殿が10枚程に書いた原稿をドンと持ってきたよ。
???何。
題名は「あのころ」だって。
自分の幼少の頃の思い出を書いたもののようです。
主に、戦争時代の。11年生まれですからね。
朝ドラの「エール」の影響かしら?
もう大量のタイピングはしたくないんですけどね。
まあ、仕方がないね。
頑張りましたよ。
誤字、脱字どっさり。頑張って校正したまえ。
先日も、昔の事柄を書いていて、自分で綴じて
親戚に配っていたようですよ。
私は「エール」のおかげで、最近頭の中は軍歌の
メロデーであふれています。歌詞はあんまり。
私は「長崎の鐘」の方が好きですがね。
今朝、殿が「久しぶりに川柳に載っている」という。
???、「どうしん川柳」欄を見たら、あった。
「幕が開く前に芝居が終わってた」
なるほど、うん、これはいい。
私の兄の作品。
姉はもういない。兄と私が残ったものの、何年も
会っていない。
この川柳を見て、ああ無事で暮らしているんだな?
と思うことにします。
私の母は、長年俳句と書道をしていた。
亡くなる寸前まで、頭の中はしっかりしていたっけ。
その血を継いだのは兄だったか。
それに引き換え、私はというと、自分の思っている
ことを言葉に表すことを良しとしない。
ただ、黙々と手先を動かすのみ。
人生いろいろね。
殿の実家のお寺には、甥っ子が二人おり、次男が後
を継いでいます。
長男もまた僧侶なのですが、現在東京での勤務僧の
ようですよ。
その長男坊さんが、札幌の知り合いの納骨式参列の為
に来道とのこと。
その後我が家にということでした。
それで、宿泊は「太古の湯」に予約をとって、アンモナイト
で有名な博物館に案内して、私たち夫婦も温泉に行きました。
夕食はレストランで会食を、と思ったら、注文は全てお弁当
なんだって。
え〜、どんな食事になるんでしょう?
ま、結局は、そのお弁当色々を5人前とって、充分でしたけどね。
帰りは娘も合流していたので、そのまま帰ってきました。
翌日、殿は弓道場の大掃除と射会で、その後高校レスト
ランのお弁当でしたが、半分私のために残してきたよう
で、美味しくいただきました。
去年殿に作ってあげた半纏は、袖口がボロボロになってしまい、
結局袖を取り外して、いわゆる綿入れチョッキとして着ていました。
和服からのリメイクなので、やっぱり生地が劣化していたようです。
で、今度は厚手の洋服生地で、再び、作りました。
厚手なので、袖には綿を入れずに。
これなら、動きやすいかもね。
もう手持ちの綿もなくなってきたので、綿入れ半纏も
これでおしまいとします。
これまで15着程の半纏を縫ったでしょうかねー。
作りも作ったりーです。