満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

ETHAN ROSE 『SPINNING PIECES』

2008-03-09 | 新規投稿
 
プリペアドピアノ等がDADA的にアートコラージュされたアルバムジャケット。このカバーからミュージックコンクレートや前衛的な現代音楽を想起するが、音楽の本質はアンビエントにあった。あまりにも心地よく響く音象。旋律なき旋律的陶酔がある。
確かに実験的ではある。微音から立ち上がる音階の拡がり。捻れるような音の軋み。仕掛け。ノイズ。シンフォニー。様々な前衛アプローチがある。その構築音は発する音と反響音との交換を捉えた理知的表現のようにも映る。

しかしイーサンローズが意識するのは精神のバイオリズムに対する平静感覚であり、紛れもなく、それは高度な‘癒し’であろう。ただ、その‘癒し’をスローソフトな耳障りの良さに限定せず、感情領域や精神状態の振幅を肯定的に見出す、広義のアンビエント、力学的アンビエントと言っても良いのかもしれない。不安定要素や非―安定的音響素材を駆使し、音色によるアグレッシブなアタック、強制性を感じさせる場面転換などが、一つのストーリーのように流れていく。
実験音楽的な音の物象化や音楽時間の‘分断’が、ここにも一つの要素として濃厚にあるが、しかし、イーサンローズにあって、その‘分断’は常に流動する精神の鼓動と一致しながら在るようで、そこに人間性、ヒューマンなものを僅かに匂わす音楽性があると感じる。物質化した音に血を通わす心象風景が音響となり、快楽を促すような音楽。これは攻撃的でラジカルなミュージックキュアーであろう。

そう言えばブライアンイーノが嘗て‘環境音楽’なる概念を初めて提示した時、ambientとobscure(オブスキュア)という二つのレーベルを並行させていた。ポピュラーミュージックとして普及したのはambientシリーズの方であり、現代音楽寄りのobscureは広く浸透しなかったと記憶する。『music for airport』(79)等の有名作品を有したambientシリーズの一連のワークがその後、シーンで様式として定着するアンビエントの元になったのは言うまでもない。しかし今になって感じる事はobscureの方が、よりアンビエントを広義に捉え、現在的意義が上だという事だ。つまり音楽性の広さ、演奏の追求や実験色を高めながら、結果的に環境音楽へ至るという試行錯誤や反様式美がこのobscureレーベルにあった。ずっと難解に感じていた『discreet music』(75)の意味がなんとなく解ってきた気がする。

アンビエントが様式化された昨今の状況だからこそ、obscureレーベルの諸作品の意義が見える。そこには、快楽様式を規定する環境性の誇示に対してアンチを突きつける挑戦的態度があった。通常楽器に於けるアンビエント的演奏の追求があり、西洋音楽の伝統をベースにしながら、それを乗り越えるラジカリズムを感じる。ある種の古典美があるのは、モダンへの安易な飛躍より、伝統性というアイデンティティーを意識し、それを背負う事で、強く超越する志向があるのだ。ブライアンイーノは実験主義という異端的辺境ではなく、西洋音楽の歴史の中心へ向かったのだろう。そして‘最新’の形成に成功した。それをポピュラーミュージックへと反射したのだ。

Obscureの精神が、2000年以降の高密度アンビエントミュージックの最良部分へ確実に反映していると感じる。イーサンローズの『SPINNING PIECES』はそんな連続性の最たる成果ではないだろうか。

2008.3.9
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする