鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

中江兆民とプティジャン神父 その2

2007-05-11 20:06:16 | Weblog
 浦上村山里本原(もとばる)郷平のドミンゴ(岩永)又市は、1865年3月17日(和暦2月20日)の「信徒発見」の翌々日に、大浦の天主堂(「フランス寺」)で初めてプティジャン神父と会い、その年の夏には、訪れてきたプティジャン神父とローカニュ神父を近くの杉山(大きな樅〔もみ〕の森のなかの彼の家から数歩の所、ともいう→『日本キリスト教復活史』)に案内し、天主堂へ行けない老人や病人を、2人に紹介しました。その時、1人の老人が、プティジャンとローカニュに対して、「あなたさま方が天主堂をお建てになりませんでしたら、たとえ10年たっても、お知り合いにはなれなかったでしょう」と言ったという(『人物中心の日本カトリック史』池田敏雄〔サンパウロ)。 そのことを踏まえると、大浦の地に、天主堂が建設され始め、そしてそれが完成し、やがて落成式が行われるといった一連の出来事は、長崎に住む人々だけでなく、長崎周辺のキリシタンたちにとっても大きな関心事であり、特にキリシタンたちにとっては大いなる喜びであって、それが3月17日(和暦2月20日)の「信徒発見」につながったと推測することが出来ます。 . . . 本文を読む