鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.4.新緑の丹沢三ツ峰縦走  その2

2007-05-05 07:52:16 | Weblog
江戸時代、東丹沢一帯(現在の県有林にあたる)は江戸幕府直轄の「御林」で、「丹沢御林」とか「丹沢御留山(おとめやま)」と呼ばれていたことは前回触れました。それに対して西丹沢一帯(現在の国有林にあたる)は小田原藩の藩領であって「三保」と呼ばれていたそうです(そう言えば、丹沢湖をつくっている三保ダムというのがありますね)。小田原北条氏の時代は、丹沢一帯はこの北条氏の「御留山」で、山奉行が置かれて管理をしていました。茶の湯や暖房用に使用するものとして、煤ケ谷村が白炭を生産し、毎年12月に伝馬(てま)をもって小田原に運んでいたという記録があります。小田原城下の建築物の建設用として、愛甲郡や津久井の山々より木材が伐り出されてもいたようです。この丹沢一帯は明治になると官有林になります。明治22年(1889年)に、全国の官有林のうち343万ヘクタールが帝室(皇室)財産として農商務省山林局から宮内省の帝室林野局に移されますが、そのうち140万ヘクタールが「世伝御料」(永久財産)となり、実は丹沢は全てこの「世伝御料」となっているのです。この「御料林」からの収益(建設用材・焚き木用材)は皇室の重要な収入源になっていました。 . . . 本文を読む