鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

東北地方について思うこと その3

2012-03-12 06:27:43 | Weblog
 仙台で3年間、青春時代を過ごした時は、金銭的な余裕がなく東北地方を旅行する機会はごくわずかでした。

 両親と立石寺を訪ねたことと、一人で三陸の宮古へと鉄道で出て太平洋を眺め、それから津軽半島に回って太宰治の実家がある五所川原市の金木を訪ね、五能線に乗って冬の日本海をディーゼル列車の窓から眺めて戻ったこと、この2回だけでした。

 宮古の海岸に出た時に、そこにそびえ建っている防潮堤の高さに驚いた記憶があります。三陸海岸の津波による過去の被害のことについては、その時の私の頭の中にもあったような記憶がします。

 神奈川で就職してからは、友人と一緒に東八幡平にスキーに出掛け、盛岡などに立ち寄った記憶があります。

 結婚してから初めて、妻と二人で長期旅行した先は東北地方であり、花巻の宮沢賢治記念館や遠野の南部の曲がり屋、盛岡の石川啄木関係の旧跡、東八幡平、十和田湖や角館の城下町を訪ねました。

 車で行きましたが、東北自動車道を利用しても運転時間が長く、東北地方は広大で、そして神奈川からであっても、首都高速を越えなければならないこともあって遠いところだという印象を強烈に抱きました。

 ということで、子どもが生まれてからの家族旅行先は、もっぱら中央自動車道か東名自動車道を利用しての関東地方よりも西側であって、妻と二人で東北地方を回って以来、東北地方に行くことはありませんでした。

 6年前から始めた取材旅行(多くは一人)のうち泊を伴う旅行も、中江兆民の足跡をたどるということがメインであったので、兆民がほとんど足を踏み入れることのなかった東北地方を訪ねることはありませんでした。

 しかし、東北地方には以前から関心を持っていました。それは、宮沢賢治であり、石川啄木であり、『遠野物語』であり、また「北前船」の関心からでした。

 一昨年、東京の皇居周辺や隅田川近辺を歩いた時に、利根川水系の水運の持つ重要性を知り、小名木(おなぎ)川を中川まで歩いたところで、中川船番所資料館の中で渡辺崋山の描いた1枚の絵に出会いましたが、それが『四州真景図』の中の「中川船番所」を描いたものでした。

 それから、崋山の「四州真景」の旅をたどる形で利根川を下り、その河口の銚子まで歩くことになったのですが、利根川高瀬船や、潮来あるいは銚子の町を調べてわかったことは、利根川水系の水運を通して、将軍お膝元の巨大都市江戸が、東北地方や太平洋と深く結びついていたことでした。

 江戸と地方との物資や文化の流通の上で、陸上交通とともに水運や海運の重要性を再認識し、とくに関東地方では利根川水系の水運の重要性と、それによる北関東や東北地方との密接なつながりを認識することになりました。

 江戸(東京)を考える場合は、江戸のみならず、その周辺のいわゆる「江戸地廻り経済圏」、さらにはその周辺地域をも視野に入れる必要があり、特に私の中では北関東や東北地方への関心が深まってきました。

 利根川河口部の銚子という町は、江戸と東北地方とを物資流通上で結ぶ要衝地であったことも知りました。

 東北地方への関心の深まりは、江戸との関わりということにとどまらず、宮沢賢治・石川啄木・遠野物語・北前船などに通底しているようなものへの興味・関心にも由来しています。

 高田宏さんに『日本海繁盛記』という本(岩波新書)があり、その「終章 落日」の中に、以下のような文章があります。

 「日本の近代化が太平洋側で騒然と進められていた。鉄道も工場もなにもかも太平洋側に、とりわけ関東・関西側に集中していった。人びとはそちらへ群れつどった。

 (中略)

 裏日本というのは、もう光りを失った土地への蔑称である。表日本を自称する人びとが日本海側を指して裏日本と言うのは、傲慢で鈍感な言い方だ。無知でもある。

 (中略)

 旅をしていて気づくのは、裏日本では歴史が途切れていないということだ。人びとのなかに、古くは縄文時代からの心が生きている。生きかたのなかに歴史が伝わっている。過度の近代化による歴史の断絶がなかったからだと思う。山も森も川も海も、近代化から受ける被害の程度が、表日本に比べて少なめだ。

 (中略)

 脱近代を人びとが模索する今日、歴史の断絶がなく近代化の汚染の少ない日本海側は、そのためにかえって大きな可能性を秘めているのではないだろうか。無理のない文明と文化を創り出す土壌があるのではないか。」

 このことは日本海側だけでなく、東北地方全体にも言えることではないか。

 私は、前に、震災後の東北地方の被災地における「まちづくり」を注視していきたいと記しましたが、そのことも踏まえた上で、今後の取材旅行(泊を伴う)の行き先は、東北地方としていきたいと考えています。

 それが、私が無理をせずに長期的にできる、ささやかな一つの支援でもあるのかなと思っています。



 終わり




○参考文献
・『日本海繁盛記』高田宏(岩波新書/岩波書店)


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