満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

      菊地雅章セクステット  『Re-confirmation 再確認そして発展』

2009-10-20 | 新規投稿

マイルスデイビスと菊地雅章の間に何があったのかを私達は今では知る由もない。
‘何があったのか’とは不遜な言い方だが、そのコラボレーションが遂にバンドとして形成される事はなく、レコーディングされた音源も未だに公にされないという謎に対する興味は両者を勘ぐる事で勝手な想像を膨らませる他、ないではないか。
70年代後半の隠遁時期のマイルスはギルエバンスを仲介に菊地と出会い、リハーサルとレコーディングを行った。しかし、そのプロジェクトはいつか立ち消えとなり、後、マイルスはマーカスミラー等、若手の起用により華々しくカムバックする。後年、出版されたマイルスの自叙伝においても菊池との共同作業の件は語られず、菊地もまた、沈黙を貫いている。ただ、マイルスの「あいつは俺の音楽を知りすぎていた」という言葉だけが、何か意味深淵なものとして残された。マイルスミュージックに対する透徹した理解者であった菊地雅章は果たしてマイルス復帰の為の新バンドのリーダー的存在を示唆していたにも関わらず、結局、その位置はマーカスミラーにとって代わられた。

あの世紀の傑作『ススト』(81)、『one way traveller』(81)によって「マイルスの少し先を行った」と豪語した菊地は一方でニューヨーク在住の異邦人アーティストとしてアメリカ社会に於ける人種への偏見が、ジャズの世界においても同様に潜む壁を感じながら孤独な創造と戦いを強いられたと聞く。‘日本人じゃなければ、アメリカジャズの牽引者となっていた筈だった’という評を見たこともある。菊地雅章にとって渡米(73年)とは日本に居れば約束された日本ジャズの第一人者というメジャーな評価(ナベサダのような)をかなぐり捨ててまで獲得しなければならない己の自己実現の為の挑戦の旅であった。そしてその旅はリスクを引き受ける覚悟を伴うものであったか。

今回、70年代の菊地作品が一斉にCD化された。初CD化作品も幾つかあり、私はLPで持っていないものは全て買ってしまい、大出費に見舞われたが、その何れも内容が素晴らしい。特に『Re-confirmation 再確認そして発展』(70)は2ドラムにエレピ、アコピの2台の鍵盤を交差させた全く斬新なニュージャズであり、私は一曲目「tenacious prayer forever」のイントロで2台のドラムに絡むピアノのリフが聴こえてきただけで、ノックアウトされた。

「我々の周囲において、ほとんどのジャズは音楽の意味を失いつつある(略)今や我々は音楽の起源までさかのぼって、音楽の何があるかを求め、ジャズの歴史を振り返ってそれのルーツを考えなければいけないのではないだろうか。そしてそれがジャズのみならず音楽全般におけるヒューマニズム回復への道と思われる。」
アルバムに記された菊地自身によるライナーからは音楽探究の先鋭たる1970年の菊地の立脚する未知への地平、その可能性へ向かう意欲が伝わる。40年も前にこの意識があった。この状況認識の重さを国内の数多のジャズ‘お仕事’ミュージシャンの面々は共有できるだろうか。否、ここで展開されるラディカルな音楽と同様、菊地の言葉の中に、ジャズという世界言語の革新を担う自信が見られ、それは必然的に舞台を世界に見据え、アメリカに主戦場を移す冒険が予見されるだろう。

‘音楽全般におけるヒューマニズム回復’と菊池雅章は書いた。
ジャズのエレクトリック化の実験期であった当時、その渦中にいた菊池が言うから重みがある。人の生活様式の電気化、電子化に伴う必然的変化である音楽における人間主義の淘汰。それによる音楽の根源的力の喪失。そんな時代的テーマに対する意識的アプローチを菊池はエレクトリックに対する回避ではなく、挑戦的対応で臨む。これは‘エレクトリック化即ち、アンチヒューマニズム’という単純な図式では表わせない音楽の実相についての深い思惑であるとイメージできる。

あの『ススト』が全編、生演奏による人力のエレクトリックパルスビートミュージックであった事は意味がある。音楽に編集を施さなかったという意味で菊地は確かにマイルス=テオマセロに対し‘少し先を行った’のであり、それはマイルス以上の徹底した演奏至上主義を貫いて根源的なジャズの回帰を試みたのであった。『ススト』のテクノ感覚はオーバーダブや演奏の切り貼りではなく、一発録りによるものだった。それを私は音楽に於けるエモーションの新しい位相と見る。
エモーションの発露であったジャズの成り立ちが、そのエモーションの統御によって客観的な作品性への移行を果たし、鑑賞音楽としての商業性を獲得した。マイルスが70年代に取り組んだのは、長大な即興リズム演奏によるエモーションの奪回であり、それはレコードというフレームに収まりきらない流動性を特質としただろう。マイルスはジャズの根源である‘アフリカ’とその永遠である‘宇宙’を一直線に往来し、土着と未来を一体化する事でエモーションとヒューマンネイチャーを取り戻した。従ってその演奏は作品性を無視したような自由な反復を伴う長大なものとなる。そこでテオマセロはマイルスの無軌道、無時間な演奏にハサミを入れる事で整理し、一つの物語として作品にしたのだ。マイルスが度々、示すアルバムという‘過去の出来事’に対する無頓着性は彼のリアルタイムな演奏第一主義的な性格の顕れであり、編集された物の意義をあくまで二義的なものと捉えていた証左であろう。マイルスにとってアルバムとは奪回したエモーションを再び細分化された欠片のようなものであったか。

音楽が編集される事でエモーションが欠損されるなら、音楽の人間主義を貫くのは無編集による作品性の獲得という困難への挑戦となろう。それにはエモーションの新領域の開拓を図るしかない。菊池雅章の音楽に私はそんな目論みを感じる。
‘音楽全般におけるヒューマニズム回復’は短絡的なアコースティックへの回帰で成されるのではない。エレクトリックに対するジャズシーン一般の‘ヒューマニズム的抵抗’などは実は後退でしかない事を菊地は既に看破し、寧ろヒューマニズムという人間主義の回復の為の電子音とアコースティックという区分けを無効化し演奏主義を徹底させたのだと思う。従って例えば後年のアコースティックのトリオデザートムーンとエレクトリックバンド、AAOBBの境目も実はないのだ。

アルバム『Re-confirmation 再確認そして発展』で聴ける菊池雅章のテーマメロの際立った印象度に改めて感じ入る。ブラックジャズのエモーションの全開的表現とリリシズムの両極がここでは一つの不可分な融合体のように潜む感触がある。ハードな局面とバラッドの美しさが其々、別の曲で表現される数多のジャズが、菊池ナンバーの中でそれは表裏のような形で一つの曲中に現れるのだ。どこか理知的で洗練されたメロディを菊池は書く。先述した‘エモーションの新領域の開拓’とは私が勝手にイメージする菊池ミュージックの神髄であり、それはアメリカジャズにはない彼独自のテーマメロに象徴的に表現されていると感じている。そしてもう一方で顕著なのが、テーマを離れてから始まるソロやフリーパートでのスウィングの半端じゃない強烈さだ。それは彼の例の‘うなり声’と相まって獰猛さを喚起させる個性である。菊池雅章が宣言した‘音楽全般におけるヒューマニズム回復’はこういった菊池ミュージックの要素から十分にその達成がイメージできるだろう。

さて、予てから噂であった菊池雅章のECMでの録音が先月、終わったようだ。
プロデューサー、マンフレットアイヒャーの色を打破して、レーベルカラーに染まってないかどうかが、私の関心のポイントである。いずれにしても結果、菊池の名声はまた一段と世界的になるのは間違いないが。

2009.10.20

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする