三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

バレーの荒木田さん

2007年12月12日 | 2007年
出張先の広島で、元バレーボール選手の荒木田裕子さんに会いました。
「わぁ~三ッ谷さん、久しぶりですね~」。
その前に会ったのは、3年前のアテネオリンピックの時でした。

滞在していたテッサロニキからバスでアテネに着いた後、
地下鉄の改札のところで荒木田さんとすれ違いました。
「これから試合です」という荒木田さんに、
私は「チケットないですか」と声をかけました。

サッカーの試合しか見ていなかったので、
できれば他のスポーツを観戦したいと思ったのです。
残念ながらチケットをもらうことはできませんでした。

隣にいる初対面の大友愛さん(元全日本選手)が、
不思議そうに私達の会話を聞いています。
最初の出会いは、荒木田さんがまだ高校生(秋田・角館南高校)の時。
私は新聞記者1年生でした。

新聞のお正月企画のため、「春の高校バレー」で活躍が期待されていた荒木田さんを
秋田の自宅に訪ねました。
年末の角館は少し雪が積もっていました。

同行のカメラマンが荒木田さんを外に連れ出し、
「アタックを打つ真似をしてください」というと、
彼女は何度もジャンプをして腕を振り下ろす動作を繰り返してくれました。

成績優秀。書道も有段の腕前でした。
国立大学への進学を希望し、
「大学を卒業したらコーチになりたい」と将来の希望を語っていました。


その後、大学には進学せず、日立に入社。
オールラウンドプレーヤーとして全日本チームにも選ばれ、
1976年のモントリオールオリンピックで金メダルを獲得しました。

引退後は共立女子短大に進学。
卒業後はスイスや西ドイツでナショナルチームのコーチ。
アジア女性として初の国際コーチの資格を取得しました。

また、海外経験を通してドイツ語と英語を習得し、
バレーの国際会議では通訳をするほどのレベルです。

こうして彼女の足跡をスラスラ書けるのは、
私が初めて本格的に取材をした女子選手であり、
引退後も立派に自らの生き方を確立していく姿に
文武両道のアスリートの理想が見えるからです。

広島では小学生のバレー選手たちを相手にした講話で、
大友さんと共に「夢をあきらめないで」とやさしく話しかけていました。

一人の若い選手が、年月をかけ一人の大人として成長していく過程を
見ることができるのは、とても嬉しいことでもあります。

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株式会社スポーツ21エンタープライズ】 
   代表取締役 三ッ谷洋子
  スポーツビジネスコンサルタント
  スポーツビジネスプロデューサー
  地域づくりアドバイザー
  http://www.sports-21.com






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