満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

アストル・ピアソラ  『ピアソラ=ゴジェネチェ・ライブ 1982』

2008-03-13 | 新規投稿

Astor Piazzolla 『Piazzolla Goyeneche en vivo 1982』

音楽には人間の感情や主義主張、時には政治思想やプロパガンダさえ、裡に含んでいる場合が多い。また、特定の思惟やイデオロギーによって音楽が偏った解釈をされたり、政治的組織や団体、時には国家の思惑によって音楽が演出されたり、利用される事すら多くある。
しかし音楽の本来の魅力とは音というあくまでも抽象の表現を抽象のまま感受し、表現する側も鑑賞する側も、音に付随する様々な‘具体的なるもの’を一旦、理解しながらも、最終的には消し去る方向性を持つ時にこそ顕在化すると思われる。

外国人を拉致したり、強制収容所に‘政治犯’を収容して公開処刑し、麻薬や偽タバコの輸出で得た金を核兵器開発につぎ込んで自国民を餓死させる国でコンサートをしたニューヨークフィル。バーンスタインが泣いているとは、しかし言うまい。これが三枚舌国家アメリカの奥深い国家戦略。音楽は素晴らしかったのだろう。その楽曲にも演奏家にも何ら罪はない。
音楽は別。
毒入りの餃子や薬品、ペットフードを世界に輸出し、アフリカの独裁国家を武器支援し、その暴虐的圧政に手を貸したり、自らはウィグルやチベットで民族浄化を実施する現在進行形の侵略国でコンサートを行い、最後に「チベット!独立!」と叫んだビョーク。よく言ってくれた!さすがビョーク!と思うが、ビョークの音楽はさほど好きではない。
音楽は別。

ロバートワイアット、ウェインショーターが所属する共産党や創価学会は何れも私が嫌悪するものだが、熱烈ファンには変わりはない。敢えてロジカルに言えばワイアットやショーターが好きなのではない。その‘音楽’が好きなのだ。
音楽は別。なのだ。

音楽はいつもあらゆるイデオロギーから独立している。それは演奏者本人の意志をも超えて存在する究極の抽象表現だと思っている。歌う人の感情も、それを聴く人は異なる感情で受け取る事が許容される。音楽が存在する場所とは発した者から離れた場所であり、どんな思想や感情、背景を内包しても空中に発せられた途端にそれらは無となる。

‘闘うタンゴ’を標榜したアストルピアソラが生涯、闘い抜いたのは世間や社会ではなく、タンゴという一音楽ジャンルの中での形式や既成概念に対してだった。狭い箱庭が彼の戦場だった。しかしその‘闘い’の広大さ、偉大さは計り知れない。
『PIAZZOLLA GOYENECHE EN VIVO 1982』 (ピアソラ=ゴジェネチェ・ライブ1982)はフォークランド紛争(マルビーナス戦争)真っ最中の母国アルゼンチンでのライブ記録。この時期、ピアソラは国内で月に20回以上の公演を重ねている。イギリスに対する母国の正当性をメッセージする為か。全然、違う。戦争中は劇場使用者が少なく、そのレンタル料が安かったので大いに利用したというわけだ。稼げる時に稼いでおこうという音楽労働者の姿が見える。現在の名声からは想像できない不遇と無理解の中にあった当時のピアソラ。しかし彼は音楽革命を自分の要請と快楽に従って継続していた。この時点でもう30年のキャリアだと言うのに。ピアソラは音楽を世に妥協、迎合せず、しかも聴衆に対する感謝の意と両立させる純粋さを持っていた。

20分にも及ぶ「AA印の悲しみ」の緊張感に溢れたインタープレイの凄さ。楽曲を僅かに変形させる連夜の実験があったのだろう。即興演奏がアウトとインの境界線上ぎりぎりの地点で発火するように濃密な運動をしている。静的ながら凄まじいテンション、そしてアンサンブル。クインテットによるハイスピードなユニゾンやグルーブが渦巻く圧倒的な演奏。器楽間の張り詰めた空気感、そこで生み出される生命力がこちらを圧倒する。心が揺さぶられるようだ。そしてクライマックス。全く、このエネルギーに満ちた音楽には莫大な感情や思想が詰まり、しかもそれらを無効化する。抽象表現の持つ真の力感。意味無く流せる涙、文章化できない深遠な物語がある。

アルバムはロベルトゴジェネチェを迎えたボーカルナンバーを6曲収録。しかし、ピアソラには女性ボーカルが似合う。ミルバやアメリータバルタールを愛聴する私はこの男声シンガーは好きになれなかった。「ロコへのバラード」も藤沢嵐子の方がいい。

この半年後、ピアソラは遂に来日した。その模様は『LIVE IN TOKYO 1982』で聴くことができる。なぜ、日本に来たのか。戦争が終わって落ち着いたからか。全然、違う。戦争など何の関係もない。彼の戦場は‘保守的な音楽シーン’というもっと大きな戦場だったのだから。
「私の戦争は55年に始まったんだ。その時は火星人だと思われていた」アストル・ピアソラ

2008.3.13
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  ETHAN ROS... | トップ |  恒松正敏グループ ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新規投稿」カテゴリの最新記事