
ポスティングぅ中に何度もお参りにさせて頂いている玉造稲荷神社さん。

その時も書いたけど、「玉造」と貼っている石板の下は、いったいなんと?!



次が聖徳太子の時代。

お次は安土桃山時代。


秀頼公胞衣塚神社(よなづか)

子の悩みや


漫才作家秋田実先生の碑


その時も書いたけど、「玉造」と貼っている石板の下は、いったいなんと?!
玉造稲荷神社さんはいろんな時代の、
いろんな意味で見所満載でございます。


まずは古代。
御朱印の文字にも頂いてるように、
玉造部、つたり勾玉を作る集団がいたと。
こちらにな書いてないけど、
八尾の山の中にある玉祖神社の延長線上にこちらがあり、
元々は八尾の山の中から移住してきた、なんて説もある。

次が聖徳太子の時代。
物部守屋との廃仏崇仏論争の衣摺の合戦の時、
聖徳太子側がこちらに陣を構えたと。

お次は安土桃山時代。
豊臣秀頼公が寄進した鳥居がこちら。

元々は通常の石の鳥居だったものが、
阪神・淡路大震災で根本が折れてしまい、
こういう形で保存する事となった。
他にも秀頼公所縁の物は多く

秀頼公胞衣塚神社(よなづか)
秀頼公のへその緒を埋めてるんですな。

子の悩みや

恋キツネ絵馬

漫才作家秋田実先生の碑

近松門左衛門の碑やら
もう、ご利益のテーマパーク状態ですな。