夕刊/金田ヒサ

THE RAMBLINGSのフロントマンが贈る漂流記

教訓I

2006-06-14 | BAND四方山
俺のギター・ケースに貼ってあるツアー・シール。
1988年に熊本でオリジナル・メンバーで再結成ライブしたときの物。
この頃、俺と湯村は低迷しててね。
もう一度あの頃のメンバーでやってみようって事になったんだ。
熊本時代にタムロしてたあのスタジオで待ち合わせしてね。
懐かしいメンバー達との再会はそれなりに感慨深いものがあったんだけど
音出した時に冷めていく自分がハッキリとわかったんだ。
湯村もつらそうな笑みを浮かべてたっけ・・・。
当時の俺と湯村はランブリングスの調子が悪いとすぐ昔のメンバーを引き合いに出しては、
もう一度集まれば上手くいくんじゃないかなんて馬鹿な話を繰り返していた。
再結成ライブはそんな未練を断ち切る為にも必要だったんだよね。
ただ上手くハマれば声かけてリスタートする気持ちも当然あったね。
ポスターから足代から何十万も金使ってさ、困ったもんだよ。
でもそれぐらい昔の亡霊にとりつかれていた。
ライブは予想に反して懐かしい顔や新しい顔で満員御礼だった。
86年に俺達が熊本を離れた後、FMで曲が使用されたり
ランブリングスのコピー・バンドが出て来たりしたんだよと後から教えてもらった。
当時は客なんて数える程しかいなかったのにさ、皮肉なもんだよ。
ライブの出来といえば散々だった。信じられないくらいヒドいものだった。
それでもメンバーはベストを尽くしてくれたんだと思うんだ。
打ち上げの席で音楽を舐めちゃいけないって忘れてたと落ち込んでいた。
俺は昔のメンバーや楽しみに来てくれた人達に
なんて事しちまったんだろうって奈落の底に真っ逆さまだった。
最年少の湯村はブランクがあるにせよ信頼してたメンバーが
こんなになっちゃったって泣いてやがるし。
自分達の都合で結果的には未練を断ち切る為にたくさんの人達を
ガッカリさせたあのライブを忘れないように教訓としてシールを貼ったんだよ。
未だに実現していないベスト・メンバーでのランブリングス・ライブを
熊本で御披露目する事を夢見ているという教訓Iのお話しでありました。

コメント (8)
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