Sightsong

自縄自縛日記

今田敬一の眼

2010-03-16 23:40:25 | 北海道

所用で北海道に足を運んだついでに、北海道立近代美術館の常設展「今田敬一の眼」を観てきた。

今田敬一を含め、すべて北海道の美術に貢献した画家たちである。しかし、三岸好太郎と珍しい有島武郎の絵以外は、名前を眼にするのもはじめてだ。また、帝銀事件で容疑者とされた平澤大�胎(平沢貞通)の作品も1点あった。帰宅してから、150人を紹介している『近代日本美術家列伝』(神奈川県立近代美術館編、美術出版社、1999年)をひもといてみたが、一人も見当たらなかった。

素晴らしいと感じる画家は何人もいた。パンフの表紙(「朝の祈り」、1906年)に採用されている林竹治郎は、エッジが丸く溶けるようだ。年長の子供が押さえている本は聖書だろうか。背後の鏡のフレームには十字架が見える。北大前身の札幌農学校には外国人教師を多く招き、クリスチャンとなった学生も多かったという。

能勢真美の作品は、鬱蒼とした沼を描いた「緑庭」と、ゴーギャン風に熱帯の裸の女性を描いた「青い鳥」。透明感というのか、抜ける感じが良い。

中村善策の「摩周湖」は、しばらく階段の踊り場から眺めるほど深い群青色に眼が惹きつけられるものだった。

札幌はまだ寒く、雪が降っていた。鳩のように歩き、旨いと教えてもらったラーメン屋「五丈原」まで辿り着いた。スープが旨かった。

●参照
北海道版画協会「版・継承と刷新」、杉山留美子


『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』

2010-03-16 00:41:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリント・イーストウッドが監修したドキュメンタリー、『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』(シャーロット・ズウェリン、1988年)。これを観たのはもう15年前くらいではないだろうか。

演奏シーンはやはり奇妙だ。指を固い棒のように伸ばし、巨大な指輪は鍵盤に当たらんばかり。「'Round Midnight」では、汗を拭いた布を掴んだ手でそのまま弾き、合間に(ソロの合間ではなく、鍵盤を叩く合間に)吸った煙草を、そのまま左横の鍵盤の上に直接置いている(!)。『真夏の夜のジャズ』における「Blue Monk」もヒップだったが、これに収められたハンチング帽の「Blue Monk」もヒップだ。そして、ステージ上で巨体でグルグル回転する凄さ。

ホテルの部屋でのプライヴェート・フィルムだろうか、妻のネリーに心を許した笑顔の映像が素晴らしい。この依存の一方、狂気が彼をがんじがらめにしていた。スタジオ内や空港での奇矯な言動は、ユーモアだけではなかった。息子のT.S.モンクが、悲しそうに父親の思い出を語る。目の前の息子が誰なのかわからなかった。小さかった自分はそれを認めることができず、無視したのだ、と。

モンクは、ツアーに出てもメンバーに譜面を渡さず、妙な指示ばかり出していた。フィル・ウッズが生真面目に対応し、ジョニー・グリフィンが笑いながらそれに付き合っている。そんな共演者泣かせのモンクだったが、偉大な存在であったがゆえに、後の音楽家たちが取り組む曲にもなっているということを感じることができる。トミー・フラナガンとバリー・ハリスが向かい合った連弾で「Well, You Needn't」を弾きにやりと笑う。また、その2人がピアノの前であれこれモンクの曲について悩み、後ろでアート・ファーマーとミルト・ジャクソンが楽しそうに覗き込んでいる。印象に残る場面である。

プロデューサーのテオ・マセロが、モンクの丸い眼鏡を見てげらげら笑う場面がある。カメラは、その眼鏡をかけて内省的な表情を浮かべ、動きを止めるモンクをとらえている。良いフィルムだ。

●参照
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
セロニアス・モンクの切手
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
『失望』のモンク集