マイライフ

生きているだけで毎日少しずつ年をとっていく。そんな日々の出来事を書いてみようかな。

帰ってきた

2010-01-28 | 家族
昨日の朝、病院から「急いで来て下さい」
顔を洗うのもそこそこに駆けつけました。

「一度心臓が止まったのですよ、今戻りました」
すでに先生もおいでになり、色々と処置をして下さいました。

到着から1時間ほどで、静かに逝きました。

95歳の長い人生、波瀾万丈の人生だったようですが、最後の
10年は、おだやかに俳句や書道に精進して、良かったんじゃ
ないかしら。

先生、看護師長さんに見送られて、我が家に帰って来ました。
阿寒の施設から、直接こちらの施設に入ったので、一度も
我が家に泊まったことがありませんでした。

最初で最後の我が家でのお泊まりです。

喪主は私。夕べは仮通夜で、和尚様がお経を上げて下さり、
今日はお通夜。
我が家の身内だけで、お寺で家族葬をします。
新聞にも載せないようにしました。
殿の名前が出すと、大がかりな葬儀になりますから、こぢん
まりとします。

夕べ殿が、母の経歴を書き、最後の様子を書いたのを、私が
打ち込み、プリントしました。

15歳で四国を出て、孫9人、ひ孫12人、ちょっと少ない
方かも?最後は北海道の土となります。

母の俳句
  九十歳余命指折る四月馬鹿
  逝く母の齢に追いつく九十五
  受診待つ庭に輝く紅つつじ

                         合掌

















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病室がかわって

2010-01-26 | 家族
今日の夕方、病院から電話がありました。

「本人の調子が良くないので、顔を出して欲しい」
との事でしたから、メモを置いて出かけました。

病院までは、歩いて20分くらい。
殿は弓道の練習に行っていて留守だし、車は夜は見えないから
運転出来ないし、歩くしかないわ。

急ぎ足で行ったら、二人部屋に病室が替わっていました。

どうやら血圧が下がったようで、血圧計を付けていましたが、
急変するような状態ではなさそうでした。

手を握ったり、足をさすったりしてあげると、ちょっと落ち着く
みたいで、苦しそうにしていた表情も和らいだようでした。

殿も駆けつけてくれました。

「今夜付き添った方が良いでしょうか?」
「何かあったら連絡します」ってことで帰ってきました。

明日は朝から行って、ずうっと付き添っていようと思います。


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医師と

2010-01-25 | 家族
母が入院してから、一度も先生からのお話はありませんでした。

一体、現状はどうなっているのかな?

いつも、先生の回診の時間にあわせて、病院に行くけれど、一度も
遭遇したことがありません。

先日も、婦長さんに聞いたら、「待っていて下さい」って。40分位待
っていたけれど、結局会えなくて帰ってきました。

今日は二人で行ったら、たまたま詰め所にいました。

もじもじしていたら、婦長さんが「どうぞ中へ」って招かれました。

先生開口一番
「こちらから言わない限り、ご家族からはこういうことは、しない。
予約を取ってから、こちらの都合で連絡するのが普通なんです」
「え?、では結構です」
「イヤ、これから説明します」

って、時間をかけて母の現状を説明して下さいました。

まあ、マスクをしていて、半分も理解出来なかったけれど、なんとなく
わかりました。

「尿量が少なく、殆どたべないし飲まないので、これからはこういう処
置の方法があります。」

要するに、入院したからには、快方にむかうように努力しているのであ
って、それを望まないならば自宅で介護、ということになる。
っていうような、それらしきニュアンスでした。

「あ、これはこちらの希望は言いにくいなー」って思いました。

喉から管をいれてなんとかー、なんてして欲しくないのだけれど、まあ、
先生におまかせするしかないようです。

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温泉だと思っていたら

2010-01-24 | Weblog
我が街の唯一の観光ホテル。

平日は、毎日定時にお迎えのバスが来て、帰りも送って
くれます。
お年寄りは、せっせとお風呂に入りに行っているようです。
一回500円。銭湯のは今いくらするのでしょう。

先日の新年会の時も、20人以上の人が利用していました。

温泉なら、あれやこれやの症状によく効くのかも?
わたしも、そのうちに行こうかな?なんて思っていました。

今日でこのホテルは営業停止。ダムの影響らしい。

夕べも町内会の新年会で行ってきました。

ところが、聞いてみたら沸かし湯なんだって。
この地に移り住んでウン十年。
ずうーっと、ここのは温泉だと思っていました。

知らなかったのは私だけ?

なんととんまな思いこみでした。


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入院した母

2010-01-22 | 家族
母が入院してから1ヶ月が過ぎました。

11月に退院した時には、一応元の元気を取り戻して
いたのですが、今回はどうも大変みたい。

食欲はなく、起きあがるのも辛そう。
来た手紙は読めるけれど、その返事を書く気には、な
れないよう。

2種類の点滴で栄養は確保しているのかもしれないけ
れど、今日は、出された食事は殆ど食べなかったそう。

看護師さんが、「プリンとかヨーグルトなどを買って
食べさせてはどうでしょう?」

母に聞いてみたら、
「欲しくない」って言うばかり。

では、食べる気になった時に、買って食べさせて欲し
いって、お金を預かってもらいました。

病院に入院している以上、スタッフは、良くなること
を考えて対応しているので、食べないから仕方ない、
では、いけないのかもしれません。

行った時には、細くなった足や手をさすってあげると、
「気持ちいい、さっぱりしたー」なんて言ってくれる
けれど、あとは、何をしてあげればいいのかしら?

もうちょっと食欲がでてくれれば良いのだけど。



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和服

2010-01-08 | Weblog
我が家では、長男が誕生した年から毎年、元旦になると、
写真屋さんに行って、家族写真を撮してもらっていました。

その時は、子ども達にも着物を着せて、最後に自分も着て、
慌ただしい元旦でしたが、楽しい時でもありました。

そうそう、次男坊が元旦に生まれた時は、行けませんでしたね。
それが、長男が結婚して、お嫁さんも一緒に撮したのが最後
になってしまいました。

若い頃は、普段でもちょくちょく和服を着ていましたが、
最近では、お正月に和服を着ることも無くなりましたね。

先日、しまってある和服の状態を見ようかしら?

アラ、こんな訪問着あったかな?

「お姉さんの形見じゃないの?」
ああ、そうだった。昨年13回忌をした姉の形見でした。

まだしつけがしてあるってことは、姉も、一度も袖を通して
いないって事ね。

あれから13年、私自身も和服を着ていないってことかなー。

もう和服を着るのも、おっくうになってしまったわ。
親戚のお祝い事も、これからはあまりなさそうだし。

華道とお茶の先生である友人に持っていきました。

「お茶会の時に、着てほしい」
「このまま着ないで置いておくのはもったいないから」
「私は、もう恐らく着る機会はないでしょう」

というわけで、着てもらうことにしました。

おでぶの姉だから、身幅がちょっと広いけれどね。
なんとか工夫して着てね。

和服も活用してもらえば、うれしいと思うけど?












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お見舞いに

2010-01-06 | Weblog
殿と、おつきあいのある方が、転んで足を骨折して入院しました。

それは、年内の出来事でしたが、今日お見舞いに行ってきました。

労災病院は、初めての病院です。私も付いて行きました。

病室には入らずに、廊下でうろうろしている間に、壁に貼ってある
印刷物を見ていると、この病院には、有料個室があるのですね。

1室1日10500円と5250円。
どんなのかしら?と、ちょっと覗いてみました。

うん、なかなかいいお部屋ね。テレビを見ながら、ゆっくりと直す。
1ヶ月で30万円かー。小金持ちならいいかも?

労災病院に用事がある時が来るだろうか?
一生縁がないことを祈って、つるつる滑る道を殿につかまって、車
まで行きました。


この病院に行く前に、母の病院に寄りました。
母に、兄妹の名前を聞いたら、全部覚えていました。

1番目は勝一、2番目は‥‥と。
全部で11人です。
頭はまだ大丈夫のようですね。




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年末年始

2010-01-01 | 家族
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

と、例年通りのご挨拶から。

慌ただしい年の暮れを過ごしました。

道東の親戚で不幸があって、29日に汽車で向かいました。
着いたのは夜10時半、翌日は葬儀を済ませて、午後から
帰途につきました。
自宅に着いたのは、やはり夜の10時頃。

充分にお疲れでしたよ。

何もかも手抜きのまま、翌日は新十津川のホテルに向かい
ました。
母親の入院している病院に寄って、まあ雪も大したことなか
ったのに、中空知に入ったとたんに吹雪。

小さい道路に入ったら、前もよく見えません。
フロントガラスに顔をくっつけるようにして、やっとホテル
に到着です。

ホテルではロビーでお餅つき、殿も娘も搗かせて貰いました。


夜には、年越しそばをお部屋に届けてくれましたね。

朝食のお雑煮には、夕べ搗いたお餅が入ってましたよ。


食堂には、調理長が作ったという、豆で出来た飾り物があって
興味津々。くるみと豆で出来ていました。


夕べからずうっと降っていたのでしょうか?帰りも吹雪です。
大きな道路に出るまでに、娘の車に先導して貰いました。
すぐ後ろを走っているのに、見えなくなりそう。


途中で、娘とはバイバイー。

空知は、南空知、中空知、北空知とあって、中空知は特に
天気が悪くなるそう。私の所は南空知です。

なんと、美唄からは雪もやんで、順調に帰ってきましたが、
家の前には、大きなおみやげ。車庫にも入れません。

まずスコップで除雪車の置いていった雪を片づけてからでした。

いつも来る息子夫婦は、今回は忙しくて来られないそう。

では、これから自分たちで食べるおせちを作ることにしま
しょうか。

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