Sightsong

自縄自縛日記

富樫雅彦が亡くなった

2007-08-25 21:08:05 | アヴァンギャルド・ジャズ
打楽器奏者であり作曲家であった富樫雅彦が、8月22日に亡くなった。

ジャズにおいて、日本だけでなく、世界でも傑出した存在だったのだと思う。絢爛豪華というのではなく、研ぎ澄まされたひとつひとつの音と、その集まりが感じさせる色彩のようなもの。2002年に演奏活動をやめてしまうまで、新宿ピットインなどで何度もその真正に圧倒された。

なんだかストイックな感じがしていたが、演奏技術の向上には極めて真剣であり続けたらしい。いつだったか、新宿ピットインで、久しぶりのデュオで共演した佐藤允彦が明かしたエピソードがある。アルトサックスの姜泰煥(カン・テーファン)が佐藤、富樫と組んだライブ録音『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)では、演奏とMCが終了しても、富樫がパーカッションの音を確かめ続けているのだ。それも新宿ピットインでの記録だ。

富樫雅彦のリーダー作、サイドマン参加作の中には、数え切れないほどの名演があるのだろう。しかし、明らかに、1970年1月の大怪我により胸から下の自由を失ったことを境として、打楽器奏者としては肉体的な制約が演奏にあらわれる。私が直接見、聴いていたのは、勿論その後だ。ハイハットやバスドラムを使わず、吊るしたチャイムや背後の銅鑼、多数の太鼓により、さらに独自の世界をつくりあげていたということだろうか。

ジャズ評論家の副島輝人氏は、事件の直前に記録された『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年12月)を、「即興演奏の極限に挑んだもので、フリージャズの頂点の一つ」としている(副島輝人『日本フリージャズ史』、青土社)。テナーサックスとバスクラリネットの高木元輝とのデュオである。その高木元輝も既に鬼籍に入っている。

この音源は、もともと富樫雅彦、唐十郎とともに「新宿の三天才」と称されたという、かつてパレスチナで日本赤軍に合流していた足立正生による映画『略称・連続射殺魔』のために使われた。演奏に際しては、あまり映像を観ず、イメージを増幅させながらも、高木元輝の音に対して富樫は「時々説明的な音を吹いている」と指摘しては音を固めていったらしい(足立正生『映画/革命』、河出書房新社)。この、映画に、しかも「風景論」という関係性を絶ったところに意味を見出す映画に従属しないことで、音楽の完成度がより高まったのかもしれない。

これほどの音楽家であるから、今後、その功績を問い直す動きが本格化するに違いない。


姜泰煥、佐藤允彦、富樫雅彦による『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)


高木元輝とのデュオ『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年)


高柳昌行、高木元輝、吉沢元治と組んだ(!)『WE NOW CREATE』(ビクター、1969年)

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