満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

DEATH CAB FOR CUTIE 『NARROW STAIRS』

2008-07-21 | 新規投稿

CDが売れなくなっている。音楽配信が増大したからと言うが、そうではない。音楽ファンが減っているのだ。でも悲観する必要もない。音楽産業自体がデカくなりすぎていたのだから。音楽なんて零細企業で充分。メガヒットも大スターも不要。音楽産業が衰退しても音楽やる奴はどんどん出てくる。これでいい。スターなんて目指さなくてもいいのだ。目指してもいいけど、なれなくてもいい。音楽をとことん好きになってずっとやればいいのだ。

「まず売る事だ。文化はあとからついてくる」という角川春樹氏に感銘を受けた石坂敬一氏は、ボウイ(デビッドじゃない)でそれを実践したと新聞に載っていた。曰く「彼等のあとに影響を受けたバンドがたくさん出てきて、ロックの巨大な足跡を残した」と。すごい自画自賛だ。それが文化か。どこにロックの足跡などあるのだ。石坂敬一氏と言えば東芝EMIでのビートルズやピンクフロイドのセールスで有名で、今では日本の洋楽産業トップの人物だ。トップの人間がこんな感覚だ。作り方と売り方を優先し、かんじんの‘ロック’が後回しになった。先鋭なものと商売音楽との格差が広がりすぎて中間層がない日本のロック。中間層こそが文化を創るのに。ロクでもないものをロックと騙して商売するのが行き過ぎたのだ。どうでもいい事だが。

DEATH CAB FOR CUTIEのようなバンドが売れるアメリカのロック文化は中間層の厚さが証明する健全な姿なのだろう。「また青春ロックかな」と聴いたこのバンド。失礼。全く本格的な‘ロックバンド’だった。美メロなんて安っぽい言葉は使いません。‘叙情’です、これは。このバンドの創るメロディ、歌の切実さは心に響くもので、ボーカリストに‘歌いたい必然’を感じます。言葉を大事にしているのは間違いないでしょう。曲もいい。演奏もアレンジも安易じゃなく創意工夫を感じます。繊細かつダイナミック。録音も歌と演奏が混じり合うロックの醍醐味を備え、非のうちようがない。参りました。最高です。

やりたいことを素直にやって、そのままの形で制作された音楽。やる方も聴く方も幸せになれる。売れても売れなくてもいい。個人と音楽が深くつながればいい。ロックが大文字の‘夢’や‘革命’‘変化’の共同幻想を捨て、パーソナルな内面に回帰し、私小説化した物語を歌う誠実さを前面に出したのは、アバンギャルドの果ての必然だった。ティーンエイジファンクラブの『thirteen』(93)はそのファンファーレだったが、しかしその深遠さは最初で最後の頂点でもあった。ティーンエイジ自身がその後、いい作品を創っていない。私小説的モノローグに音楽的完成度を伴わせるのは至難の業で、そのジョージハリスン的‘慈愛ポップ’がジャンルとして定着しつつも、大量低質の世界である事も事実であったか。そんな私の思いこみをDEATH CAB FOR CUTIEは打ち破ってくれた。いや、このバンド、そんな次元のバンドじゃないのかもしれない。もっと違う世界へ創造性を伸張させるかもしれない。

2008.7.21













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