ジャムバンドシーンの範疇に押し込められる事もあり、はたまた意外にもジョンスコフィールド(g)を交えた、それなりにストレードアヘッドなスリルジャズをも披露した。つまりこのバンド、傾向を一定するのが困難なほどの自由な音楽姿勢を持つ。いきなりポップスをやっても驚かない。そんなグループだ。ある意味、ジョンゾーンミュージックを演奏するに相応しいグループであろう。

メデイスキ、マーテイン&ウッドの音楽感性に独自の混沌への偏愛、そのオリジナルな快楽ゾーンへ三位一体で向かうグループシップを感じる。その意味で、このバンド、メンバーの代替えは不可能であろう。つまり、メデイスキ、マーテイン&ウッドはジャズカテゴリーに入りながら、実はロック的感覚のグループサウンズだと私は感じている。その姿勢は‘独自の混沌’=カオスへ至る過程を演奏で楽しむエピキュリアンか。
その演奏スタイルはどのような過程で獲得したのか、いや、私には嘗てのヘタウマニューウェーブの持っていたアイデア一発による独自性にも通じる束縛無き自発性をイメージする。
ハイテクニシャンがコンセプトやアイデアを先行させ、いったん、テクニックを放棄した上で‘個性’という建造物を建てるに至ったのか。それともテクニックの運動を無限に、無秩序に拡大したあげく、たどり着いたカオスの世界なのか。
いずれにしてもメデイスキ、マーテイン&ウッドは自分達の個的な快楽ゾーンに向かう。
私はこのグループにずっとMats & Morganをオーバ-ラップさせていた。双方はその感性において共通していると思う。その感性とはいわば、意味性が喪失された地平で繰り広げられる快楽の濃度の追求だ。今や全てが出尽くした時代。コンセプトも、目新しさも、演奏技術も。そこでは快楽手段の一つとしての‘高度な演奏技術の獲得’があり、リミックスやDJがあるだろう。それらが同一のレベルで誇られ、ある意味で笑える時代にもなった。

越境からルーツアイデンティティへの変貌をとげるジョンゾーンミュージックが新たな越境者、メデイスキ、マーテイン&ウッドによって再現される。その音楽は快楽の濃度を増し、私の御託を粉砕する。アルバムトップ「zagzagel」のベースラインで最早、クラクラする強烈なアシッド感。聴き終わったあとはヘロヘロです。

2008.11.7

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