Sightsong

自縄自縛日記

小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』

2013-07-21 09:04:03 | 東北・中部

オーディトリウム渋谷にて、小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)を観ることができた。

三里塚から山形県・牧野村に移住して13年。その間に撮りためたものを4時間に詰め込んだ作品である。

まとめた、という類のものではない。必ずしも記録ばかりでもない。

小川プロ自らがコメを育てる。田んぼの中で、収量が良いところと悪いところがある。どうやら、水はけが悪いために中干しができず、嫌気性となる構造が問題なのらしい。改善のために、溝を掘ったり、地下水位を調べたりする。そのプロセスを、饒舌に喋りながらパネルで示していく。面白いが、あまりにも異色である。この、映画としてのハチャメチャさ。しかし、幼穂が育っていき、成熟していくマクロ映像は、奇妙に感動的でさえある。

狂った男の話、社に祀られている男根型の道祖神を掘り当てた話、かつての百姓一揆の話は、劇映画の挿入である。土方巽なども登場するが、ほとんどは村人たちによる演技だ。自分の父親を演じたり、20年前の自分自身を演じたりする様子は、ドキュメンタリーという世界の垣根をなし崩しにしていくばかりでなく、現実なるものの概念すら曖昧にしていく力を発揮している。

脈絡なく、小川プロが、農地を掘って縄文期の土器や土偶、炉の痕を発見していくくだりもある。大学の先生を呼んできたり、農地の主がおでんを持ってきたり、また埋めるにあたって神主を呼んでお祓いをしたり。歴史の深層へと掘り進めるプロセスが、すなわち、牧野村という宇宙を掘り進めるプロセスにもなっているわけである。

映画の終盤に、移住以来の友人だというお婆さんが、延々と憑かれたように祟りの話を続ける場面がある。字幕が出ても正直言って何の話なのかわからないのだが、これが宇宙の一端だということは饒舌に示される。映画が終わったあとに登壇した山本政志氏によると、あれが小川紳介なのだという。映画という魔物に憑依され、饒舌に、宇宙を取り込み、宇宙を創出していった存在だということか。

何なんだと思わせられつつ、脳内に確実に巣食う映画であり、怪作と言うべきだ。確かに、ここには、映画とは生きることだという命題が顕れている。

音楽は富樫雅彦による。最後に、富樫自身によるパーカッション演奏の場面があり、感動してしまう。

ところで、超弩級のニュース。

●参照
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』
小川紳介『三里塚の夏』
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』
富樫雅彦が亡くなった


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