鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歴史小説を出版

2006-08-12 18:45:06 | Weblog
 今月十五日に、明治の自由民権思想家、中江兆民の生涯と、幕末・維新期の日本を描く歴史小説を出版します。

 題名は、『波濤の果て 中江兆民の維新』です。

 二年に一作というペースで書いていますが、途中で体調をこわしたこともあり、この第3巻は2005年夏の出版予定であったものが、一年ばかり遅れての出版となりました。

 出版元は「郁朋社」。第一巻の出版よりずっとお世話になっています。

 もし幕末・維新期の日本や、中江兆民に興味や関心がおありでしたら、是非手にとっていただけたら、と思います(出来ましたら一巻から)。

 一般の書店に広く流通している本ではないので、インターネットで「ビーケーワン」や「セブンアンドアイ」、「アマゾン」などを通して注文していただければ、早くお手許に届くかと思います。

 歴史小説を書くために、いろいろ関連の資料をあたっていく中で、今までわかっていると思っていたことが、実はわかっていなかったことに気づかされたり、また新たな問題意識や新しい小説の構想が湧いてきてどんどん脇道にそれていったりと、四苦八苦しながら、また一方でそれを楽しみながら、取り組んでいます。

 歴史を学ぶ楽しさ、そして大切さは、過去の歴史を一方的にではなく、さまざまな角度から幅広くみていくこと、そして新たな発見を通して、自分のものの見方を鍛え、将来に活かしていくことだと思います。

 今の学校教育(小中高)で、そういう歴史の教育がなされているのか、と思うと、自分が受けてきた歴史教育をふりかえってみても、それはいたって不十分で、歴史嫌いを産むばかりに思えます。受験教育が一番のガンだと思います。
 
 今後、『波濤の果て』全8巻の完成を「ライフ・ワーク」としながらも、自分の故郷であり、幕末に横井小楠や坂本龍馬らが往来した福井、欧米列強諸国との外交交渉や文化交流が展開された長崎や横浜、そしてアメリカやロシアなどとの初期の外交交渉が行われた浦賀や下田などを舞台に、いくつかの歴史小説を書いていこうと思っています。

 このブログでは、中江兆民や坂本龍馬が生まれた高知、各藩から多くの留学生が集い、また各国との外交交渉が展開された長崎、横井小楠が松平春嶽のブレーンとなってその思想(理想)の実現をはかろうとした私の故郷福井、全国諸藩からの武士が集ってしのぎをけずった「将軍お膝元」の江戸、開港以後諸外国との交易が活発に展開され、幕末・維新以後、西洋文明が流入する窓口になった横浜。その他、下田や箱館、蝦夷地や琉球、そして場合によってはアメリカ、フランス、イギリス、オランダなどの歴史の舞台を、歩き回ってみたいと思います。

 といっても、金も時間もない身。

 幕末・維新へのタイム・スリップは、いろいろな歴史的資料・研究書・歴史小説・過去の写真などを手がかりに、もちろん今の私に出来る範囲でやっていきたいと思います。また取材旅行の報告などもしてみたい。

 このブログへは週1ぐらいの投稿のペースになるでしょうか。なんと言っても「持続」が第一の目標です。

 「なぜ、この日本という国が、アジア諸地域を侵略し、多数の犠牲者を生む悲惨な戦争に突き進んでいったのか。別の近代化の可能性はなかったのか……」

 そういう問題意識を根底に抱きながら、過去の歴史に(それが私の場合は、「幕末・明治」になるのですが)その可能性を探っていきたいと思います。

 今後とも、よろしくお付き合いください。

 閑話休題。

 先日(7月31日)、作家の吉村昭さんが亡くなり、とても残念な気持ちと、大きな落胆を味わいました。きわめて綿密な取材と、それにもとづく事実の圧倒的な迫力で読み手を小説世界にひきこませる作家でした。

 最近読んだ本では、『関東大震災』(文春文庫・2004/小説というよりもドキュメンタリーといった方がいい作品か)や『海の祭礼』(文春文庫・2004)が、印象に残っています。

 私は、司馬遼太郎さんの一連の作品と、吉村さんの作品、とりわけ『長英逃亡』(1989年朝日新聞連載・現在、新潮文庫)に、歴史小説を読む楽しみを知り、また歴史小説を書きたいという気持ちをかき立てられました。三十代の中頃です。それまではあまり歴史小説は読みませんでした

 加賀乙彦さんの追悼記事(『毎日新聞』・八月四日夕刊)によると、吉村さんは、ある小説を書くために長崎を五十回訪れたと言います。そして加賀さんに向かって、

 「五十回行ってもね、長崎の石畳を全部は歩けない。ぼくは全部を歩かないと小説が生き生きと書けないんだ」

 と付け加えたと言います。
 
 それを読んで、私は「さもありなん」と思いました。しかし「今の自分には逆立ちをしても出来ないな」というのが正直な感想で、それをし、それが出来た吉村さんに畏敬の念を覚えるとともに、うらやましくも感じました。

 吉村さんはあるところで、

 「自分にとって小説を書く作業は、砕氷船で氷海を進むようなものだ」

 と言われていました(どこで言われていたかは失念)が、過去の歴史を歩き、そして書く作業(もちろん大変さを十分に味わいつつも)を楽しんでもいられたのだと思います。

 ご冥福を祈ります。

 


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