沈黙から生じる音の色彩。
譚盾(タン・ドウン)の音楽は沈黙から始まる。その沈黙の器の中にエネルギーが充満し、その密度が耐えきれず爆発する時、あらゆる音が万華鏡のように空間へ飛び出す。一つ一つの音が余りにも存在的であり、その強弱や長短はおよそ考えられ得る全ての音がそこに在る。
そして音に拮抗すべき密度を誇る沈黙も又、譚盾の音楽の重要な要素に他ならない。更に沈黙のようで沈黙でない、つまりボリュームを上げないと聴き取ることができぬ程のわずかな音量で放流される微音もある。かと思えば突然大音量になるノイズ空間。譚盾自身の特異なボイスパフォーマンス。
音があらゆる運動をする。譚盾にとって音はそれ自体、生命を持った生き物のようだ。
このような記譜不可能な音楽にあっては音が様々な動きをする。音が揺れ、跳ね、消え、現れる。譚盾はある意味、帰依の状態での作曲行為や演奏、パフォーマンスを行っているのではないか。そう思わせる程、彼の音楽には'動性'を感じる事ができる。その'動性'こそがあらゆる表現の垣根を突破する指向性を含んでいるのだ。
譚盾が異なるジャンルとの表現者とのコラボレートに執着する姿勢は彼の宇宙観、自然法則観が究極的なバランスの元に合一性を持つものである証だろう。
従って譚盾にとって表現行為は'細分化'されてはならない。細分化されればされる程、それはパワーが失われ、儀式からほど遠いものになってしまう。京劇という彼のバックボーンは譚盾の音楽性に深い影響を与えているのだろう。彼は音楽というジャンル選択しながら'総合芸術'を志向している。
<以下 略>
続きは「満月に聴く音楽」にて。
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