走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

夢でヨーロッパ旅行

2009年05月18日 05時47分48秒 | 自分&家族
偶然に、テレビでドイツのフライブルグというスイスやフランスと隣接した都市の特集番組を昨日見ることができました。何でも、環境保全に取り組んでいる世界トップの都市だとか。素敵な町並みの中を路面電車が走っており、すぐに気に入ってしまいました。かつては、黒い森とよばれる広大な針葉樹の一帯が酸性雨の被害で大変だったそうですが、それを切っ掛けに行政が環境保全に取り組んだ結果、素晴らしい発展を遂げていました。

特に魅力を感じたのは、トランジットモールというバスなどの公共車両と路面電車しか運行できず、一般の車両は通行禁止の地域の存在でした。古き良きヨーロッパの雰囲気を醸し出す素敵な街並みでした。あまりにも感動したせいでしょうか、夢の中にその風景が出てきました。なぜか、小中学校の同窓生と共に、日本の中に秘かに作られたテーマパークのような場所でしたが、正にフライブルグの街並みとそれを囲むアルプスの山々でした。夢って不思議ですね。

続き

2009年05月17日 15時21分30秒 | 青少年相談員
パークゴルフを楽しみにきたある子ども会の皆さんは、お揃いの黄色い合羽を用意してきていました。今回のニュースポーツ教室がパークゴルフだったことも影響しているのでしょうか、保護者の中には珍しくお父さんたちも多く見られました。多分ゴルフをしている方から、ゴルフは雨の中でもプレイするものだよと子供たちに話していたのかなと思いました。

広くて芝が素敵なゴルフ場の中を、子どもたちはとても生き生きと楽しんでプレイしており、主催者としても嬉しかったです。教育委員会社会教育課の課長さんでさえ、自らあるチームにずっと同伴してプレイのお手伝いをしており、その態度に感動しました。雨で行事を中止後に参加者が減ったので、青少年相談員の中には、チームを作ってプレイを楽しんでいる人もいました。

掲載した写真でプレーしているのは一般できていた保護者、横にいるのは特別参加(対象は小学生に限っていたため)の年長の息子さん、帽子を被って前で見ているのが6年生の娘さんです。お母さんと息子さんは、交替でかわるがわるプレイしていました。多少でもゴルフ場の景色や参加者の雰囲気をイメージして頂けたら幸いです。

パークゴルフを楽しむ

2009年05月17日 10時18分49秒 | 青少年相談員
今年度最初の青少年相談員本来の活動となる、「ニュースポーツ教室」が、大荒れの天気の中で昨日開催されました。会場は、昨年秋に地元でオープンしたばかりの36ホールある日本有数のパークゴルフ場(以下「ゴルフ場」と略す。)でした。関係者の全面協力のお陰で、子ども会が中心となり、一般の小学生や保護者も加え、総勢110名以上の皆さんが参加し、大盛況となりました。これまでは、毎回地元の小学校体育館で実施していたこの行事ですが、初めて会場を移し、それも緑豊かなゴルフ場ということで、ケーブルテレビも取材にきていました。

午後1時から受付けスタート、30分後に開会式となりました。私が主催者代表として、この行事が開催されるようになった経緯について/会場となるゴルフ場が来年の千葉国体において、デモンストレーション競技の一つであるパークゴルフの会場となること/会場を提供して下さった関係者への感謝の言葉を盛り込んで挨拶をしました。掲載した写真は、挨拶の後に行われたゴルフ場のスタッフによるパターゴルフの実施方法やエチケット、注意事項について説明がなされているところです。仕事がら、話し方が上手で、子どもたちも飽きずにきちんと話を聞いていました。

小雨が時々降る天候の中、事前に組分けしたチームで順番にコースへ出て、18ホールのパークゴルフを楽しんでもらいました。天気も心配でしたし、少しでも待ち時間を少なくするため、特別にスタート位置を2か所設けて、2つのコースを同時進行するなどの工夫をしました。しかし、途中に短時間でしたがゲリラ豪雨が…主催者一同で話し合った後、プレイを中断して雨を凌いでもらっている参加者に対し、苦渋の決断を私の口から伝えました。内容は、ずぶ濡れになった参加者が風邪を引くといけないので、行事は中止とすること。

帰る方は、6月末までにいつでもこのゴルフ場を再び利用可能であること。残って雨が上がるのを待ってプレイを続行するのは構わないが、自己意思によるものであることでした。結局、半数近くの方がお帰りになり、雨が上がるのを待って残る半数が再びコースに戻ってプレイを再開しました。中には、一旦帰宅して着替えて出直してくる家族もいました。その後、皆さん大満足でお帰りになったので、ゲリラ豪雨による苦渋の決断発表だけが、とても残念でした。私は、ケーブルテレビのインタビュ-取材に応じ、行事のアピールをしておきました。

長男の友人たち

2009年05月16日 09時55分05秒 | 自分&家族
予定では、今日の夕方から大学2年の長男が友人5人を我が家に1泊2日の招待をすることになっていました。私も長男と同じ年齢の専門学校時代に、同じようなことをした記憶があります。夜、友人の車に乗って、千葉方面から我が家に移動した際、都会に住む友人たちは、「だんだん暗くなってくるな。」と道路脇の照明の少なさや田舎の様子に驚いていました。

さて、我が家では1週間前から友人たちが寝泊まりする部屋の片づけや掃除、布団の準備などを女房が中心となって、準備を進めてきました。それなのに、バイトなどの自己都合で人数が少なくなり、とうとう昨日の段階で誰も来ることが出来ないことに…せっかく準備したのに、残念です。長男も、普段世話になっている友人には一人でも来て欲しかったことでしょう。

ついてない

2009年05月15日 21時52分07秒 | 職場21年度(東京)
今日は、1日早い給料日でした。通常は毎月16日なのですが、当日が土曜や祭日で休みの時は、15日になるのです。全額自動振り込みのため、もらえるのは給料の支給明細書だけですが、それでも嬉しいものです。ただし、超過勤務手当の額だけは、思ったほどつけてもらえないのが、悔しいです。

特に、泊まり勤務をした際に、殆ど仮眠時間もないほど大忙しで働いても、それが報われていないのは絶対におかしいです。1度泊まれば、正味10時間前後は余計に働いているというのに、なぜそれに対する労働対価が支払われないのか?身体を壊せば、診療代は自己負担になるだろうし、おかしいです。

日中は、暇な方だったというのに、夕方になって忙しくなり、残念ながら定時の5時45分では退庁出来ませんでした。次から次へと、まるでイジメのように私のところばかりに仕事が舞い込んできて、一時は途方に暮れました。勤務終了時刻を過ぎると、一人また一人と同僚が退庁していくのを見送りました。

最後は集中力が切れてしまい、先に延ばせる仕事は来週の月曜に回すことにし、全てをやり遂げることは諦めました。それにしても、ついていないです。どうして、平均的に仕事がこないのでしょう。暇な時と忙しい時の差があり過ぎです。残業しても25%程しか手当がつかないので、なるべくしたくないのですが…

お詫び

2009年05月15日 05時35分04秒 | その他
最近のブログに二人の方からコメントが寄せられていたのに、気付きませんでした。せっかく足跡を残してくれた方に失礼をしてしまい、大変に申し訳ない気持ちでいっぱいです。普段から、コメントを頂けると嬉しいので、注意しているのですが、今回はGW中だったことや、数日遅れでのコメントであったため、見落としたのかもしれません。今後は、必ずコメントして頂いた方(誹謗・中傷や、商売がらみのものは除く)には、返事を出しますので、よろしくお願いします。

良きサマリア人に遭遇

2009年05月14日 05時32分04秒 | 消防団
「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法を「良き(善き)サマリア人の法」というそうです。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人による傷病者の救護を促進しよう、との意図があるとのこと。

アメリカやカナダなどで施行されているそうですが、残念ながら日本での立法化は、様々な問題があり難しいようです。この「良きサマリア人の法」は、ブログで知り合った現役の消防士さんから学ばせて頂きました。自分が、もし窮地の人に出会ったら、手助けは可能だと思いますが、「自分が手を出したばかりに、余計状況が悪化したらどうしよう。野次馬になって知らんぷりしておこうかな。」と心の中に棲む悪魔が囁くことでしょう。

実は、昨夜の車内で電車がある駅で停車したまま動かないので、どうしたのだろうと思っていたら、正確には聞き取れませんでしたが、「お客様の中で具合の悪い方がいらっしゃいますので、医療関係の方がお出ででしたら、至急○号車までお願いします。」といった放送が流れたのです。すると、私の脇に座っていた若い女性が、現場へ向かってダッシュしていきました。全く心の葛藤もなく、使命感で身体が動いた様子を見て感動しました。

間もなく救急車のサイレン音がしたので、急病人は病院へ無事に搬送されたようです。電車は停車して10分もしないうちに運行が再開されました。学校や会社帰りで、ちょっとでも早く帰りたいというのが本音でしょうが、車内の皆さんも黙って運行の再開を待っていたのは、素晴らしいことだと思いました。現場へ駆けつけた女性の勇気ある行為が報われ、救命の連鎖となって、倒れた乗客も大事に至らず無事なことを願いたいです。

同じ風景のはずなのに

2009年05月13日 06時11分48秒 | その他
いつも通勤で利用している成田線・横須賀線の電車内から見える周りの風景が、昨日の午後3時過ぎ、明るいうちに帰宅する際は、全く別の景色に見えました。普段は、朝と夜の通勤であり、殆ど目を瞑っているせいもあり、思い返せばまともに車窓など気にしていませんでした。

しかし、夜勤明けの昨日は、眠いけれど寝ることも出来なくて、ずっと窓から外を眺めていました。今の時期は、田んぼに植えられた稲が見事だとか、建築中のビルの進み具合だとか、色々と新しい発見がありました。同乗している客層もスーツ姿は少なく、いつもと違っていました。

忙しい泊まり勤務

2009年05月12日 18時34分51秒 | 職場21年度(東京)
2度目の泊まり勤務でしたが、初回以上に夜中は忙しかったです。予想外の事件まで発生し、経験がない自分には対応方法が分からず、帰宅した上司に電話で指導を仰ぐといったことまでありました。延々と続く夜間業務が全て片付くまでは、仕事の合間を盗んで何度かベッドで横になりました。しかし、朝方5時過ぎまでに取れた細切れの休憩時間は、すべて合わせても90分程であり、休んだ気がしませんでした。

いつ外部から連絡があるかもしれませんので、緊張しっぱなしで、単にベッドで横になるだけで、目はちょっとつぶるだけといった感じでした。とにかく、頼りは自分のみであり、何もかも一人でしなければならず、デスクワークとはいえ、睡魔と闘いながら集中力を振り絞って取り組みました。大変だった仕事もようやく片付き、やっとベッドで仮眠を取れたのは、外が明るくなってきた5時過ぎでした。

8時前には通常勤務の職員が出勤してくるので、その前には起床し食事を含め身支度をしなくてはならず、普通に仮眠できたのはたった2時間半でした。9時からは、通常どおりの業務をこなし、あった言う間にお昼となりました。昼食後にお気に入りの音楽を聞くと、リラックスできたせいか、1時からの仕事は、頭がスッキリし更に頑張れました。午後2時半に退庁するまで、本当に長い勤務でした。

憂鬱な泊まり勤務

2009年05月11日 05時33分17秒 | 職場21年度(東京)
今日は、月曜で週の始まりということだけでなく、4月に東京局へ異動してきてから2度目の泊まり勤務とあって、憂鬱な出勤です。成田空港では10年以上も3交替制勤務で夜勤(23時間勤務で、仮眠が4時間余り)をしてきた経験があります。しかし、現在の職場は勝手が違い、通常通り朝9時から仕事を始め、定時の17時45分を過ぎて職場の同僚が帰り始めても一人残って仕事を続けます。

仮眠は特別に決められた時間がなく、仕事の合間に細切れでベッドに横になるしかありません。先日、調書を見るという仕事の一部をご紹介しましたが、守秘義務があるため、詳しくはお伝えできないことをご了承ください。いつ、外部から緊急の連絡があっても、すぐに対応する必要があるので、大変です。4月に初めて泊まった時などは、運が悪くて仮眠も細切れで通算4時間取れたかどうか。深夜1時から5時までは大忙しでした。

その後、少し仮眠し8時には起きて、9時から再びいつもの仕事が始まり、午後2時半過ぎ頃になって、ようやく退庁となりました。ですから当然30時間近くも身柄を職場に拘束されたことになります。これって、異常だと思います。夜勤なら、せめて午前中で仕事を勘弁してほしいものです。疲労で、集中力が欠けて不注意なミスをしたり、体調を損ねる可能性が高いですし…

二日酔い:愚かな過ち

2009年05月10日 14時51分38秒 | 健康管理
またもや繰り返してしまった、飲み過ぎによる二日酔いで、今日は夕方まで不調でテレビを見ながら横になっていました。全く情けない、反省ザルの走快エイトです。昨夜は、青少年相談員の総会に続き、待ちに待った懇親会がありました。何とかビールでとおし、体調も良かったのですが…場所を変えた際に、仲間に合わせて白ワインやジン・トニックを飲んだのがまずかったようです。

ちゃんぽんすると、必ずと言っていいほど翌日は二日酔いになると分かっているのに、その時の雰囲気で、つい飲んでしまうのが酔っ払いの悪い癖です。初めて利用したのですが、店内は女子大生のグループ(学校名が入ったお揃いの体操服を着ていました。)や近所に住む消防団の仲間がいて、とても賑やかで感じの良い店でした。店員の男性が車で自宅まで送ってくれ、助かりました。

普段から、女房に「あなたは歳と共に、お酒も弱くなっているんだから、注意しなさいね。」と言われているのに、仲の良い青少年相談員の仲間と飲んでいると、つい楽しさに負けて、飲み過ぎてしまいます。副会長のAさんは、お子さんが少年野球のチームに入っているので、日曜は朝からコーチとしてグランドに出かけているそうで、私のように二日酔いなんてことはないのでしょうね。

総会と走快

2009年05月09日 11時36分12秒 | 健康管理
5月5日から続いた天候不順も、ようやく今日で爽やかな快晴となりました。夕方には、21年度の青少年相談員活動の最初となる総会&懇親会が予定されています。ですから、自主トレは通常の夕方5時過ぎからは無理なので、このブログを投稿したら走ってきます。6月6日に開催予定の専門学校の同窓会について、先日は幹事さんからメールで案内が届きました。詳細は参加人数を確認してから決めるそうです。

なんとか、同窓会までには、多少?出っ張ったお腹を凹ませ、体重を元に戻すため、出来る限り身体を動かし、鈍(なま)った中年オヤジの身体を刺激したいと思います。無理して腰痛をひどくしたらまずいので、「もうちょっと頑張ろう」というところで運動をやめるように注意したいです。それでは、お昼前に一っ走りして快い汗をかいてきま~す。

電車通勤の宿命

2009年05月09日 08時10分51秒 | その他
思い返せば、昨年の4月には横浜通勤を始めてしばらくは、度重なるJRの事故によるダイヤの乱れや、横浜駅ホームでの大混雑で、仕事以外のことでも精神的にまいりました。今年度から品川下車となり、30分も通勤による乗車時間が短くなったことを喜んでいたのですが、JRの事故は相変わらずであり、昨夜も大変な目に遭いました。

品川駅を21時03分発千葉行きの快速電車に乗ったところ、千葉の蘇我駅構内での人身事故発生により、電車が千葉駅に到着直前で15分ストップしました。その後、ようやく千葉駅に着くと、全てのダイヤが乱れており、乗り換えの電車に乗り込んで座れたというのに、出発まで30分待たされました。結局、余計に45分かかりました。

JR職員の不注意で発生した車両事故なら怒り心頭となりますが、乗客がホームに飛び込み自殺したとか、駆け込み乗車して事故を引き起こしたとかですと、運が悪かったと諦めるしかありません。そんな人迷惑な乗客が最近多いため、JR職員もさぞ大変だと思います。ただ、ダイヤの復旧をもう少し早くできないものかと、不満は残ります。

電車という交通手段は、通多くの乗客を少ないエネルギーによる輸送が可能で、交通渋滞による遅れもなく時間が計算できるため、便利です。その反面、事故が発生すると大勢の負傷者やダイヤの乱れが伴います。これは宿命と諦めるしかないのでしょうか?車通勤が無理な私は、電車が頼りですので、宿命を受け入れるしかありません。

これぞ悪夢

2009年05月08日 05時27分26秒 | その他
嫌な夢を見ました。昨日のJRの事故(新川崎駅と横浜駅の間で、横須賀線の電車が止まってしまい、乗客が数時間も閉じ込められ、線路を歩いて脱出したニュースを帰宅後にテレビで知る)が影響したのか、通勤に関わる夢でした。仕事帰りに仲間とお酒を飲んで、ほろ酔い気分で地元の駅に降りたところ、定期券がいつも入れてある場所になく、駅員さんから無賃乗車と疑われてしまいました。

大勢の乗客が見ている前で、リュックサックの中身を点検され、それでも定期券は見つかりませんでした。途方にくれ、諦め気分で「品川から乗ったのですが、それを証明できるものはありません。いくら支払えばいいのですか?」と駅員に尋ねながら、額の汗を拭こうとズボンのポケットに手を入れてハンカチを出そうとしたところ、定期券がそこから出てきました。現実にありそうで、本当に悪夢でした。

通勤地獄に遭遇

2009年05月07日 19時43分30秒 | その他
今朝の通勤は、東京駅までは座れたので天国としたら、その後は正(まさ)しく地獄でした。横須賀線で車両故障が発生したため、逗子行きの電車が東京止まりになってしまいました。仕方ないので、山手線に乗換えようとホームに向かったのですが、大混雑で階段を上がる前から人の流れが止まり、電車が駅に着く度に少しずつ前進しました。

階段を電車が見える高さまで上がってからも、4本待たされて、やっとの思いで乗車出来ました。こんな異常事態で紳士ぶっていたら、いつ品川に辿り着けるか分かりませんので、多少は力を使って電車に乗り込みました。久し振りのギュウギュウ詰めの中、女性から離れること&無駄な力を使わないことを気を付けました。

痴漢に間違えられる可能性を無くし、大勢の人を支えることで身体を痛めることを避けるためです。東京から品川までの短い区間でしたが、まるで「おしくらまんじゅう」をしているようでした。なんとか30分遅れで品川駅に着けたので、いつもより多少速いペースで職場まで歩き、9時ちょっと前に出勤出来ました。全く運の悪い1日の始まりでした。