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四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「口語短歌・水曜サロンの会」(その44)

2022年07月20日 05時22分07秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その44)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。


     「咲き競う ノウゼンカズラ」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】群馬県立近代美術館にある、モネの「睡蓮」を詠みました。
☆画家の眼は より水面に 接近し 心の中に 深くゆだねる
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【詞書】6月25日軽井沢レイクガーデンに「ラウル・フォルロー」の花が咲いていました。
    蛍光ルージュの鮮やかな明るい房咲大輪花です。
☆大輪花 眩いばかり 明るさは 鮮やかさこそ 蛍光ルージュ
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 一首目、モネの晩年の「睡蓮」は「自然界の静と動のドラマを注視し、ついには
 生命の神秘にまで迫るような深い内容をそなえた」作品と言われていますね。
 事実この「睡蓮」は、空の描写を省き、モネの眼は水面により接近し、水流に漂う
 水草の動きや水連を知覚するのは、見る人の内面に委ねられていると感じます。
 つまり「この作品の良さをあなたは解りますか」との、作者からの静かな、かつ厳しい
 問いを突き付けられているかに感じます。

 本来芸術は、作者と鑑賞者の眼力の真剣勝負で成り立っているとも感じますが、
 そんな作者の自信と誇りを感じずにはおれません。こんな想いに浸る詠歌に触れる
 ことが出来ました。詞書がなくても分かる内容に少し添削してみましたが・・・。
 ★モネの眼は 水面(みなも)睡蓮 見つめつつ 生命の神秘 画布に留めし


【詞書】足腰の丈夫だった義母と皆で遊んだ日々が遠くなって~、もう一緒に歩いては
    行けない😭 ちょっと、オセンチな句になりました。
◇合歓の花 薄紅色に染まる頃
    義母(母)と尋ねた
          京都散策

                         クロママさん

【解説】
 お義母様も車いすが必要となると、中々遠出することも億劫になりますね。
 しかし、京都散策をはじめ元気な日々の思い出は、作者の脳裏にも鮮やかに刻まれて
 いることでしょう。そんな想いが、合歓の花を見ると思い出されるというお義母様に
 寄せたしみじみとした良い詠歌と思います。
 「京都散策」も良いですが、とくに印象に残った場所(歌枕)等を詠み込むことも
 検討してみましょう。ご参考として添削してみましたがいかがでしょうか。
 ★合歓の花 薄紅色に染まる頃
       義母(はは)と歩みし
               京 嵐山


【詞書】陸上 2020東京オリンピックの中継に感動し、映画「炎のランナー」より
☆人は草原を歩きはじめてから
      走りたいから
          人よりはやく

                         自閑 (jikan314)さん
【短歌説明】自閑 (jikan314)さんご自身の説明です。
 この短歌は、昨年作ったもので、東京オリンピック中継を見ながらです。
 コロナ下の無観客開催と言う事で、いまいち盛り上がりに欠けていたのですが、
 日本人のメダルラッシュに徐々に盛り上がって行きました。私はいつも行く大きな
 テレビの飲食店で、蔓防のノンアルコールビールを片手に応援していました。
 もちろん世界中のアスリートが、一年延びた大会の、この一瞬の為に努力し、
 その力を発揮する美しさにとても感動したものです。
 ちょうど世界陸上も開催しておりますが、やはり4年に1度のオリンピックは
 感動度が違うと思います。
 炎のランナーは、1981年公開の1924年パリ大会に出場したユダヤ人と
 スコットランド人宣教師の物語で、英国の名誉と、安息日への信仰と人種差別偏見
 との葛藤を描いておりました。
 100年前と今とは状況が全く違っていますが、人が走りたいと言う情熱は、今も
 人々を感動させます。
 下記URLに炎のランナーのYouTubeを貼り付けておりますので、ご覧頂き、昨年の
 アスリート達の活躍を思い出して頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/6a5e79809abc91255cb6a1aa9deb38dc
【投稿外コメント】自閑 (jikan314)さんご自身のコメントです。
 今回も新古今和歌集を紹介します。
 ★鵜飼舟 高瀬さし越す 程なれや むすぼほれゆく かがり火の影(夏歌)
 ★思ひあれば 袖に螢をつつみても いはばやものを とふ人はなし(恋歌一)

 この二首は、寂蓮法師の歌です。寂蓮法師は、藤原俊成の甥で、これ以外にも、
 ★さびしさは その色としも なかりけり まき立つ山の 秋の夕暮(秋歌上 三夕)
 ★村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋のゆふぐれ(秋歌下 百人一首)

 が有名です。
 上の二首は、夏のかがり火と蛍を歌ったものです。
 長良川に残っていた鵜飼も、桂川、宇治川で復活して、以前見たことがありました。
 かがり火が揺らぐ幻想的なものです。蛍火も幽玄な面持ちの恋歌ですね。
 寂蓮は、こう言う和歌が素敵です。

【解説】
 映画「炎のランナー」とは懐かしいですね。
 おっしゃるように、1981年公開のイギリスのドラマ映画で、監督はヒュー・ハドソン
 でしたが、第54回アカデミー賞作品賞受賞した作品でしたね。
 走ることによって栄光を勝ち取り、真のイギリス人になろうとするユダヤ人の
 ハロルド・エイブラハムスと、神のために走るスコットランド人牧師エリック・リデル、
 実在の二人のランナーの誇りと、葛藤を丁寧に描いていると感じました。

 原題「炎の戦車(Chariots of Fire)」というタイトルは、ウィリアム・ブレイクの
 『ミルトン』の序詩「And did those feet in ancient time」からとられているとの
 ことですが、「わが炎の戦車をもて」と言う詞句がありますね。

 なお、今回も新古今和歌集を紹介いただきありがとうございます。
 これらは、藤原俊成の求めた「幽玄」を、甥である寂蓮法師も自らの詠歌をもって
 表現したとも言えますね。



     「デュランタ」

【詞書】北海道も梅雨のような天気が続いています。青空が覗いた一瞬?カリンズの実を
    摘んでジャムを作ってもらいました。北国の短い夏が終わると鮭の遡上する季節まで
    直ぐです。夏の暑さを楽しみたいものです。
☆カリンズの 深紅のビーズ  秋鮭の イクラのように 艷光る夏 
                         I.SATOさん

【解説】
 「カリンズ」は、私の育った信州では「アカスグリ」と呼ばれていたように記憶しています。
 幼い時代、あの甘酸っぱいスグリの実は、私たちの貴重なおやつでもありました。
 あの「真紅のビーズ」は、まさに「秋鮭の イクラのよう」でもありますね。
 季節のバトンが「カリンズ」から「秋鮭のイクラ」に渡される、そんな季節の移ろいを
 「カリンズ」にフォーカスし詠んだ、味わい深い詠歌と考えます。


【詞書】大木の佇まいが好きな本人は、杖をつきながらでもなんとか行ける距離にある
    公園の樹々に元気な姿を見せ、様々な樹木に触れてそこから元気をもらいます。
    その、出かけた日を時系列で詠ったものです。
☆たのしみは すっきり澄んだ青い空 リュックを背負い家を出る時
☆たのしみは 会いにに来たよと声をかけ 触って嗅いで樹々といるとき
☆たのしみは 足取り重く帰り道 ベンチにかけて涼風待つとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 樹々から発せられる「フィットンチッド」といわれる香りの成分が、精神安定や
 解放感、ストレスの解消などに有効とのことで「森林浴」が近年注目されています。
 作者は、その効用を実感され長い事実践されて来たのだと思います。
 出発から木々に触れるまでの経緯がワクワク感と共に詠われた詠歌は、独樂吟の
 真髄を今回も余すところなく詠いきっていると感じます。


☆合歓の花空向き咲くも葉は愛(かな)し 赤子抱くごと闇に閉じゆく
                         ポエット・M

【解説】
 芭蕉の「奥の細道」に「象潟や雨に西施がねむの花」と言う名句があります。
 芭蕉は、象潟で雨に煙る美しいネムの花を眺め、呉王が国を傾けるに至った絶世の美女
 「西施」を結び付けて詠ったものと思われます。芭蕉にとって雨に濡れながらもなお、
 艶やかに咲く合歓の花の美しさは「西施」をもしのぐと感じたのかも知れません。
 しかし、合歓の木は美しいその花をよそに、その葉は宵闇の中で眠るように閉じる習性を
 もっています。葉の「就眠運動」と呼ばれていますが、そんな合歓の習性を「愛(かな)し」
 と詠ってみました。



     「合歓の花」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (45)
 11.富士山(2)


   わたしは山に向って目をあげる
            『詩篇』

   雲海が
     はるか彼方を
        望み見て
      富士山頂の
         我れ静かなり

    妖怪の
      まなこのごとき
           ご来光
       霧をつらぬき
          我れをばにらむ

      地獄まで
        ころびゆきたき
            ここちして
         ただひた走る
            富士の砂走り

     はるかなる
       富士に雲霧
          かかれども
         十国峠の
           野は秋日和

    幼日の
      ごとき心地で
        寝転べば
       峠の空の
         深き青さよ



     「咲き初める むくげの花」

   
【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】前週に引き続き掲載致します。
 suisenさんからのコメントですが、皆さんのご参考になればと掲載いたします。

 文語と口語、旧仮名遣い、新仮名遣いの問題は、古くて新しい問題でございますね。
 私の所属しています塔は元々口語、現代仮名遣いが結社の基本方針でございましたが、
 いつのまにやら文語、旧仮名遣いの人が増えて、現在は半々くらいかもしれません。
 前主宰永田和宏氏自身、数年前に現代仮名遣いから旧仮名遣いにしましたから今でも
 短歌界での旧仮名遣いは根強いようでございます。私自身短歌を始めました時、
 当時の先生に新仮名遣いを勧められましたが、私自身は旧仮名遣いを選択いたしました。
 やはり伝統の詩形である短歌には旧仮名遣い文語が合うと感じたからでした。

 文語と口語は、現代は折衷でよいのではないかと思っています。会話体などは口語で
 詠ったほうが生き生きしますが、駆体の部分は、従来どおり文語にしたほうが歌が
 締まると私自身は感じておりますから。締まるということと同時に、文語で
 表現したほうが短く詠い収めることができる利点もあると思っております。
 たとえば、口語なら「見せる」というところを文語であれば「見す」と短く表現できます。
 これは文字数制限のある短詩形文学では大きい利点だと思います。

 長々書きましたが、私が文語、旧仮名遣いを選択する理由でございます。
 しかし、文語、旧仮名遣いを強制しますと、短歌への敷居が高くなりますから、
 まずは新仮名遣い口語で短歌に馴染んでもらって追々個々の文体を選択されたらと
 私自身は思っております。
 以上、水曜短歌サロンの主旨とは異なりますが、私個人の考えを述べさせていただきました。
【ご意見へのコメント】
 suisenさんのコメントについてのポエット・Mのコメントです。

 suisenさんの貴重なご経験に裏打ちされた想い、さらにご提案も頂きありがとうございます。
 記紀万葉、さらに古今、新古今集の時代から1300年余の歴史を持つ、和歌、短歌の表記は
 おっしゃるように「古くて新しい問題」と私も思っています。
 また、所属する短歌会や、結社の方針もそれぞれあり、一筋縄ではいかないことも十分
 理解しております。そのうえで、この「水曜サロン」は、「口語、新仮名遣い」を前提に
 短歌の交流サロンとして、共に学んできた経緯があります。

 また、短歌の初心者の方も含めて、様々な歌歴を持つ方が、フラットの立場で短歌を中心に
 意見を交流し合い、短歌を楽しく鑑賞し、新たな短歌を詠む契機になればと思ってきました。
 そこには、それぞれの方の短歌作品を尊重し合い、巧拙を越えてお互いの作品から学びを
 深める謙虚さが必要なことも大切と思ってきました。お陰様で、このサロンは皆さんの
 ご協力と、ご支援を頂き、初心者で成長著しい方も現れ頼もしい限りと思っています。

 なお、伝統文学の先端に位置づけられる短歌も、若いメンバーも含めて、そのすそ野を広げ、
 「短詩型文学」の世界を深めていく一翼を担えればと思っています。その際、「口語、
 新仮名遣い」を前提にしながらも、「文語、旧仮名遣い」も、学びの対象として、また、
 新たな表現分野として、参考にしながら取り組んで行けたらと思っています。
 suisenさんには、引き続ご意見をお寄せ頂き、ご指導賜ればと思います。


     「未だ咲き残る 紫陽花」

【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了

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短歌投稿 (knsw0805)
2022-07-20 07:26:43
Shouさん、おはようございます。

浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。

「詞書」7月17日八ケ岳倶楽部に行って来ました。御存じのように八ケ岳倶楽部は俳優の柳生博さんが鬱蒼とした森を開墾し、白樺等ゼロから丹念に1本1本植えられた手作りの雑木林です。森が生きています。以下の短歌は2022年4月26日故人になられた柳生博さんを忍んで詠みました。

「白樺の 緑に込めた 思い出が 魂宿る 八ケ岳倶楽部」

「太陽の こぼれ日届く 雑木林 賭けた情熱 五感に感ず」

「落ち着いた 散策路ある 木の道を 景色に誘われ 緑に染まる」
返信する
Kenさんへ (ポエット・M)
2022-07-20 12:34:39
Kenさん こんにちは。
早速に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。

八ケ岳倶楽部に行かれ、故人になられた柳生博さんを忍んで詠われたとのこと。
故柳生氏への何よりの供養であったと思います。

人が、その人生でなしうることは種々ありますが、あの広大な森を残された柳生氏の
想いをくみ取りながら、森丸ごとを味わい詠うことも歌人としての役割と思います。

その役割の一環として詠まれた詠歌には、柳生氏と、その残された森と木の道への
哀惜の想いが滲んでいると感じます。
ゆっくりと味合わせて頂きますね。
返信する
Unknown (1948219suisen)
2022-07-22 12:31:00
今週も皆様の作品を愉しませていただきました。自閑さんのご紹介くださった寂蓮法師の三夕の歌は好きな歌なので私も記憶しております。何時の日か、こういうふうな歌が詠えるようになりたいものだと思います。

ポエット・M様の歌も、いつもながら素敵でございますね。

☆合歓の花空向き咲くも葉は愛(かな)し 赤子抱くごと闇に閉じゆく

合歓の木は、その顔というべき花は、空に向けて咲いておりますのに、その身体の部分である葉は夜闇が迫ってくると嬰児を抱くように閉じていくという擬人化した詠い方に何やらわれわれ女性の悲しさ=男性から見た愛しさ?を詠っていただいたような気もいたしました。深読みかもしれませんが…。
返信する
読者登録有難うございました (かれん桜)
2022-07-22 14:44:22
読者登録有難うございました。
私は短歌を詠む風雅な趣味は持ち合わせませんが、母は詠むのが好きで、お習字と共にお稽古を愉しんでいました。
母に声をかけられたような懐かしさに浸れました。
ありがとうございます。
返信する
suisenさんへ (ポエット・M)
2022-07-22 16:14:06
suisenさん こんにちは。
コメント並びに歌評を頂き、ありがとうございます。

おっしゃるように、自閑さんには、このところ新古今集から今の季節に合った短歌の
紹介を頂き学びになり、私も感謝しております。今回の寂蓮法師の三夕の歌の一つは
私にとっても好きな歌の一つです。

なお、「合歓の花」の歌評は、おっしゃるように擬人化しての詠みに、少し自信が
無かったのですが、肯定的にとらえて頂き安心しました。合歓の葉が宵闇の中で
静かに閉じていく様に、女性の母性的な優しさを感じ詠みました。「深読み」は
suisenさんの鋭い感性故と故と思いますが、嬉しい限りです。

これからも宜しくお願い致します。
返信する
かれん桜さんへ (ポエット・M)
2022-07-22 16:17:28
かれん桜さん こんにちは。
こちらこそ、フォロー頂きありがとうございます。

いろいろ厳しい状況もあるようですが、めげずに前を向いて参りましょう。
「汝の道を進め、そして人々をして語るにまかせよ」この言葉は、詩人・政治家
「ダンテ」の言葉だそうです。
ブログ等で自らの想いを発信した際、色々な方のコメントが寄せられますが、
そのすべてが肯定的なものばかりでなく、中には心無いコメントもあります。

このブログにも、残念ながら時々匿名氏による心無いコメントも届きます。
ご批判等は真摯に対応したいと思いますが、自らのアドレスも、IDも示さずに
届くコメントは「礼を失したもの」として、無視することにしています。

かれん桜さんも、心無いコメントに傷つくこともあるでしょうが、まずはスルー
しつつ乗り切っていくことをお勧めします。
「日々を穏やかに暮らしたい」との願いが叶いますよう、祈りたいと思います。

これからも宜しくお願い致します。
返信する
Unknown (jikan314)
2022-07-22 17:49:25
【短歌投稿】
【詞書】人類誕生 2001年宇宙の旅を観て
おお!今人類が誕生した!
全てを知り尽くせる妄想を抱き
【短歌説明】
スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の冒頭には、猿人が出て来て、動物の骨を手に取った時、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れ、始めて道具として骨を使用して、人への進化が始まり、やがてそれを武器として、水飲み場での争いで、殺人を行います。そうしてその猿人が、勝利の雄叫びを上げ、骨を放り上げると、それが宇宙船になり、ワルツ「美しき青きドナウ」が流れると言うシーンがあります。
その猿人から進化した人間は、全知全能の神になったかのように振る舞い、今も戦争で骨から発展した武器で殺し合いをしています。その驕りを象徴するようなシーンだと感じました。
さて、「ツァラトゥストラはかく語りき」は現在、「ツァラトゥストラはこう語った」となっております。文語での表現と現代語の表現、どちらが優れているとかではなく、自分はどう感じたのか?読む相手がどう感じるのか?が重要ではないか?と生意気にも思っております。このシーンには、文語の格調を採りたいです。
下記URLにYouTubeを貼り付けておりますので、御覧頂ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/b5f47c66544a5b7e385822c2886dd4b6
【投稿外コメント】
拙blog新古今和歌集の部屋では、伊勢物語、源氏物語、今昔物語など、自分の短歌に役立ちそうなものを読んでいます。
今は源氏物語 葵ですが、気が向いた時に3ページづつなので、なかなか先に進みません。
源氏の正妻の葵の上は、愛人の六条御息所の生霊に取り憑かれ、死んでしまいます。
 葵上の荼毘の煙を見て    源氏
昇りぬる煙はそれと分ねどもなべて雲居の哀れなるかな
 喪服を3ヶ月着る事になって 源氏
限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖をふちとなしける
掛詞、本歌取りなどあって馴染みは無いと思います。古来これ程人々を引き付けた物語ですので、読んでみては?
返信する
Unknown (チョウキチ)
2022-07-23 09:41:38
いはばやものを とふ人はなし
寂蓮法師は、身分の高い家の子弟で家を継げないから見かけ上出家したのでしょうか。心から出家したのでしょうか。心を隠しながらも、つい本音を漏らす。昔の人はある意味あけっぴろげで、気持ちを直に表現するのですね。
返信する
自閑(jikan314)さん (ポエット・M)
2022-07-23 13:54:27
自閑(jikan314)さん こんにちは。
早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。

「2001年宇宙の旅」は1968年に公開され、スタンリー・キューブリック監督が人類の進化の
可能性を追求し、SF映画ならではのワクワクを盛り込み、息をのむような素敵な映画に仕上がって
いたと記憶しています。
しかし、AIの暴走により人類が滅んでしまうかもしれない、という危険性をも指摘していて、
かなりの先見性が見てとれます。この時点でのAIは未だ萌芽の状態でしたから…。
また、ご指摘のように「全知全能の神のように振る舞い、今も戦争で殺し合い」をする、
人間の驕りへの警鐘を鳴らしていたと感じます。

なお、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作、
『ツァラトゥストラはかく語りき』は1980年代中期に、ブームになりましたが「文語の格調」へ
私も賛意に送りたいと思います。

また、「伊勢物語、源氏物語、今昔物語」等々を原書で学ばれる自閑(jikan314)さんには
頭が下がります。源氏物語だけでも、54帖、400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶ大作ですので、
どうしても翻訳本に頼ってしまいます。
「掛詞、本歌取り」は、この物語の和歌の中でも、かなり駆使されていて学びになりますね。

なお、これからも宜しくお願い致します。
返信する
チョウキチさんへ (ポエット・M)
2022-07-23 13:56:18
チョウキチさん こんにちは。
コメント頂きありがとうございます。

寂蓮法師は、僧俊海の子として生まれ、叔父である藤原俊成の養子となった後、
長じて中務少輔になり、30歳代で出家されたとのことですね。
その後、歌道に精進し三夕の歌をはじめ、叔父の目指した「幽玄」を表出する
多くの優れた歌を詠っていますね。
例として引かれた、
 ★思ひあれば 袖に蛍をつつみても 言はばや物を とふ人はなし
この歌は、歌合せの際に詠まれ、夏の恋の心として扱われた作品ですが、
「宮仕えをする女性が、身分の高い男に淡い恋心を抱くが、人には告げられない」
想いを詠んだと伝えられています。
つまり、自らの想いではなく「宮仕えの女性」に替わって詠んだとのことです。
しかし、「私の恋心は包んでも隠し切れない蛍の光です」との想いは、寂蓮法師にも
あったのではないかと思っています。この歌には、少なからぬ切迫感もありますので…。

こんな想像をするのも、楽しいですね。これからも宜しくお願い致します。
返信する

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