満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

10/21(mon) Dedicated to AGI Yuzuru - Modernist and Mass Silencer

2019-10-23 | 新規投稿
10/21(mon)10/21(mon) Dedicated to AGI Yuzuru - Modernist and Mass Silencer
会場に到着するとフロアーの奥に謎のオブジェ。そしてH_D__Kによる硬質なエレクトロDJがすでに始まっていた。この非日常的なムードの音がワッと吹き上げる空気感一つで、ここは先端エレクトロの聖地だと実感できる。人波をかき分け、謎のオブジェに近つけば、それが普段は店内に配置されているイスやテーブル、脚立、マット、ライト等であり、それらがまるで建造物のように高く積み上げられていた事が判明。そして点滅するフラッシュライトがフロアに鈍く光を放つ仕掛けになっているのだ。アートギャラリーでの作品と音楽という常套的なセットではなく、アート自体が何やらビートを作り、動性を伴ったものとして、提示され、今夜のシュル・アヴァンギャルドとでも言うべきイベントの性格を決定付けているかのようだ。壁面に蛍光色で所々に配置された長方形のオブジェもまた、記号めいた意味性を醸し出し、フロアに広がるエレクトロ・ミュージックの異端性がくっきりと浮かび上がる。デザイナーの秋山伸氏が奥にいた。彼の手によるものだろう。阿木譲氏の追悼イベントの最終日であるこの日、晩年の阿木氏が最も信頼したクリエターである秋山氏はその追悼をここに空間をデザインする事で表現した。
続くYuri Urano [a.k.a Yullippe]によるジャーマンビートに乗せるボイスパフォーマンスは煌めくような美を放ち、その濃厚なロック色がテクノとの対比を見せ、先ほどとは異なる場面をイベントに施した。更にはzero-gaugeオーナー平野氏によるDJに私は感嘆した。そう、まるで阿木氏が晩年、展開したbricolageを再現させているかのようなその音響の混在感覚に私は聴き惚れてしまう。平野氏は手早くレコードを次から次へと2台のターンテーブルでプレイしてゆき、ミキサーのつまみを操作しながら左右に音の塊を散らしていた。彼はずっと阿木氏のDJをサポートし、今も先端への嗅覚を持ち続け、いわばその後継にならんとしているかのようだ。恐らく関西で平野氏は最も先端への音の判別、選択、再生が長けている一人だろう。伊達に長くこの世界にはいない。阿木氏と最も長い時間を共有した事でそのセンスは研ぎ澄まされている筈だ。それがこのDJ-ing(これも阿木氏が使っていた言葉)に現れ出たようだ。そしてイベントのラストライブはKentaro Hayashiだ。阿木氏がseiho氏と共に称賛したクリエターであるHayashi氏のライブは最初、鎮魂の心を込めたかのような荘厳なシンフォニーから始まった。このあたり阿木氏が晩年に西洋の先端音楽の中のキリスト教回帰を見出していた事に呼応するかのような音響である。聞く所によると昨日、seiho氏も床に座り、セレモニー的なパフォーマンスをしていたようで、二人の阿木氏との特別な結びつきを表現したような共通性を感じる。Hayashi氏のサウンドはやがて強烈なインダストリアルビートに入り、その流れのまま、音階のついたマシーン音が上下する中でドラムンベースのリズムが登場し、スリリングな真摯的ダンスミュージックが拡がる。こうなってくるとオーディエンスは体を揺らさざるを得ない。やがてドラムンベースのリズムが徐々にテンポアップしてゆき、最後はノイズの塊と化す。Hayashi氏による演奏は場面転換の妙とアイデアを手早く盛り込んでいく事でフロアーで機能しながら、同時にホームリスニングに耐えうる作品として存在できるものだと感じた。阿木譲氏はよく、日本人のアーティストには基本的に興味がないと言っていた。それは阿木氏の視点が西洋音楽の背景的なものにフォーカスされ、西洋人の‘内面’という基底から生じる形而上的な‘不安感’を象徴化する創造物に惹かれるセンスがあったからだと思うが、そこには‘個人’を徹底できない日本人の体質に対するアンチもあった。そんな阿木氏がHayashi氏の音楽に認めたものは東洋的無我の色合いを帯びてしまうアンビエンスではない西洋的物語のセンスだったのかもしれない。私はHayashi氏のトラックの素早い場面展開はその事を象徴しているようにも感じた。
イベントの最後、‘阿木氏との付き合いが最も長い人’と紹介されたフォーエバーレコード東瀬戸氏による献杯の音頭があり、歓談の時間となる。生前の阿木譲を知っている人は皆、彼が寂しがり屋で自分の事を気にかけてくれる事を常に気にしていた事を知っている。従って各人が阿木氏の事をああだこうだと喋る事ほど故人にとって嬉しい事はないのだと思う。そんな暖かい時間がzero-gaugeに流れていた。そしてこの日のイベントに雨宮ユキさんが姿を見せていた事は特筆すべき事だろう。阿木氏の長年のパートナーであり、晩年の氏の介護、亡き後は様々な対応に終われ、体調を崩してしまい、姿を見せなくなっていた。それまでは指定席のようにzero-gaugeの受付の椅子に居続けた彼女が不在になって一年が過ぎていた。そんな雨宮さんが今日は元気な姿を見せていた事が私は何より嬉しかった。

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