先日(2015/7/7)亡くなった菊地"プー"雅章さんの個人的な追悼のつもりで、『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』(Three Blind Mice、1963年)のLPを聴く。今になって、歴史的な録音というだけでない聴きどころと驚きが満載だということに気付いている。なお、司会は相倉久人さんである。
(1) Greensleeves
高柳昌行 (g)
金井英人 (b)
稲葉国光 (b)
富樫雅彦 (ds)
(2) Nardis
菊地雅章 (p)
金井英人 (b)
富樫雅彦 (ds)
(3) If I Were A Bell
中牟礼貞則 (g)
日野皓正 (tp)
稲葉国光 (b)
山崎弘 (ds)
(4) Obstruction
山下洋輔 (p)
宇山恭平 (g)
金井英人 (b)
富樫雅彦 (ds)
実は最初にこの盤を聴いたとき、高柳昌行のギターが轟音ではなく、まるでタル・ファーロウのようなオクトパス風であることを不思議に思っていたのだった。実はそれが高柳前史でもなんでもなくて、枝葉をそぎ落としたミニマルな音世界が本人の幹であることには、あとで気付かされた(1979年には『Cool Jojo』という大傑作もある)。この「Greensleeves」も、高柳のソロを耳で追いかけていくと、とてもスリリングである。
若干23歳の菊地雅章は「Nardis」を弾く。富樫雅彦もこのとき23歳、ブラッシュワークにずいぶん元気があって驚いてしまうが、麻薬禍から戻ってきての復活演奏ということもあるのだろうか。もちろん、まだ下半身の自由を失う前の演奏であり、美学を追及した後年のスタイルとは異なる。そして菊地雅章。このときすでに、思索しながら(そして盛大に唸りながら)、コード進行に沿ったノリノリとは対極に身を置いて、鍵盤に指を乗せるたびに違うフレーズを捻出しようとしていることがわかる。若くしてこの人であったのだ。
高柳とは対照的に、ダンディで暖かく、余裕のある中牟礼貞則。このとき30歳、そして80歳を超えた今もバリバリの現役。今も昔もカッチョいい人である。ところで、石塚真一『BLUE GIANT』に川喜多というヴェテラン・ギタリストが登場するが、この人のイメージがかぶってしまう(ちょっと違うか)。
最後の収録曲は21歳(!)の山下洋輔。これこそ山下前史であり、どう聴けばいいのかよくわからない。
●参照
高柳昌行1982年のギターソロ『Lonely Woman』、『ソロ』(1982年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)(高柳、富樫参加)
菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
富樫雅彦が亡くなった(2007年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(1979年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1968年)(富樫雅彦のパーカッション・ソロ)
宮野裕司+中牟礼貞則+山崎弘一+本多滋世@小岩フルハウス(2013年)
淺井愼平『キッドナップ・ブルース』(1982年)(山下洋輔登場)
相倉久人『至高の日本ジャズ全史』