Sightsong

自縄自縛日記

『老人と海』 与那国島の映像

2007-08-07 23:59:14 | 沖縄
『老人と海』(ジャン・ユンカーマン、1990年)を、ついに衛星劇場で観ることができた。

与那国島の漁師である故・糸数繁氏の日常を記録した映像だ。サバニで単身、カジキマグロや鰹を獲る様子に圧倒される。波に翻弄というより、波が増幅されるものの上に、転がり落ちもせず立ち、魚を手繰り寄せた後は銛で何度も突く。これがヘミングウェイであれば、帰港するまでに鮫に食い尽くされるのだろうが、ここではセリにかけられたり、自分たちのおかずになったりする。

漁のほかに、闘牛、ハーリー(子どもが荒々しい競争をする船の舳先に乗っている!)、酒飲み話、祭り(なんと金毘羅!)の様子が挿入されている。そして、映画は、沖縄本島よりもはるかに近い台湾の島影を映しつつ、酔った糸数氏が「梅の香り」にあわせて踊るシーンで終わる。匿名でありながら寄り添う視線が特徴的であり、「観光映画」にはなっていない―――もっとも、観た人は与那国を訪れたくなるに違いない。私は、与那国の土をまだ踏んだことがない。

難点は、民謡を除いて、音楽がおとなしすぎることだった。小室等が監修し、坂田明、佐藤允彦、川端民生らが参加している。ただ、坂田明のサックスは思いを込めているのかもしれないが、大島保克の『島めぐり』への参加曲同様に、もの足りない。浅川マキの傑作『ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった』(東芝EMI、1981年)における、「ボロと古鉄」での破天荒なソロのようなエネルギーがここにもあったとしたら、と思ってしまった。

その小室等が作曲し、中山千夏が詩をつけて歌った「老人と海」は、映画に触発されて作られたものなのだろうか。私はオリジナルを聴いたことがないが、鳩間加奈子が歌っている『ヨーンの道』(DIG、2000年)は大好きで繰り返し聴いている。同じアルバムに、「与那国ぬ猫小(マヤーグワ)」という民謡も収められている。これも面白くて、マヤーの可愛さのあまり、国際通りで「プーマヤー」(プーと放屁しているマヤーが、PUMAらしくデザインされている)という、脱力Tシャツをお土産に買ってしまったことがある。

沢木耕太郎が若い頃に与那国を訪れて書いた『視えない共和国』(『人の砂漠』新潮文庫、所収)では、「与那国ぬ猫小」についても聞き書きしている。それによると、与那国の猫はどんなボンクラ猫でも鼠とりの名手になるという。戦後農薬でほとんど猫が絶滅したため、鼠がのさばり出し、慌てた島民は石垣島などから猫を移入して増やしたそうだ。また、その頃、猫の仔は3ドルで売買されたともいう。

『視えない共和国』は、他の沢木作品と同様に語りが散漫ではあるが、興味深い。語りの焦点は、次第に台湾との距離感に絞られていく。台湾とのヤミ交易によって、数年間の空前の景気がもたらされたこと、あまりにも近いために漁業を通じた関係が微妙であること、などがわかってくる。映画の主役・糸数氏も、沢木氏の取材により、台湾に数年間出稼ぎに行っていたことが示される。

四国から来た人により金毘羅が導入されたり、『Dr. コトー診療所』で<癒しの島>的に取り上げられたりもしているが、マージナルな位置にあって、与那国島は<ヤマトゥ>との遠さという力のほうが強い場所なのだろうか。実際、台湾と近いことを活かして、「交流特区」にしようとする構想は今なお残っている。いずれにしても、私には不十分な情報で想像することしかできないのだが。

ハイ・ドナン伝説と花酒とヤミ景気時代。しかし、その僅か三つのエピソードが、全て<国家>とか<法>といったものに鋭く拮抗するエネルギーを秘めていることに気がつく時、与那国においてついに変容しなかったひとつのものの存在に思いは至る。
 激しい王化の波に洗われながら、ついに変容しなかったもの、それは多分、与那国島がかつては<国>であったことの、民衆の深部に眠る「記憶」ではないだろうか。

(沢木耕太郎『視えない共和国』、『人の砂漠』新潮文庫所収)

野底土南は誇大妄想狂か然らず、彼は私がこの島で会った、最も理性的な人物だった。与那国―――ドゥナン、差別の島で生まれ育ち、さらに台湾で「沖縄にもまして残忍な日本の差別政策」を見すえたことが、野底を”小国寡民”独立の思想へみちびいた。最初に彼に影響を与えたのは、沖縄出身の日本共産党書記長・徳田球一であった。
(竹中労『琉球共和国 汝、花を武器とせよ!』、ちくま文庫)





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