中江兆民(篤助・篤介)がまだ高知城下で過ごしていた時に、藩校文武館で洋学(英語と蘭学)を教えてくれた恩師として、細川潤次郎がいたことは、すでに触れたことがあります(2006.9.1)。細川が、アメリカから帰って来た漂流民万次郎(中浜万次郎)といかに親しい交際があったか、については、「幕末土佐の英学とジョン・万次郎 その2」(2006.9.9)で触れました。それらのことから、若き兆民は、細川潤次郎を通して、万次郎が見聞したアメリカ事情(政治制度も含めて)についての知識を深めたのではないかと推測しました。中江兆民が高知にいた時に洋学を学んだ師として、細川潤次郎のほかにもう一人、萩原三圭という人物を挙げることが出来ます。萩原三圭から兆民が学んだのは蘭学です。幸徳秋水は、『兆民先生』において、兆民の蘭学の師として細川潤次郎より先にこの萩原三圭の名を挙げています。この萩原三圭については、どういう人物であったのか、当初全くわからなかったのですが、10年ほど前に、神田の古本屋街を歩いていた時に、ある古書店の本棚の下段隅っこに、『萩原三圭の留学』富村太郎(郷学社)という本を見つけて欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した思い出があります。定価3000円の本が1800円で売られていました。即、購入したのは言うまでもありません。それをもとにして、萩原三圭についてまとめてみたいと思います。
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